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第57話 ANDROMEDA(アンドロメダ)

 二次予選開幕。その音は派手なものではなく、杉本有馬すぎもとありまの繊細なキーボード音からだった。


 会場にいた観客は、体が浮くような感覚を得る。まるで空気を取り組むかのような自然さ。


 そこにあるのは『無』。だが、なぜだか体を硬直させるだけの魔性の性質を秘めている。


 彼らの演奏=息をしているという感覚という錯覚に陥る。


 『彼女たちも控え室に来るよ』


 この言葉で健斗けんとをなんとか説得させ、控え室に戻ってきた美月みづきはこの音を聞いて背筋が凍った。


 ピアノコンクールでもこんな音を奏でられるものは存在しなかった。なのに、美月みづき杉本有馬すぎもとありまというピアノ奏者を今日まで知らなかった。


 世界には実力者などいくらでもいると実感させられる。


 『無』の世界。それが続く。数秒の出来事が何日も経っているかのように思える。

 しかし……その世界は突如、ガラスが割れるかのような大きな衝撃により崩れ去る。


 神門冬美じんもんふゆみが自らを誇示するためだけの破壊的な音を奏でたからだ。


 突然の曲調変換。観客はそのギャップに沸いた。


 先ほどまでの静寂が嘘かのように、ペンライトを振り、頭を空っぽにして曲に声援をかけていく。


 繊細なピアノに荒々しいドラム。意外にハマり、味を作る。


 イントロを見せ場にもしているこの曲。普通の曲よりも長く取り、演奏者の技量を見せつけていく。


 ドラムが聞いている人でもわかる合図を出すと、今度はつよしの野太い歌声が会場に響き渡る。


 見た目に反して弾き語りもできるらしく、悔しいが腕前も文句なしのものだった。


 歌のジャンルはヒップホップ。彼のイメージにピッタリの選曲だった。


 放たれる重圧的な歌。『全てを蹂躙する』。そう宣言されているかのような歌だ。観客や控え室には気分を害される者もいた。


「楽しくない……」


 美月みづきもそのひとりだった。


 彼女の言葉を聞いて、メンバー全員は目を見開いた。


 どんなジャンルでも、どんな人が歌っている時でも、美月みづきは音楽を楽しいと思える性格をしていた。


 彼女にとって歌とは、『上手い』『下手』関係なしに、誰もが自由に歌い、誰もが自由に何かを感じることができる代物だと思っている。


 だから、彼らの『自分たち以外認めない』と誇示するかのような歌は美月みづきにとって不愉快でしかない。


 だが、彼らの演奏はこの場所に来れるだけの技量があった。悔しいがこれが現実で、首位通過という結果は伊達ではなかった。


 自分たちより圧倒的に格上。それがBIGBANGビッグバンが下した答えだ。


 サビが終わり、有馬ありまがキーボードのソロ演奏を見せつけてくる。


 先ほどの繊細さとは違い、力強さと滑らかさを混合させる。美月みづきは鳥肌が立ち、震えていた。


「勝てない……」


 間違いなく天才の部類に入る美月みづき。その彼女がはっきりと口にしたのだ。 その言葉はメンバー全員を戦慄させるには十分だった。


 有馬ありまの演奏に合わせ、つよしがラップを紡ぐ。それに審査員は目を凝らし、耳を傾ける。


 言葉選びと韻の踏み方は卓越されたもので、この界隈に精通していないものですら『凄い』と実感できるものだった。


 観客はつよしのラップに沸き、ノリノリになっていくものもいた。


 彼の紡ぐラップに会場が盛り上がっていくのを見て、陽奈ひなは歯を食いしばる。


「悔しいが、上手い……」


 彼氏である冬夜とうやと共に一緒にラップの勉強をした。色々な技法なども知識として頭に入れて、練習もたくさんしてきた。


 なのに……自分たちより上手い。それが陽奈ひなにとっては悔しかった。


 控え室で剛のラップを聞いていたものたちは、称賛したり、愕然したり、恐怖したりと色々な感情を抱く。


「あいつが練習してるところなんて一度も見たことがない」


 同じく控え室からモニターを見ている翔兎しょうとが口にする。


 その言葉は美月みづきたちを戦慄させた。


 もし、翔兎しょうとの言葉が本当なら、あのつよしは天性の才能を持っていることになる。


 少しの練習でプロのレベルまで駆け上がれるだけの、生まれながらの勝ち組。感性だけで相手を圧倒できるものを持った男だ。


 昔からいけ好かない人間の見たことのない裏側を見て、「なんでだよ……」と、翔兎しょうとは悔しさを浮かべる。


 なぜあのクズが才能に恵まれ、美月みづきは命のタイムリミットを迫られる。


 この不平等で不公平な社会という構図を呪いたくなっていた。


 そうこうしているうちに演奏は終盤に差し掛かっていた。


 最後にド派手なライムを決め、自分の存在を思う存分にアピールする。そして、最後には自分の着ていたジャンパーを脱ぎ、鍛え抜かれたであろう体を見せつける。そして……恐怖を覚えさせる声色で歌を終えた。


 会場はどんよりとした空気に包まれていた。


 彼らの音は恐怖を与える歌として観客に刻まれた。


「それでは、点数の方を発表していただきたいと思います!」


 咳払いをし、空気を正した後に、レミーが言葉にする。


 審査員は一斉に点数を出す。


「これは凄いぞー。序盤から高得点だ」


 合計九百九十七点。全員の持ち点が百点で、審査員は十人いる。序盤からこの点を出されるのは、あとの出演者にプレッシャーを与えるには十分だった。


「お一人だけ九十八点と控えめに評価した常凪とこなさん。感想をお聞きしたいと思います」


「ウチの率直な感想は、聞いていて心地のいい演奏ではありませんでした。しかし、感情で評価を下すと正当性が薄れますので、技術面にフォーカスしてお話しします」


 自分の感想を述べ、今度は高得点をつけた理由を話していく。


「基盤はしっかりしていましたし、表現力も申し分ないと思います。特に、ピアノ経験者のウチから見たキーボード演奏は誰も気づかないであろう細かなところまでこだわっており良かったと思います。そして表現面。ネガティブな印象を与えたと言いましたが、心に残るパフォーマンスをできるのは並大抵の実力じゃ不可能ですし……そういう面では良かったと思います。なのでこの点数です」


「そうですか……いや、結構ですよ。正直でよろしいと思います!」


 彼女の意見をレミーがフォローしていく。


 常凪とこなのコメントが終わり、話題がANDROMEDAアンドロメダへと振られる。マイクを向けられ、リーダーである有馬ありまは、


「ありがとうございます。でも、もう少しオブラートに包んでコメントした方がいいですよ」


「肝に銘じておきます」


 有馬が常凪に鋭い視線を送る。それを見て、彼女も彼らに怪訝な目を向けた。


 ANDROMEDAアンドロメダがステージを降り、次に演奏するバンドが登壇する。


 今回の二次予選は合計点数を競う形式だ。


 点数が高い上位三十二組が、本戦に出場できる。そのため、高得点を出せば次のステップに進める可能性が上がる。


 平均が九百九十点。最低でもここを目指したいところだ。


 トップバッターなのにも関わらず、既に本戦に王手をかけたANDROMEDAアンドロメダ


 控え室に戻ってきて、踏ん反り返るようにソファに座る。周りで見ていた人たちはあまり良い印象を抱かなかった。


 彼らを見て、美月みづき翔兎しょうと春樹はるきは弱気になっていく。


「大丈夫ですよ! あてぃしたちなら絶対勝てますって! 一次予選も突破できたじゃないですか。ねぇ、健斗けんとくん」


 健斗けんとに同意を求めるが、彼はまだあいに似た人物を見つめていた。


 柚葉ゆずはの言葉に遅れて反応するが……


「ごめん。演奏見てなかった」


「そうなんだ……」


 健斗けんとの言葉に柚葉ゆずはは反応に困ったような表情で返答する。そんな彼女に向かって春樹はるきは口を開く。


「わかってるよ。だが、少し音楽をやってるものならアイツらが化け物だってことは感じられるんだよ。俺たちの力じゃ……」


「勝てないでしょうね」


 弱気になっている春樹はるきの前に一人の女性が立ちはだかった。


 華奢であり、美しいボディラインを見せる体型。美月みづき(164cm)よりも長身で、和服が似合うであろう大和撫子やまとなでしこ


 春樹はるきだけでなく、美月みづきも因縁を持っている女性──神門秋じんもんあきの姿がそこにはあった。

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