「この度は、うちの斎藤が世話をかけたようだ。」
雰囲気からすると元自衛官だろう。
初老に差し掛かった年齢だが、身のこなしを見る限りまだまだ現役のようだ。
「単刀直入に聞きますが、敵対する意思はありますか?」
相手は日本の内閣情報調査室だ。 経緯はどうであれ、今の時点で協力体制にあるわけではない。
「誤解はしないで欲しい。我々は君と事を構える気はない。」
「私個人に対して、ということですか?」
普通なら、『君の組織』とでも言うはずだった。
「斎藤の行動はすべて独断によるものだ。彼が君に手渡した物も回収する意思はこちらにない。」
「・・・・・・・・・。」
意図が読めなかった。
コムフィッシュの中身は、そちらの国にとってどうでも良い内容ではなかったはずだ。
「あれの中身は聞いているのかね?」
「ええ。」
「そうか。これは私の独り言だと思って聞いて欲しい。」
「・・・・・・・・・。」
「斎藤には娘がいた。彼の娘は君と同じような能力を持っていた。そして、あれに記録されていた犠牲者のひとりだ。」
コムフィッシュには、ある組織が行ったホルダーに対する人体実験についての記録が残っていた。 人道的にも容認されるべきではない実験だ。
「彼女はまだ二歳だった。残念ながら、我が国には対処手段がない。斎藤は復讐のために、あのデータを持ち出して君に渡したのだと思う。」
「なぜ私に?」
聞くべきではないと思った。
しかし、無意識に口に出してしまっていた。
「君がそういう人間だと彼は思っていたのだろう。」
「・・・・・・・・・。」
それ以上、会話を続けるのは危険だった。
俺はそのまま話を打ち切り、斎藤に会うことなく遺体安置所を出ることにした。
斎藤を直接死に至らしめたのは、彼のいた組織だと思う。
そして、それが彼の意図したものの可能性は高かった。
何らかの手段で成田空港に俺が立ち寄ることを知った斎藤は、コムフィッシュを持ち出して俺のバッグに入れた。
おそらく、最初から俺を巻き込むつもりだったのだろう。
彼のいた組織は、基本方針として国外での非合法活動を自粛していた。
あくまで、国防の一環としての性格が強い位置付けだからだ。それに反した場合、友好的だった国から圧力がかかってしまう。
仮に斎藤が独自で復讐に動いたとしても、海外でのバックアップは望めない。むしろ、敵を増やしてしまう可能性が考えられた。
だからこそ謀ったのだろう。
国の脅威を排除するという考えは組織的にもあったはずだ。結果的に斎藤と彼のいた組織が、互いに利用しあうことで同意したのではないかと思えた。
この国や俺の所属する組織に対しては、斎藤の命を絶つことでケジメをつけたという体裁が取れる。
あとは、情に絆された俺が何らかの行動に移り、コムフィッシュに記録されていることに結末を与えると考えたか。
馬鹿なことを考えたものだ。
エージェントやスパイを相手に、情の押しつけなど何の意味もない。
斎藤の命を賭した謀。 他人にも、自分に関係のない組織にも利用されるつもりはない。
それなのに、彼はなぜ俺を選んだ?
その理由が知りたかった。
駐車場の車に向かう途中で若い夫婦とすれ違う。
男性が抱きかかえた子供と目が合った。恥ずかしそうにチラチラとこちらを見ている。
二歳というとこれくらいだろうか?
子供のいない俺には正確にはわからない。
車のドアを開け、シートに体を沈める。
不意に何か堪えきれないものに襲われた。
悲しみ?
怒り?
それとも、別の感情か。
そう思った瞬間、俺の頭の中でカチッという音がしたように感じた。