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第3話

「お父様、少々お話がございます」

「えっ」

「御前失礼いたしますね」


ギルバートの腕を掴んで、エルロットは廊下に出る。そして、小さな小さな声でギルバートに向けて言葉を放った。


「どういうことです!?」

「何がだ!!」

「この城に妖精がいるなど、聞いておりません!」

「よくある話だろうが!それに殿下と私以外には見えておらん!」


神官は別だ、と言い切ったギルバートにエルロットは平手を打ちたくなった。妖精、何をするのかよく分からないから苦手なのだ。イタズラ好きな妖精なら、詰みである。


「王妃のことを気にかけておられた妖精だ。悪いものではない」

「下手すれば私に牙を向きかねないやつですね。はい、意図がよぉく分かりました」


それならば、確かに告げ口をするだろう。結婚も何もなしになる。エルロット的には、結婚したいというわけでも、助けたいというわけでもないから、本音を言うとどうでも良い。そこまでの、人となりを知らないからだ。


「話は済んだか」


天を仰いでいるエルロットと、事態に気付いて顔を覆って俯くギルバートに声が掛かった。ギルバート曰く、それは戦場に立っている時に耳にしていた低い声だったという。


「はい、陛下…」

「虚偽の申告をすれば、不敬罪で打ち首とするが」

「陛下の呪いを飽和するために、娘を嫁がせようとしました」

「お父様!身も蓋もない言い方をしないでください!!どうせ、お父様だけの発案ではないのでしょうが!!」


私の一存だとと言っていた言葉を思い出すが、権力地位富に興味のないギルバートだからこそ、誰かに言われたのだろうと見当つけることができた。思わず声をあげれば、アルノーが部屋から顔を覗かせていた。


「お姉さん、声を上げてどうしたの?」

「アルノー。部屋の中に入っていろ」

「でも、お父様怒っているよ」


おや、とエルロットはアルノーに目を向けた。アルノーは、ギルグガンドを見上げて幼子がするように手を伸ばす。ギルグガンドは、何か言いたそうにアルノーを見た後、しゃがみ込んで抱き上げた。


「怒りたくもなる。父様は、今でも母様のことを愛しているのに」


小さな呟きだったけれど、エルロットの耳にはちゃんと届いていた。一番近くで聞いていたアルノーは、それでも、と首を横に振った。


「お父様は国のために生きる人だよ。いつか、シャルル兄さまがそうなって、僕も国のために生きるんだ」

「…アルノー」


この教育、凄いなあ。エルロットは現実逃避がてら思う。齢五つの子供が言うには重すぎる。そして、ギルグガンドに向けて言う言葉でもなかった。


「変な女の人を宛がわれる前に、ニルヴァーナのお姉さまと居るべきだって僕は思うなあ」


つまりそれは、エルロットで妥協しろと言っているようなものでは。ふと思ったけれど、口には出さない。だが、どうにも告げ口をした妖精の意図が分からない。エルロットが考え込んでいると、声が掛かった。


「あの、陛下」

「…なんだ」

「シャルル殿下が目を覚ましました」

「そうか…。ギルバート」

「はい」

「先に、そこの娘と私の執務室に行っていろ」

「…御意に」


ギルバートに連れられて、エルロットは王城を歩く。広くて、所々に淀みを感じる。血を血で洗うような血なまぐさい出来事は、ここ何代か起こっていないはずだが、染み付いたものなのだろう。


「陛下、怒ってましたね」

「私たちが説明する前に知ったからな」

「私‘たち’、とは」

「…宰相だ」

「あぁ。なるほど」


宰相とは数十年来の仲である父親の姿に、エルロットは納得した様に首を縦に振った。宰相が一枚噛んでいるのなら、ギルバートが強気に宣言してきたのも頷けた。ギルバートなりに陛下のことを心配に思い、作戦を練るうえで後には引けないと思ったんだろう。


「お父様」

「なんだ、エルロット」

「どうせなら、このエルロットも国のために生きてみます」

「え?」

「国が陛下を生かせと言うのなら、降りかかる死ひとつも陛下の下に通しはしません」


振り返るギルバートに、エルロットは笑いかけた。大丈夫、元より自分はニルヴァーナだ。幸せな生活を送れるとは思っていない。


ギルグガンドの執務室で、エルロットとギルバートは静かに立っていた。会話もない。ただ、静かな時間。それを破ろうと、足音が少しずつ近づいて来ているのが分かった。


執務室に返って来たギルグガンドと副宰相―エリオットの姿に、頭を下げる。エリオットはギルグガンドの腹心のひとりで、宰相の甥でもあった。


「ギルバート、弁解の余地は与えるが」

「ございません」

「誰と共謀した?」

「――わたくしめでございます!!」


バタバタと走り込んできた足音とそれを上回る声量。エルロットは肩を跳ね上げさせ、他の者たちはみな溜め息を吐いた。駆け込んできたのは騎士団員のように見えて、実は文官。それがこの宰相である。剣はひとつも振るえないとか。


「お前か、ベルント…」

「はい!!」

「何故、私に後妻を与えようなどと思ったのだ…?」


疲れている顔のギルグガンドを一瞥して、口を開いたのはベルントだった。ベルントは、深々と頭を下げる。


「陛下、無礼を承知で申し上げます!」


もうそれが無礼だから、とは言えない。エルロットは、もう面倒くさいなとさえ思っていた。自分自身の『死』は逃せないけど、父ギルバートやベルントの『死』ぐらいなら遠ざけさせてやれる。それが処刑でも変わりはないだろう。


つらつらとベルントが語るのを聞きながら、エルロットはギルベルトを見やる。痩躯。背が高いのに、いかんせん線が薄く見える。頬がこけているとまでは行かないが、人が見れば随分とやつれて見えるだろう。整った顔立ちなのに、そのやつれ具合が邪魔をした。武闘派だと聞いていたのだが、呪いの効力はすさまじいものだ。恐らく、歳を追うごとに呪いが増してきているのだろう。


「娘、名前は?」

「ニルヴァーナが次女、エルロットと申します」

「エルロット」

「はい」

「この度は不問と致す。父を連れて屋敷へ戻れ」

「では、陛下。ひとつよろしいですか」

「なんだ」

「シャルル様の呪いを解く、お手伝いをさせていただけませんか?」


あ。


ギルバートから、そうだったと声が零れた。エルロットは、シャルルやアルノーから懐柔していくことを決めていた。といっても、ギルグガンドに嫁ぐことは考えていない。せめて、呪いの拠り所ぐらいになれたら良いかなあ…と思っているぐらいだ。国のために、というと聞こえが良いけど、この人の生に溢れる姿を見たいと思った。


「お前がいなくとも、シャルルから話を聞けば解決するのだろう?」

「私を遠ざければ、また死に至るほどの熱をひき起こしますよ」

「ギルバートが居る」

「言っておきますが、ニルヴァーナで一番死に近いのは私です」

「死。お前たちが事あるごとに言うその『死』とはなんだ?」

「死そのものです。それ以外それ以上なにもありません」

「はぐらかすつもりか」

「はぐらかすもなにも、それ以上の言葉がないのです。ニルヴァーナは、建国の時よりこの国と生きて来た。死を司ることを神に乞うて、国を、王を守って来た」

「――…王を守って来たというのならば、何故、王妃が死ぬこととなった」


ギルグガンドの言葉に、エルロットは目を伏せた。あの日のことはよく覚えている。母にまとわりつく死はすべて追い払う―いつものおまじないをする娘を抱き締めて、そのまま母は戻らぬ人となった。


守るべき愛しい人を連れてあの世へと渡ったのだ。母の王妃に対する想いは、薄々と気付いていた。揃いの髪留めをしているのだと、教えてくれたことがあったから。一介の騎士が、王妃と同じものを身につけれるのか否か。


でも、大人になった今なら、ソレがどういうことなのかなんとなく分かる。


「陛下。陛下も分かっていたことかと存じますが、母は王妃様を愛していました」

「…ああ。何事も、献身的に尽くしてくれていた」

「型嵌めのような髪留めも、片方だけの不揃いの耳飾りも、全部分かっていたでしょう。王妃様も、母様を愛していたのです」

「エルロット!!」

「お父様も薄々は感じておられたでしょう?時折着るドレスが色違いだったことも、指輪と首飾りで分けられた装飾品も、全部」


まるで、断罪のようだとエルロットは片隅で思った。でも、此処に居る誰も罪はない。罪があるというのなら、夫を騙し切りあの世に逝った母と王妃である。


「どうして、そう言い切れる?王妃が死ぬことと、何の関係がある?」

「母にまとわりつく死は、すべて私が追い払いました。けど、ひとつだけ私にも追い払えないものがあるのです」

「ま、さか…」

「自死だけは、私たちニルヴァーナの管轄外」

「…だが、王妃もお前の母も、」

「母が王妃を刺して、そのあとに母は自らを刺したのでしょう」


そして、ふたりの愛は完結したのだ。とんでもない物語だな、と思う。けど、それは紛れもない事実であった。幼い王女が嫁いできた日、そこからようやく母の物語が始まったのだ。


膝を着いてしまいそうなギルグガンドをエリオットが支えているのを見ながら、エルロットは口を開く。


「それでも、私をこの城に呼び寄せたのは、父や宰相様の思惑だけがあったからではありません。王妃様の傍にはいつも妖精がいたそうですね。その妖精の意図と思惑が絡み合ったから、すべてが始まった」

「…シャルルの、熱は」

「先ほども申し上げましたが、あれは呪いです。まあ、妖精の思惑もちょっとだけ含まれてそうですが」


エルロットは肩を竦めた。妖精に会っていないから、なんとも言えないが。告げ口をした意図さえも掴めていない。



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