「ほう。遂に我が組織でも、トランセンデンスに到達する者が現れたか。」
傍らでそうつぶやいたのは、組織でも異端の科学者だった。
クリストファー・コーヴェル。
前回のエージェント・ワンとの会話に違和感を持ったシャーリーが、彼の異常を解析するために本部から呼び寄せた男だ。
クリストファー・コーヴェルは若くして物理工学、脳科学、医用工学の博士号を持つ天才である。
「トランセンデンス?」
「エージェント・ワンの声を脳波測定器にかけた。これを見た方が理解しやすいだろう。」
クリストファー・コーヴェルが端末を操作して、部屋のディスプレイに縦のカラー棒グラフの図を映し出す。
「これが一般的な数値。そして右側が普段のエージェント・ワンの数値だ。」
「右側の方が、圧倒的に数値が高い。」
「そうだ。この状態でもエージェント・ワンの脳が規格外なのがわかるだろう。そして、これが先ほどの通信での声を解析したものだ。」
「これは・・・。」
「通常なら計測されないガンマ波も含めて、ベータ、アルファ、シータ、デルタのすべてが異常なほど高い数値を示している。」
「これが、トランセンデンスということ?」
「そうだ。サイキック能力を持つ者は、先ほどのエージェント・ワンの脳波と類似している。しかしこの解析を見る限り、今のエージェント・ワンの脳はそれを
「それは・・・どういう影響をもたらすの?」
「さあ、どうだろうな。」
「ちゃんと答えなさい。」
クリストファー・コーヴェルは、肩をすくめながらため息を吐いた。
「予測できないとしか言えない。」
「・・・・・・・・・。」
「睨まれても困る。このレベルの数値は未知のものだ。」
「可能性を言って。」
「そうだな。最悪の場合、悪魔が世に放たれることになるかもしれない。」
「・・・最良の場合は?」
「エージェント・ワンは、脳が限界を迎えて死ぬだろうな。」
この場にいた者のすべてが驚愕に表情を歪めていた。
いや・・・唯一、クリストファー・コーヴェルだけが興味深げに笑みを浮かべていた。
ドゥルルルルゥ・・・キュイーン!
スーパーチャージャーが甲高い音を上げた。太いトルクにフロントが持ち上がる。
私用のために購入し、足代わりに使っている車だ。
ダッジチャージャー・SRT・ヘルキャット。
日本でならトラックが積むような6200ccの大排気量エンジンに、コンプレッサーを駆動させて空気を圧縮供給するスーパーチャージャーを搭載したマッチョカーだ。
メーカーのチューンアップチームが弄くり回して世に出した市販モデルをそのまま乗っている。
過剰なほどにパワーがあるが、どちらかと言うと名前が気に入って購入した。
ヘルキャットとは直訳したら地獄の猫となるが、用法上では性悪女を意味している。
職務上、関わる女性にその類が多いので、皮肉でそれを乗りこなしてみようと思っただけだ。
車体ナンバーは削り、ナンバープレートも別の物に取り換えている。
万一警察に所有者を調べられても、追跡不能となるように登録データは改竄されていた。
私用車とはいっても、緊急時に乗用する目的で購入しているのだから当然の処置をしている。
高いパフォーマンスを持つ車だが、今は交通法規を守って運転を行い、目的地へと向かっていた。
映画のようにド派手な演出などするわけがない。
任務遂行後の逃走に向けてこの車を駆っているのだ。
銃撃戦が起これば、当然のことだが緊急配備が敷かれる。その際に追跡してくる車を撒くためには、このような車が必要になったりする。
組織が根回しするにしても、捕まれば面が割れてしまう。
今後の任務に支障をきたし、下手をすると所属している組織にまで狙われる羽目に陥りかねない。
それはエージェントとして、烙印を押されるのと同義と言えるのだ。
目的地である埠頭が見えてきた。
敵はそこの倉庫群を借り受けている。銃器や実験に使う薬剤を密輸し、過剰分はこの国にばらまいているような奴らだ。
尋問やデータの裏付けでその行為は事実だと確証も得ている。
普通なら一個小隊規模で作戦にあたるような相手ではあるが、相手が相手だけにゴーサインは出ないであろうことはわかっていた。
倉庫群に拐われたホルダーや一般人はいない。
それはすでに確認していた。
手段を選ばず、殲滅を行う。
ただ、それだけだった。