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第48話 これから

「早速ですが……入院して治療の方を進めていきましょう」


「よろしくお願いします」


 女医の言葉を受けて、母親が頭を下げる。


 その姿を見て、美月みづきは恐怖を抱いた。


 入院など初めてだった。しかも、治療。治すためではなく、延命するためだけの……


 自分とはえん遠いと思っていた死という事象が目の前に近づいてきているように感じた。


 緊張で言葉はでなかった。


 説明に頷くこともできなかったが、そんな美月みづきの感情とは裏腹に、女医は自分の仕事を淡々とこなしていく。


 数え切れないほどの患者を相手にしてきている女医の説明は、機械のようで無機質に感じられた。


 抗がん剤に免疫療法。名前だけは聞いたことがあるが、まさか自分が受けるとは夢にまで思わなかった。


「では、月曜日からの入院にいたしましょうか。こちらが書類になります。できる限り延命できるよう、我々も最大限尽力いたしますので、一緒頑張りましょう」


「ありがとうございます」


 お礼を言いながら、書類一式を母親が受け取る。


 入院が現実的なものになってきた。このままではスタープロジェクトを辞退しないといけなくなってしまう。


 人生を謳歌できず、夢すらも叶えられない。


 自分のやりたいことがひとつもできず、人生を終える。それだけは絶対に嫌だった。だから……


「スタープロジェクトが終わるまで待ってくれませんか」


 無意識に立ち上がって声を出してしまっていた。


美月みづき……」


 美月みづきの言葉に母は心配を浮かべ、女医は真剣に美月みづきを見ていた。


 女医の目を射抜くような気迫だった。空気がピリピリし、一触即発するかのような空気。


 緊張する中で唇を噛み、震える声で言葉の続きを紡いだ。


「私にとって、スタープロジェクトは全てなんです。人生を投げ打ってでも立ちたい舞台なんです。だから……だから……」


 一拍置き、訴えかけるように言う。


「死ぬ前に私の夢をひとつ叶えさせてください!」


 深々と頭を下げる。


 彼女の言葉に女医はしばし無言になる。その後……


「大会はいつ終わるんですか?」


「えっ!」


「大会はいつ終わるのか聞いているんです」


 女医から発せられた意外な言葉に、美月みづきは一瞬だけたじろいでいた。


 だが、すぐに現実に意識を戻して女医の質問に答える。


「一月中旬頃です」


「そうですか……」


 女医はカルテに目を移す。色々と確認していき、自分なりに何かを解釈。また、美月の方へと体を向けた。


「わかりました。入院と治療はその頃にしましょう。夢、掴んでください。応援しています」


 女医が優しい微笑みを投げかけてくれた。初めて人間らしい一面が見れて、美月みづきは驚いた。


 多分、助かる見込みがないから許してくれただけだろうが、それでも嬉しかった。


 だって、あの舞台にみんなと立てるのだから。


「ありがとうございます!」


 女医と美月みづきの言葉に、母親は涙を流していた。


*****


 翔兎しょうとの口から発せられた衝撃的な言葉。その言葉を受けて、春樹はるき健斗けんと柚葉ゆずはは呆然とするしかできなかった。


 そんな彼らを見て、美月みづきは思う。


 スタープロジェクトで優勝する。人生最高の瞬間を手にする。そう決めていたのに……そのために黙っていたのに……


 決意した早々、メンバーに秘密がバレてしまった。


 彼らの目を直視できない。言葉にすることもできない。


 ただ、耐え難い痛みが心を襲うだけだった。


 しばらく、静寂が続く。いつものメンバーなのに、心を許し合える関係性なのに、今、この瞬間だけは、とても居心地がいい場所だとは思えなかった。


「なんで隠してた」


 静寂を切り裂くように春樹はるきが言葉を発する。


 だが、言葉をぶつけたのは美月みづきではなく、翔兎しょうとの方だった。


「今の口ぶり、だいぶ前から知ってたんだよな。なんで教えてくれなかった! 俺たちは仲間じゃなかったのかよ!」


「悪い……」


 翔兎しょうとが小さな声で発する。


「悪いと思ってるなら尚更だ! 俺たちには、俺たちには教えてほしかった!」


 誰も悪くない。それを春樹はるきはわかっている。


 彼が美月みるきのためを思い、黙っていたことも。美月みづきが黙っててくれと言ったのだろうということも。


 それでも、教えてほしかった。


 彼はBIGBANGビッグバンのメンバーを本当に仲間だと思っていたから。家族以外で初めて心を許せた人たちだから。


「なんで、ハニー。また僕の前からいなくなってしまうの……」


 健斗けんと美月みづきの方を見るが、美月みづきが言葉など紡げるはずもなく、ただ目を背けることしかできなかった。


 春樹はるき美月みづきの方を見る。


 自分の頭をくしゃくしゃにし、どこにぶつければいいかわからない怒りを無理やり抑えていく。そして、床にのいてある自分の鞄を肩にかけた。


「おい、どこに行く!」


「少し頭を冷まさせてくれ」


 春樹はるきはスタジオを出て行こうとする。その後ろ姿は少しかなしさがまとっていた。


「スタープロジェクト、絶対に出るよな!」


 そんな彼の背中に声をかける翔兎しょうと。だが、返ってきた言葉は耳を疑うものだった。


「こんな状態でやれるかよ……」


 それだけ残して春樹はるきはスタジオを後にした。


「ごめん。僕も感情の整理がつかない。帰るよ」


 健斗も身支度をしてスタジオを後にする。


 三人だけになってしまうスタジオ。またも静寂に包まれ、息苦しい感覚が美月みづきたちを襲う。


 また、これだ……


 軽音楽部の時と同じ。自分のエゴでバンドを危機に陥れる。


 もう絶対にやらないと誓っていたのに、また同じてつを踏んでしまった。


 美月みづきとしては苦しくて、どうすればいいのかわからなくなった。


「本当に死んじゃうんですか?」


 今聞かされた話が嘘だと信じたくて、柚葉ゆずは美月みづきの方を見て質問していた。


「嘘ですよね。何か治せる方法があるんですよね。そうなんですよね」


 柚葉ゆずはは懸命に訴えかけていく。だが、美月みづきからは返事が一向にない。その様子に柚葉ゆずはは感情が抑えられなくなり……


「なんで黙ってるんですか! 否定してくださいよ! お願いだから、否定してください……」


 涙を浮かべながら怒声を上げる。


 こんな彼女を初めてみた美月みづき。ここまで心配してくれる柚葉ゆずは。だが、現実は変わらない。


 自分は死ぬのだ。だから、最後に有終の美を飾り、あのステージで華やかに歌いたい。


 それが美月みづきの人生最後の夢だった。


 美月みづき柚葉ゆずはを抱きしめる。


「ごめんね。全部本当なんだ……黙っててごめん」


 彼女からの肯定。それに精神が崩れ、柚葉ゆずはは大声で泣いた。


 自分の人生を変えてくれた人の死。


 残酷な現実を目の当たりにして彼女の心はぐちゃぐちゃになった。


 しばらく彼女の胸の中で泣いた後、柚葉ゆずはは彼女の胸から解放される。


「ごめんなさい。服、汚れちゃいましたよね」


「大丈夫だよ。替えがあるから」


 そう言って、着替えの準備に入る。だが、


翔兎しょうとくんは外に出てて」


「あっ、あぁ……」


 指摘され、翔兎しょうとだけ退室。美月みづきの着替えが終わると、三人はスタジオを出た。


「今日はありがとうございました。楽しかったです」


「うん、私も楽しかった」


 無理やり取り繕う柚葉ゆずはに合わせ、美月みづきも取り繕う。


 そんな彼女たちの間に割って入り、翔兎しょうとが言葉を発する。


「悪い、ちょっと俺たち二人にさせてくれないか」


「えぇ、いいですよ」


「ありがとう」


 そう言って、二人で街の方へと歩いていく。柚葉ゆずはにはその後ろ姿がなんだか寂しげに見えた。


 二人になり、街を歩く美月みづき翔兎しょうと


「もう冬だね」


「そうだな……」


 二人が出会って約一年。


 色々なことがあった。


 最初は音楽に興味がなかった翔兎しょうと。だが、OCEANオーシャンのライブを見て、音楽に惹かれてのめり込んでいった。その後、春樹はるきが入ったのだが、メンバーになるまでだいぶ時間がかかり、苦労した。


 夏に憧れのOCEANオーシャンと強化合宿をした。


 きつい練習だったが、レベルがひとつ上がったような気がして、達成した時は嬉しかった。


 スタープロジェクトが開催され、ライブもたくさんした。


 最初はアンチも多かったが、それでも堅実にファンを増やしていった。


 美月みづきの病気が発覚して、苦しんだりもした。だが、乗り越えて次のステージへと足を進めようとした。


 秋には文化祭。美月みづきの旧友と再会し、初めて美月みづきの過去を知った。本番に翔兎しょうとが倒れるというアクシデントがあったが、柚葉ゆずは明里あかりようのおかげで無事成功できた。感謝している。


 翔兎しょうとがこの一年ほどのことを思い返していると……


美月みづき?」


 彼女が翔兎しょうとに抱きついてきていた。


翔兎しょうとくん……また、バンド解散しちゃうのかな。怖いよ。私、心苦しいよ……」


 この言葉は彼女の優しさを体現していただろう。


 余命宣告がバレたことではなく、バンドが解散しないことを心配している。


 自分のことよりも、BIGBANGビッグバンのことを考えていてくれる。


 それだけ、彼女にとってBIGBANGビッグバンというのは心の支えなのだろう。


「大丈夫だよ。大丈夫……」


 自分の胸を頼ってくれる彼女の背中をさすりながら、なだめていく。


 その背中は凍てつく空気に触れ、とても冷たかった。そんな彼女を温めるかのようになだめていく。


 号泣する彼女に自分ができる唯一の行為が、これしかなかったから。  

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