「エルロット」
「はい、お父様」
「この度、お前の結婚が決まった」
ニルヴァーナ家の次女であるエルロットは、父親であるギルバートからの言葉に身を固めた。ギルバートは至って真剣な顔付きで、エルロットを見ている。
「お、とうさま?今、なんと……?」
「――お前の結婚が決まったのだ」
「えぇと、私と誰のでしょう?」
「陛下との」
今度こそ時が止まった。エルロットは、ギルバートを見て天井を見る。困った時に上を見てしまうのは、エルロットの癖だった。
「陛下と言えば確か、前王妃のことを愛し抜いているとか……?」
「それでも。我が一族から陛下の元へ誰かが嫁がねばならん」
「……と言いますと?」
ギルバートが愛用するキャンドルの火が揺れる。ゆらゆらと。そうして声を潜めて、結婚などと言い始めた理由を語り始めた。
「陛下は、幼い頃に呪いを受けた。齢七つのときだ。七日七晩熱に浮かされて、朝を迎えることが出来ぬのではと言われたが、なんとか持ち直した」
だが。
「陛下は、常に死がまとわりつくようになった。相次いで近衛や侍女が死に、国王夫妻の死去、次いで兄の第一王子、陛下のいとこである騎士団長も謎の死去、そして王妃の死。すべてを紐付けするには余りにも短絡すぎるが」
すべてが不自然であった、と。ギルバートは指を組み肘を着いて静かに語った。
「ニルヴァーナ家の当主としての見解は、どうなのです?」
「私の意見としては、黒だ。周りもその旨を知っている」
「……それで、私との結婚を決めた理由は?」
「一番死に近いお前なら、陛下を救いあげれるのではないかと、私の一存で決めた」
エルロットは、大きくため息をついた。淑女ならぬその様に、ギルバートは眉をはねあげるが何も言わずにエルロットの言葉の続きを待つ。
「お父様のお言葉に従いますが、王宮で私がすることに口出しなさらぬようお約束いただけるなら、です」
「なんだと?」
「私、陛下を救うなどと傲慢なことは言えませんので。あくまでも私のやり方でやります」
――作戦らしい作戦なんてひとつもないけど。
エルロットの一族であるニルヴァーナ家は、『死』というすべてのものに起こりうるものを司り見ることが出来る一族だ。
『死』にまつわることもあり次期当主である兄と軍医として働いている姉、そしてニルヴァーナ家当主であり王宮医師である父しか、ニルヴァーナ家には居ない。
エルロットたちの母は、王妃の護衛として殉職した。
「お父様、王宮に近いなら軍医の姉さまに頼めばいいのに」
「あれよりも、お前が最適なのだ。それは了承ととっても良いのだな?」
「はい、どうぞ。どうせ、世間じゃ行き遅れですもの」
「ニルヴァーナ家の娘を嫁に取りたいというのが、難しいものだぞ」
「それもそうですけど…」
気味悪がられるのがニルヴァーナ家だ。死神一族だと揶揄われることもある。それは、昔も今も変わらない。ニルヴァーナ家は、ずっと血筋絶えるまでそう言われ続けることだろう。
「お前なら、陛下の呪いを」
「さあ、どうでしょうね」
たびたび母親にまとわりつく死を指先一つで追い払うエルロットを、父は、兄は、姉は、畏怖した。それは『死』が『死』を追い払っているのだと、ニルヴァーナ家の本能が理解したのだ。
つまるところ、エルロットはニルヴァーナ家の恩恵を一番に受けていると言えた。
エルロットに、その感覚は分からない。ニルヴァーナ家で死を追い払うことが出来るのは、エルロットだけだ。それが出来ないということは、周りの言葉や雰囲気で理解はしている。出来ても、死を遠のけるだけだと。
必ず来たる死を払いのけることは出来ないのだから。
「それで、登城はいつです?」
「明日の午後を予定している。第一王子のシャルル様が体調を崩しているのだ」
「それについて行くのですか?」
「あぁ」
「…それ、ややこしくなりそうですね」
ギルバートは何も言わなかった。図星なのだろうと、エルロットは思う。ややこしくなるけど、ややこしくしなければきっと陛下は受け入れない。受け入れることをしない。否、陛下がエルロットのことを受け入れられたら御の字だが、きっとそれは来ないような気もした。
「今は亡き王妃を愛している人に、後妻を与えようなんて考える周りに囲まれてる陛下も気の毒だわ…」
「エルロット」
「はぁい。口を慎みます」
エルロットは、口元に手を当てた。黙っているの意を表して、すぐに手を放す。
「陛下が愛妻家なのは有名な話ですが、殿下たちも愛しておられるのですよね?」
「あぁ」
「なら、必ず顔を合わせることになりそうですね…」
「陛下は殿下たちが寝込むたびに、隣に執務室を構えている」
「それは素晴らしい家族愛ですわね」
するりと言葉が出た。そこにエルロットがつけ込もうとしているわけだが、ひと波乱ならぬ、ふた波乱ぐらいはありそうだった。
「ひとまず、これから登城の準備はいたします。ですが、ここ最近の夜会に出てないので、流行りのドレスもってないんですよね…」
「ミリアのドレスがあっただろう。あれがまた流行っているそうだぞ」
「なんと。母様のドレス、まだ取っておいているのですかお父様様」
「捨てれるわけなかろう?」
「そうですわね」
そういえば、この人も愛妻家だったな。なんてエルロットは思い出す。もうギルバートと母親が並んでいる姿を見ることは出来ない。思い出のよすがに縋りつくギルバートが、そこにいた。
「では、私はこれで失礼いたします」
「――エルロット」
背を向ければ、ギルバートに声を掛けられる。ドアノブを掴んだまま、エルロットは少し振り返った。ゆらりゆらりと揺れるギルバートの影。
「私の一存で決めたことを、どうか許さないでくれ」
「…かしこまりましたわ」
きっと、これから平穏からかけ離れた日常になる。エルロットもギルバートもそれは分かっていた。亡くなった王妃を今でも愛している陛下に、嫁ぐということはそういうことなのだから。
まずは、私を認識してもらうところからだわ。