彼女の言葉に嘘偽りはなかった。
能力があるが故に、若くして非合法な任務に帯同させられてはいるが、本人の心は年相応の弱さを持っている。
逃げ出したいが、それが許されない。
きっと、彼女には今回がその機会であると感じられたのだろう。
「一個人として匿うのは無理だろう。俺にも監視がついている。こちら側の一員として、似たような任務に従事させられる可能性が高い。」
本心ではないが、そう言うしかなかった。個人として彼女をかばうにも限度がある。
「それでも・・・そちらには、あなたみたいな人がいる。それだけで、今よりも十分マシだと思える。」
懇願と諦めが入りまじった表情。
そんな表情を見ながらも、俺の頭の中では複雑なロジックを形成していた。
「俺がフロントマンに取り次ぐ。条件付きで移籍をすると主張すれば良い。」
「本当に!?じゃあ・・・」
彼女の最後の言葉は途中で書き消された。
一発の銃弾が部屋の幾層にも強化されたガラスを撃ち破り、命の火を奪い去ったのだ。
「休養のつもりで、あの任務を回したつもりだったのに。」
俺を担当するフロントマンのシャーリーの第一声だ。
フロントマンとは、組織とエージェントの仲介をする窓口である。昨年のある任務から彼女が担当するようになったが、組織内でも要職にいると感じていた。
ホテルでの狙撃の後、敵は執拗に俺を狙ってはこなかった。
彼女──サーシャの裏切りを感じて、その消去を優先したのだろう。
周辺で一番高層なホテルの一室である。狙撃はヘリから、戦車の装甲に穴を穿つような威力のライフルが使用されたのだと推測された。
飛行中のヘリから必殺の一撃を放てるスナイパーなど存在しないと言える。おそらく、今回もホルダーが関与しているのであろう。
「やつらは、脅威になるのか?」
「あなたを狙ったことで、それなりの覚悟がある相手だとは思うわ。」
実績のあるエージェントの命を狙う。それは、所属している組織からの報復も辞さないということだ。
「このまま、また同じことが繰り返されるのは容認できないな。」
「・・・・・・・・・。」
「奴らの拠点を教えて欲しい。この国に出張ってきている奴らだけでも、対処は必要だろう?」
「また・・・。」
「また?」
「何でもないわ。しばらくしたら、また連絡する。」
「局長。どうするおつもりですか?」
傍らで通話を聞いていた部下が、シャーリーに確認する。
「また・・・血の雨が降るわね。」
少し青ざめたシャーリーが、そうつぶやいた。
「では、殲滅作戦を始動させます。人員はいかほどに?」
「いらないわ。」
「え?」
「彼一人で対処可能よ。」
「本気ですか?現状でわかっている情報では、相手方は特殊部隊の出身者が多数を占めていますが。」
いくら腕の立つエージェントとはいえ、戦闘に特化している訳ではない。
しかも相手は世界に名だたる、あの特殊部隊の出身者が大半である。一対一ならまだしも、一対多の場合はあまりにも無謀な采配としか思えなかった。
「先程の彼との通話で違和感は感じなかった?」
「違和感・・・ですか?」
「以前にも、あんな感情のない声を聞いたことがあるわ。」
部下は何かを思い出したのか、はっとした表情になった。
「
「あの時も、彼は先ほどのような声を出していた。」
感情のまったくない、まるで機械が話しているかのような声。
「まさか・・・あのサーシャというホルダーの死が引き金になったのですか?」
「極度の怒りや憎しみで、彼が我を失うことはない。代わりに、ソート・ジャッジメントが限界を超える。相手の思考を演算し、行動パターンを瞬時に推測する究極の
Judgment calculation of thought
相手の思想や思考を判定するソート・ジャッジメント。
対面、もしくは一定範囲内でしか発動しないその能力は、ホルダー近辺の危機察知にしか恩恵がないともいえた。それが、レベルBと判定される正確な理由だ。
しかし、極度に精神が研ぎ澄まされた場合、その能力は昇華する。
推定三十メートル半径内にいる複数対象の行動を演算し、高確度でそのパターンを予測。相手の攻撃を事前に察知して機先を制することが可能になるのだ。
「今の彼の状態でバックアップ要員を送り込んだら、邪魔にしかならない。動くものはすべて標的とみなして排除してしまうのだから。」
「・・・わかりました。敵拠点の侵入ルート、及び排除対象の詳細を洗い出します。」
「ええ、お願い。」