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第67話 血まみれのゴミ




「もちろんボルトムが苦しむ姿をオルグに見せたかったからさ。いや、ゲオルグだけじゃない、エミーリアにも喜んでもらえるはずだ」


 クレマンは憎しみの入り混じる歪んだ善意を強調する。俺は今、初めてクレマンに対して恐怖の感情を抱いたかもしれない。こんなこと俺はもちろんエミーリアだって望んでいないはずだ。それを主張するようにエミーリアは1歩前に出てから首を横に振る。


「いいえ、今はもう復讐を望んではいません。少なくとも母を元の状態に戻すまでは未来だけを考える事にしたのです。ゲオルグさんとパウルさんの言葉によって」


 そしてエミーリアは母親を治す為になら外の世界を目指す覚悟すらあることを伝えた。それを黙って聞いていたクレマンは左手に浮かべている黒い三日月の紋章を少しだけ小さくしていた。いや、より正確に言えば黒の三日月が部分的に白く欠けたような感じだ。


 あの三日月は精神状態によって変動するのだろうか? だとしたら少なからずエミーリアの言葉はクレマンを揺れ動かしていることになる。


 だが、クレマンは表情を変えることなく俺とエミーリアを交互に見つめる。


「そうか、ゲオルグとパウルはエミーリアの復讐心すら白に塗り替えるか。真の勇者とは本当に凄いものだな。特にゲオルグの活躍と求心力は優れている。きっと後からゴレガードに駆けつけたグリーンベルの仲間たちもゲオルグの生き様に影響を受け、命懸けでお前を守りたいと思ったのだろうな」


「そんな大層なものじゃない。単に俺個人がエミーリアや町の皆と相性が良かっただけだ。パウルも同様にな。クレマンだってブレイブ・トライアングルに住む大勢の者から好かれている。だからどうにかして三日月の紋章の支配から抜け出せ! 勇者に戻れ!」


「悪いが勇者に戻ろうとも戻れるとも思わない。なんとか復讐心を抑えたゲオルグやエミーリアと違って僕はルーナスに支配を許してしまうぐらい心を黒に染めてしまった。異母兄弟とはいえゲオルグとは兄弟なのにどうしてこうも違ってしまったのだろうな? いやゲオルグだけじゃない。ジャス兄さんだってボルトムの血が流れているにもかかわらず立派な勇者だった。僕だけが根本的に弱い、僕だけが勇者になる資格がない」



――――違う!



 長々と弱音を吐き続けるクレマンに対し、大声で否定したのはパウルだった。パウルは激しく首を横に振って想いの強さを示す。


「ジャス兄はずっと『弟は立派な勇者になる』と確信していたぞ。ジャス兄には人を見る目がある。だからクレマンは絶対に勇者に戻れる、諦めるな!」


「……何故パウルが兄上のことをジャス兄と呼んでいる? 知り合いだったのか?」


「ああ、大好きで大尊敬する命の恩人だよ。今からオイラとジャス兄の出会いを教えてやるよ」


 そしてパウルは自分の正体を明かしつつ、かいつまんでジャスとの思い出、ジャスの死の真相を伝えた。


 クレマンはジャスの遺体が片腕を失っていた理由を『魔物に切られた』ものだと思っていたらしく、パウルに吸収させる為に自ら腕を切断したという事実に驚いてはいたものの納得はしているように見えた。


 そしてクレマンは再び三日月の紋章を少し欠けさせていた。やはり紋章の大きさは精神的部分が作用して変動しているように思える。


 右手で左手の紋章を軽く擦ったクレマンは一瞬だけボルトム王に蔑みの視線を向けた後、俺とパウルに苦笑いを向ける。


「そうか、だから雷撃のスキルを開花させたのか。まるでジャス兄さんのスキルのようだと窓から眺めていたが血肉を継承したと言うなら納得だ。皮肉なことに血だらけの父の前で兄弟3人が揃うこととなったのだな」


 3兄弟……言われてみれば確かにそうだ。今も生きていれば30代となる勇者ジャスの血肉を継承したパウルを長男とみるべきか、それとも三男とみるべきかは分からないが血が繋がっているのは間違いない。


 ボルトムの血というのが残念ではあるが共通項があるのは嬉しい。気付けば俺は笑っていた。


「兄弟だと言ってくれて嬉しいよ。なぁクレマン、今からでも3勇者の関係をやり直せないか?」


「……なんだと?」


「今はエミーリアも前ほどお前を憎んでいない。そして俺とパウルはお前と一緒に3勇者になりたいと思ってる。王を痛めつけたことは反省すべきだが、やらかしたことは徐々に償っていけばいい」


「相変わらずゲオルグは優しいな。だが何を言っても無駄だ。僕の罪悪感や嫉妬心はそんなに軽いものではない。それにもう自分の心が自分のものではなくなっていくような感覚がある。きっと、そう遠くないうちにルーナスの完全な傀儡となるのだろうな。だが、それも悪くないと思ってる」


「悪くないだと? 馬鹿を言うな! そもそも闇に堕ちたのはクレマンの意思なのか? それともルーナスに無理やりやられたのか?」


「……」


「答えろ!」


「答えるつもりはない!」


 真実が分からなくてもクレマン自身が答えたくない! と言っている以上、まだクレマンの意思が残っているという救いがある。ならば次に俺が問いかけるのは……


「だったら今から尋ねる2つの質問にだけは答えてもらうぞ。1つはお前が元に戻る方法はあるのかどうか。そしてもう1つはルーナスの真の狙いは何か答えてくれ」


「元に戻れる方法があるかどうかなんて僕が知った事ではないし戻るつもりもない。そしてルーナスの真の狙いに関しては僕も分からない部分が多い。だがヒントぐらいはある」


「ヒント?」


「恐らくルーナスには2つ大きな目的がある。1つはブレイブ・トライアングルの完全制圧と人間を絶滅させること。そして2つ目はゲオルグたちに勝った後、何かやりたいことがあるのだと推察している」


「どうしてやりたいことがあると思ったんだ?」


「ルーナスはしきりに言うんだ。制圧後が楽しみだと。そして制圧は難易度が高い大仕事だから、しっかり準備しないといけない。そういう意味では今日のゴレガードでの戦いは最終決戦と同じぐらい大事になるだろう……とな」


 今日の戦いでルーナスは右腕を失った一方、俺たちに死人はでていない。だから奴の言う準備とやらは失敗と考えていいのだろうか? もしくはパウルから聖剣アスカロンを奪うのが目的だったのだろうか?


 いや、いくらルーナスでも勇者ではない以上聖剣スキルは使えないはずだ。だとすると隙を見て聖剣を奪い、こちらを弱体化するのが狙いだった可能性も考えられるだろうか? いや、聖剣バルムンクはともかく聖剣アスカロンはパウルの覚醒を確信してなければできない芸当だ。


 正直訳が分からない。俺の頭でこれ以上考えても無駄だろうから後で皆と考える事にしよう。俺は俯いていた顔上げるとクレマンはボルトム王の肩に手を置く。


「じゃあ僕はそろそろ帰るとしよう。最後の戦いはフェアにいきたいから、こちらから日時を指定して攻めさせてもらう。互いの全勢力をかけた総力戦にしよう。ボルトムに関しては好きに痛ぶってくれ。血まみれになったゴミは明日にでも僕が回収しておく」


「血まみれのゴミ? 回収? ふざけるな! いつからお前はそんな汚い言葉を吐くようになった? 俺はボルトム王が……クソ親父が憎いし殴りたい気持ちがないと言えば嘘になる。だが筋の通らない暴力を振うつもりはない。それにまだクレマンと話したいことだってある。行かせないぞ!」


 クレマンを止めたい俺は手を伸ばす。この時、俺はクレマンが行方不明と聞かされた日、そしてグリーンベルの監視塔で扉越しに話をした日のことを思い出していた。


 クレマンと戦争なんかしたくないという気持ちはもちろんのこと、ここでアイツを見送ってしまったら何か途轍もなくマズいことが起きる…………そんな根拠のない、だけど確信に近い何かがあったからこそ過去を思い出していたのかもしれない。


 だが、俺の伸ばした手はクレマンに届くことはなかった。俺が数歩先に進んだ直後、何故か異様に体が重くなり、段差も何も無い床で躓いてしまったのだ。


 この体の重さは一体なんだ? 重力が増えたというよりは手足自体が重い感覚だ。後ろを見るとパウルも俺と同じように倒れており、エミーリアは俺より少しマシなものの立ったまま息を切らしている。


「な、何をした……クレマン」


 俺が這いつくばりながら尋ねるとクレマンは大きく溜息を漏らす。


「今日は戦わないと言っただろう。だから動きを止めただけだ。それにしても残念だ。3人ともボルトムを痛ぶるつもりはないらしい。これでボルトムの所有権は僕に戻ってしまったわけか」


「お、お前、まだボルトムを殴るつもりか? もう止めろ!」


「いいや、意識もないみたいだし殴らないさ。まぁ後処理は任せてくれ」


「え?」


 俺が間抜けな声を漏らした次の瞬間――――目の前で赤い血の花が咲いていた。クレマンが目にも留まらぬ速さで聖剣を振り抜き、ボルトムの首を刎ねていたのだ。


 這いつくばっている俺のもとに遅れて血の雨が降り注ぎ、更に遅れてボルトムの生首がころころと俺の顔の近くへと転がる。


 あまりにも無慈悲な一閃にパウルもエミーリアも言葉を失っている。俺だって憎き父親の生首が転がり、見開いたままの目がこちらを見ている状況に言葉が出ない。生首が床に落ちる音と新鮮な血の匂いに吐き気が湧いてくる。


 辛い……辛い……辛い……。だが、何より1番辛いのはクレマンを止められなかった事だ。クレマンは剣を払い、刀身に付いた血を扇状に飛ばすと倒れている俺に視線を向けて肩を竦める。


「これでスッキリしただろう? エミーリアの母グロリアもジャス兄さんも喜んでいるだろう。だが1番喜んでくれているのは無理やり子を宿された挙句殺されたリーサさんだろうな。息子のゲオルグもそう思うよな?」


「ハァハァ……喜ぶわけねぇ。きっと辛い顔をするはずだぜ、今のクレマンみたいにな」


「なに?」


 疑問の声を返しながらもクレマンは自身の右目に手を当てる。それは自身の右目から大量に涙が溢れていることに遅れて気が付いたからだろう。まるで肉体の半分だけ人間性が残っているかのようだ。


 涙を止めてやると言わんばかりに右目を閉じたクレマンは乾いた笑いを浮かべる。


「ハハ、腐っても親だったからか。父上に優しくされたことなんて片手で数えるほどしかないが、それでも0ではないからな。家族が減って悲しいのか、一線を越えたから悲しいのか自分でも分からないな。フッ、悲しみの理由が分からないのも魔物らしくていいかもな」


 自分を納得させるように呟いたクレマンは俺の制止もむなしく窓から去っていってしまう。


 クレマンが元に戻るのかどうか、俺にはもう分からない。だが、諦めるのだけは無しだ。とにかく最終決戦に向けてやれることをやるしかない。


 クレマンがいなくなり5分ほど経ってからようやく歩けるぐらいまで回復した俺は仲間たちに指示する。


「とにかく辛くて長い1日だったが皆よく頑張ってくれた。今後のことはグリーンベルに戻ってから考えよう」


 仲間たちは頷き、俺たちは疲弊した体でゆっくりと歩き出す。大勢の家族が待つグリーンベルへ。





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