壁の向こうに気配を感じた。
不思議なことに、その気配の次に至る行動が手に取るようにわかる。
これまでなら、俺のスキルであるソート・ジャッジメントが敵意を感知するだけだった。
しかし、今は相手の動きが予測できる。
タタタッ!
ドアに向けて発砲する。
気配が消えた。
新しい能力が芽生えたのだろうか。
そんなことをふと思ったが、今はどうでもいいことだった。
鈍い痛みが頭に走っている。
ホルダーの能力は、人の脳の限界点を突破するものだと聞いたことがある。
今の状態はソート・ジャッジメントが能力の限界を超えたものなのかもしれない。
そうであれば、脳が過負荷に悲鳴をあげているのだろう。
しかし、そんなことを気にしてはいられない。
斎藤の娘は薬剤を投与されて、脳に過剰な負荷を与えられて亡くなった。
わずか二歳の子供がだ。
脳の働きを活性化させるために射たれた薬剤は化学合成物。その効果は覚醒剤と何ら変わらない。
他にも犠牲になった人々は、わかる範囲だけでも数十人に達していた。
いずれも、脳に支障をきたして死亡している。
地下に囚われていた者たちは、全員が脳死状態に陥っていた。
悪魔の所業としか思えなかった。
相手が悪魔なら、俺も同じ悪魔になってやろう。
悪魔が悪魔に鉄槌を下すのだ。
誰にも邪魔させる気はなかった。
「確認されました。敵勢力は合計で52名。生存者はいません。」
「データや資料は?」
「すべて焼失。解析の余地はないようです。」
シャーリーは額に手をやり、ため息を吐いた。
「エージェント・ワンは?」
「行方不明です。」
「・・・誰が、
「エージェント・ワンから通信が入りました。」
「つなげて。」
シャーリーは慌ててインカムを装着した。
「状況は?」
「極めて良くない。」
エージェント・ワンの声を聞いた瞬間、シャーリーは戦慄した。
数時間ぶりに聞いた彼の声は、さらに感情が見えなくなっていたのだ。
これが生きた人間の声だろうか?
そう感じた時に、次の言葉が耳朶に響いた。
「どうした?様子がおかしいが、何かあったのか?」
「それはこちらのセリフよ。」
「声が震えているぞ。大丈夫か?」
「・・・ええ。それより、どういうつもりなの?」
「任務を全うした。力及ばず、データ類は焼失。それと、激しい抵抗を受けて応戦したら、全滅させてしまったようだ。」
「そのようね・・・あなたにしては珍しい失態だわ。」
「そうだな。単独任務では初めての失敗かもしれない。」
今も、耳に響いてくる声には感情の一欠片も感じることはなかった。
同じように彼の声をそれぞれのインカムで聞いている者たちは、皆揃って蒼白な顔をしている。
「この計画を主導した者の正体がわかった。」
「それは誰?」
シャーリーはエージェント・ワンの次の言葉を聞いて、まずい相手だと悟った。
「引き際かもしれないわね。」
「逆じゃないのか?」
「相手が誰だか、わかっていて言っているの?」
「わかっている。だが、この案件は闇に葬るべきだろう。表沙汰になれば国家の信用は転覆する。いくら他国が関わったことだとしても、その行為を自国で見過ごしてしまったことは糾弾されるだろう。」
「それは政治力で何とかできるわ。」
「忘れたのか?この情報をもたらしたのが誰なのかを。」
「それは・・・。」
エージェント・ワンには伝えていなかったが、亡くなった斎藤の妻は現内閣情報調査室の長である内閣情報官の長女だった。
その長女も、娘が誘拐された時に命を落としている。
これは、公私に渡る報復なのだと結論づけられた。このまま今案件を闇に葬ったとしても、あちら側に爆弾を突きつけられる可能性は大いにあるといえるのだ。
「知っていたの?」
「何をだ?俺はあくまで最適な処置を施すだけだ。」
「・・・わかった。ただし、あなたが失敗しても骨は拾わない。」
「それはいつものことだろう。」
「・・・そうね。」
そこでエージェント・ワンからの通信は切られた。
「・・・・・・・・・。」
様々な者たちを見てきた。
職業柄、いずれも人並外れたタフな者たちばかりだ。
しかし、シャーリーは初めてエージェントという存在に畏怖の念を抱くことになった。
「聞いていたのとは違いすぎる。どこが従順な駒なのよ。」