エルロットは、ギルバートとニルヴァーナ家の馬車に乗っていた。ニルヴァーナ家ゆえに侍女は居ないが、馬車は持っている。王宮へ診察へ行くギルバートに、前国王陛下が持たせたものだという。最初は随分と渋っていたそうだ。ニルヴァーナ家の当主であり王家専属の医師が歩いて登城するのは、あまりにも間抜けではないかとエルロットも話を聞いて思っていた。
「お父様、情報の整理をしますよ?間違いがあれば、教えてください」
「あぁ」
「まず愛妻家の国王陛下、御年四十歳。次いで第一王子のシャルル様、御年十七歳。第二王子のアルノー様が御年七歳。五年前に死別、ということですけど合ってますか?」
「あぁ」
「四十に嫁ぐ二十とは、なかなかお目に掛れませんね…」
ギルバートは何も言わなかった。言葉にすれば、自身もそう思う節があるのだろう。でも、言い出した張本人なので何も言えない、というところだと当たりをつける。
「エルロット」
「はい、お父様」
「昨夜言っていただろう。口出ししないことを約束すると」
「そうですね。でも、お父様の口から了承は聞いてませんが」
「了承する、と今言おうと思っていたんだが?」
「あら。それは失礼いたしました。お父様と意思疎通出来なくて、登城するの少し怖いですわね」
「…私たちのことは気にせず好きにしろと言っているのだがな」
「ふふ、冗談です。一族郎党、処刑にならないように頑張ります」
「お前は一体王宮でどうしようというのだ…」
エルロットは何も言わず笑うだけだった。道の揺れが減り、王城に近いことを知る。見えて来た立派な門扉を潜れば、空気ががらりと変わったのをエルロットは肌で気付いた。
『死』に対して、濃いという言葉がぴったりだと思うのは初めてだった。死臭がするわけでもないが、ぴっとりと側にくっついて来るようなそんな錯覚。
「お父様」
「どうした、エルロット」
「早速、好き勝手にさせていただく時が来たかもしれません」
「は?」
従者が馬車の扉を開ける。ギルバートに続いてエルロットが足を地面に下ろした時、身の毛がよだつほどの寒気を感じた。ニルヴァーナ家である以上、死というものには見慣れている感じ慣れているにも関わらず、感じるこの寒気。
「エルロット、どういうことだ」
「お父様は何も感じないんですか?こんなにも、死が、そこまで来て口を張っているというのに」
喰らおうとしている死が、そこに居る。
エルロットの言葉を聞いて、足早に動き始めたギルバート。きっと第一王子のシャルルの下へ向かうのだろう。エルロットはそう推測をつけ、粟立った肌を撫でつけながらあとを追う。
「――シャルル!」
必死な呼びかけに似た叫びが、城内に響く。
誰も彼もがギルバートの姿を見て、急げともっと早く走れと急かす。けど、ギルバートは歳も歳だから仕方がないが、それを抜きにしてもどうやっても足が遅い。ギルバートに似てだろうエルロットも、それなりに遅い。運動してなかったせいもある。これは、少しずつ運動しなきゃならないな、と荒れる呼吸のなか思う。
「急いでください、先生!」
「分かっている!」
そうして、どうにかこうにか第一王子の居るであろう部屋に辿り着いた。その、部屋の暗さと言えばどう表現すれば良いのか、エルロットは分からない。既に、死の口の中に居ると言っても、過言ではないほどに暗い。
「シャルル!しっかりしろ、シャルル!」
声が、響く。必死に、繋ぎとめている声。逝くなと。父を置いて逝くなと、万感の思いが詰まった叫びに、エルロットは部屋に入る前に足を止めた。ギルバートが、広い寝台に近づく。その真ん中で眠る子供を見て、エルロットを見た。
自分では、どうにもできない場所に子供がいる。そうギルバートの目が語っていた。エルロットは、足を進めた。肌が粟立ち、足元から寒気がする部屋に入る。血の気のない顔で、呼気も細々として眠る幼子が居た。
――嗚呼。ここまで間近に来た死を見るのは、いつぶりだろう。
エルロットは人だかりを避けて子供ーシャルルに手を伸ばす。冷たい手を握り込む。周りが何かを叫んでいた。呼びかけている。戻って来いと。けれど、死の毒牙に掛かったシャルルは戻って来れないまま。
「まだ、そちらへは行かせれませんの」
静かな声だった。水滴を落とし、波紋を広げるようにエルロットの言葉が響いた。
「返してください。この子はまだ、死に呑まれる時ではありません」
『死』が怯む。けれど、シャルルを手放そうとはしない。更に口を開いて、エルロットさえも呑み込もうとした。
「消えなさい」
語気を強めて、言葉を放つ。ただ、その一言が『死』のすべてを上回った。この場で優位に立っているのは、他の誰でもないエルロットだ。
ギルバートが、慌てて動き出す。それを尻目に、エルロットはシャルルから手を放した。ぬくもりが戻りつつある手をシーツの中に戻して、小さく息を吐いた。
「お父様。アレは今は来ません。ですが、そのうちまた帰って来る筈です」
「なに?」
「これは、そういう『呪い』です」
ギルバートの目が、エルロットを捉えた。どういう意味だと問いただしてくる目から、目を逸らしてアルノーを見る。
「どういうことだ」
深くて低い声が、場を制する。けれど、不思議と恐怖感はなかった。エルロットは、声の持ち主である国王陛下―ーギルグガンドを見た。看病をしていたのだろうか、ひどく疲れた顔を持ちだった。
「陛下とはまた違う種類の呪いです。といっても、お父様や神官が見落としていたわけでもない呪いです」
特別なニルヴァーナ家や特別な力を持つことでなれる神官が見落としていたような、そんな大きな呪いでもない。これは、小さな小さな呪い。
「――稀に、自分を自分で呪う時があるでしょう。それが、殿下の場合は素質があった。と推測します」
「推測だと?」
「はい。だって、私は殿下のことを何も知らないので推測するしかないのです。お父様、殿下のご容体は?」
「あ、ああ。先ほどと比べて落ち着いているし、今は寝ているだけだが…。お前、呪いとはどういうことだ」
「詳しいことと正解は、本人の口から聞くことにしましょう」
エルロットは、それ以上なにも言わず口を閉じた。
「まずは、そこから顔を覗かせている小さな子に」
「ア、ルノー」
「…兄様は、大丈夫ですか」
白い髪と赤い目の子供が、扉の向こうから顔を覗かせていた。これまた珍しい色素欠乏症の子供に、エルロットは目を瞬かせる。
「あぁ、大丈夫だ。もう元気になると言っていた」
「せんせい、ほんとうに?」
「はい、すぐに元気になれるでしょう」
二、三日は寝たきりだよ。そう言いたくなる言葉を飲み込んで、エルロットも同意するように頷いた。それを見た子供―第二王子のアルノーは、大きな赤い目を輝かせてギルグガンドに抱き着いた。
「とうさま、すごいね!」
「なにがだ?」
「このお姉さんが来た時にね、お城の中のモヤがぱああって消えて行ったの!」
「なんだと?」
あらまあ、この殿下。見える子供なのか。もしかすると神のご加護を受けているのかもしれない。そう思っていると、アルノーの目がエルロットを見た。エルロットはしゃがみこんで、アルノーと目を合わせる。
「ねえねえお姉さん!」
「はい、殿下」
「お姉さんもニルヴァーナの人?」
「そうですよ」
「じゃあ、お父様のお嫁様だ!」
「はい?」
「は?」
そう言っているのを聞いたよ、と無垢な声で告げられてエルロットは白目を剥きそうになった。どこでどうその話が漏れたのか、さっぱり分からないけどロクでもないことだけは分かる。
「アルノー。それは、一体、どこの、誰が?」
「ナイショ!」
「では。殿下、私に教えてくださいませ」
「ん~!」
区切って話すギルグガンドに、アルノーはふふふと楽しそうに笑うだけで何も言わない。言うつもりもないのだろうか、そう思っているとギルグガンドから離れたアルノーが、しゃがみ込んだままのエルロットに近づいて耳に口を寄せた。
「あのね。妖精さんが教えてくれたんだよ」
「あらまあ」
とんでもないことを告げ口した妖精さんがいるようで、エルロットはにっこりと笑みを刻む。怒りの笑みである。純真無垢である子供に向けるには、少々厳しいものだから。