「ハァハァハァ……お、遅かったのう、ゲオルグ。フーッ、フーッ、ま、魔王は撃破できたのか?」
俺に尋ねるローゲン爺ちゃんの体力は限界に近く、右肩からの流血も痛々しい。だが、苦しんでいる爺ちゃんとは対照的に治癒術士3人は疲弊しているものの怪我どころか服すらほとんど汚れていない。
爺ちゃんが完璧に守りつつ治癒術士たちがしっかりとヒールやエナジーヒールを掛けてくれていたことが伺える。爺ちゃんが年寄りとは思えない化け物じみた強さを持っているのは知っている……だから大群を抑えていても驚きはしないし俺も信頼して任せた。
むしろ俺が驚いたのは攻撃の要である右肩……しかも前面を怪我している点だ。集団戦だから後ろや側面からの不意の一撃で怪我をしたのなら分かるが前面から受けるなんて達人の爺ちゃんらしくない。何か訳があるのかもしれない。
「爺ちゃん、その怪我は?」
「実は毒性の強い魔物の返り血が数滴ほど右肩に当たってしまってな。毒の進行を止める為に接触部部の皮膚を自ら削ったのじゃ。と言っても気付くのが遅れて毒が少し全身に回り始めてしまったがのぅ」
魔物の中には一部、血が空気に触れると毒性を強める性質を持つ個体もいるとエミーリアから聞いたことがある。きっと爺ちゃんは運悪く特殊な個体に遭遇してしまったのだろう。
連戦と毒と出血で爺ちゃんの限界は近い。ここは俺とパウルが頑張るしかないだろう。俺とパウルが武器を構えると爺ちゃんは両拳を構えて問いかける。
「計算するのじゃゲオルグ。お前たちの残り体力だと魔物を何匹倒せる?」
「そうだな、ぶっちゃけると俺もパウルも相当疲れている。だから2人足しても800匹が限界ってところかな。爺ちゃんは?」
「ワシは数というよりも毒による時間制限が厳しい。戦えるのは残り7,8分といったところじゃな」
「そうか、じゃあさっさと片付けちまおうぜ!」
そこからは疲れとの戦いだった。目の前に迫る敵を斬り、殴り、投げ飛ばし、できるだけ効率の良い戦い方を続けたものの5分もしないうちに俺たちの動きは悪くなり始めた。
特に爺ちゃんの動きはかなり遅くなっている。もう退かせた方がいいと判断した俺は爺ちゃんの左肩に手を置いた。しかし、爺ちゃんは弱々しく俺の手を払うと北方向を指差す。
「移動する体力が残っているうちにゲオルグとパウルはクレマンの所へ行け。待たせておるのだろう?」
「爺ちゃんはどうするつもりだ? 一旦、魔物をおいて撤退か?」
「いや、そういうわけにもいかぬ。ジニアとルーナスがいない現状、
そう告げた爺ちゃんは俺の
しかし、爺ちゃんは何故か突然身に纏う魔力を弱めて構えを解くと頭をポリポリと掻き始める。
「あー、今の宣言は無しじゃ。やっぱりワシは無茶をせずほどほどに戦うとしよう」
ギャグかと思うほどに前言撤回が早くて俺は思わず、すっ転びそうになった。爺ちゃんじゃ一体何を考えているのだろうか。
「な、なんだよ心配させやがって。自爆か特攻でもする気なのかとヒヤヒヤしたぞ。考えが変わる何かがあったのか?」
「お前の言う通り自爆覚悟だったのだがな。その必要がなくなった。命令違反上等のバカ共が駆けつけたおかげでな。ほら、よく耳を澄ませ、お前にも聞こえるじゃろう」
「え?」
俺が素っ頓狂な声を漏らした直後、前方の奥の方にいる魔物たちが突如、熱した油のように宙へ吹っ飛び始めた。それと同時に何か巨大な岩のようなものがゴロゴロと転がる音が俺たちの方に近づいてくる。
危険が迫っていると思った俺は聖剣を構えたが、それは無駄に終わる。何故なら魔物を吹き飛ばしながら現れたのはグリーンベルの大切な仲間テンブロル君だったからだ。それに追従するように武器屋のワイヤー、ゴブリンのカリー、教師のハンドフ、エミーリア、そして20名を超える腕利きの戦士たちが戦っていたのだ。
爺ちゃんの言っていた『命令違反上等のバカ共』とはグリーンベルで待機を命じられていた仲間たちだったようだ。彼らは体力の減っている俺たちとは違い、活き活きと暴れまわっている。
――――ログラーの防具より圧倒的に優秀なワシの弓を見せてやるぞい!
――――キキィィ!! ワタシ、パウルタチ、マモル!
――――ゲオルグは強いけど、昔から無茶するところがあるからね。援護しに来たよ!
町の仲間たちが好き放題に喋りながら戦っている。本来は戦闘要員ではないワイヤーとハンドフも遠距離武器や目潰し用の粉塵で自分なりの戦い方を見せている。
本当に厳しい状況の中、大好きな仲間たちが駆け付けてくれた事実に少し泣きそうになっているとエミーリアが俺の横に並び、ナイフを構える。
「私も命令違反仲間として精一杯ゲオルグさんたちを守りますよ」
「エミーリア……本当に助かったよ。だが、ヨゼフたちに怒られなかったのか?」
「自分たちもやっぱりゴレガードに行きたいと言ったら、しっかり怒られましたよ。ですが誰も本気で止めにくる人はいませんでした。きっとそれが答えなのだと思います。みんなゲオルグさんたちが好きですから」
俺たちを信用して送り出してくれた事、それでもやっぱり心配で駆けつけてくれた事、その全てが堪らなく嬉しい。シーワイル領に来て本当に良かった。
「ありがとな、皆」
色んな想いが込み上げてきて照れくささから少し小さな声で呟いた俺は最高の仲間たちと共に魔物の群れへと突っ込んでいく……そして――――
※
「ハァハァハァ……俺たちの勝ちだ!」
俺は聖剣バルムンクを掲げ、仲間たちは大歓声をあげる。
遂に死線を乗り越えたのだ。凄まじい達成感と疲労感に堪らず地面へ座り込む。視線を横に向けるとエミーリアが爺ちゃんの怪我と毒の進行を確かめていた。
「両手と右足を骨折していますね。それに毒も回っていますからローゲンさんだけは暫くここから動かない方がいいでしょう。これから私たちはどう動きますかゲオルグさん?」
「一部の人間をここに残し、それ以外は城へ向かおう。謁見の間でクレマンが待っている。そこに着くまでの間、今日起きた出来事を……パウルの過去を皆に伝えるよ。それでいいかパウル?」
「うん、オッサンに受け入れてもらえたんだ。オイラにはもう怖いものはないよ」
「そうか、じゃあ行こう。クレマンの元へ」
そろそろ夕陽が沈む時間が迫る頃、俺たちはゴレガード城へと歩き出す。その間に話したパウルの過去は全員を驚かしたものの想像通りパウルを非難する者、気持ち悪がる者は1人もいなかった。
魔物だからなんだ? とでも言わんばかりに受け入れて話を終わらせた仲間たちはその後、どうやって俺たちの後を追ってきたかを教えてくれた。
町民と少し揉めてから追いかけてきてくれたエミーリアたちは俺たちより半日ほど遅れてグリーンベルを出発した後、睡眠時間を削って移動して間に合わせてくれたらしい。
今回、最低限の町の防備を確保する為にどうしてもここに来られなかった仲間たちも沢山いたらしく、彼らもまた共にゴレガードで戦いたい意思は強かったようだ。一部の者はコイントスで出発するメンバーを決めたらしい。
ワイヤーはコイントスで負けた防具屋ログラーをめちゃくちゃ煽り、一方でエミーリアは医師エノールに対し誠意を込めて『私をゲオルグさんの元へ行かせてください。どうか町の医療をお願いします』と懇願し、了承をもらったそうだ。正直、ワイヤーの大人げなさに笑いが止まらない。
そんな馬鹿な会話をしながら俺たちは城門を開いて城の中へ足を踏み入れる。当たり前だが人間の姿は無く、恐ろしく静かだ。もしかしたら魔物が待ち伏せしている可能性もあると覚悟していたけど魔物すら1匹も見当たらず静けさを加速させている。
俺たちは2階への階段を上がり、謁見の間の前にある長い廊下に到着する。そこは灯りの1つすらついておらず、夕陽が完全に沈んだこともあり足元が見えない程くらく不気味だ。
だが、1番不気味なのは長い廊下の奥から滲み出ている魔力だ。いや、魔力だけじゃない……オーラとも言うべき圧力が離れた距離ながら五感を超越して伝わってくる。間違いなくクレマンが奥の扉の先にいると確信できる。
俺は廊下を歩く前に後ろを振り返って告げる。
「この先に間違いなくクレマンがいる。姿形は変わらずに心だけが変わってしまったクレマンがな」
一部の人間を除き、皆の目に最後に映ったクレマンは真っ当な勇者だ。だから扉の向こうにいるクレマンを見たらかなりショックを受けるだろう。
同時にクレマン本人も愛する民衆に変わりきった姿を見られたくはないのではなかろうか? ましてや俺との対面だ、闇に堕ちたことを抜きにしても自我が出てしまうだろう。
ならば、一旦は俺とパウル、そして因縁のあるエミーリアの3人だけで会った方がいいのではなかろうか? 提案しよう。
「みんな聞いてくれ。ここからはひとまず俺とパウルとエミーリアだけで中に入らせてほしい。万が一、戦闘になったらすぐに助けを呼ぶと約束する。だからここはひとまず俺とパウルにエナジーヒールをかけて見送ってくれないか?」
クレマンは『今日はまだゲオルグと戦うつもりはない』と言っていた。だが念には念をいれておくべきだろう。俺がお願いすると仲間たちは深く理由を追求する事もなく頷きを返し、エナジーヒールを放てる者は回復してくれた。今はこの気遣いがとてもありがたい。
体力の回復量は少なく5%程度だろうか。エナジーヒール自体が効率の悪い魔術なうえに回復してくれた人数が少ないのが要因だろう。加えて俺と彼らとの間にある力量差・体力差が響いてしまっているのかもしれない。
正直不安な回復量だが来いと言われた以上、クレマンを無視したくない。俺たち3人はゆっくりと扉を開けて謁見の間に足を踏み入れる。
足元の赤い絨毯を辿るように視線を上げると奥にある玉座の横にはクレマンが立っていた。そして玉座の上には体を縄で縛られて顔をボコボコに腫らした初老の男が虚ろな目で座っており、顔から滴り落ちる血は赤い絨毯をより赤く染めている。
玉座に座っている初老の男は直接会ったことはないが俺はあの男……奴のことをよく知っている。奴の見た目は肖像画や新聞の姿絵などで何度も見てきた。
金色に輝く髪、クレマンに似た少し垂れた大きな目と深い青の瞳、少しやつれていて顔も腫らしているけれど間違いない。俺がずっとぶん殴ってやりたいと思っていたボルトム王だ。
だが何故今、ボルトムは拘束されているのだろうか? よく見ればクレマンの拳が少し血で滲んでいる。間違いなくクレマンが殴り、拘束しているのだろう。色々思うところはあるが、まずは声を掛ける事にしよう。
「よう、クレマン。約束通り謁見の間に来てやったぜ」
「やあ、ゲオルグ。窓から見ていたが無事ルーナスを撃退し、魔物の群れも討伐したようだな。とりあえず一安心だ」
「……挨拶はここまでにしよう。お前はどうして王様を痛めつけているんだ? お前自身闇に堕ちたとはいえ家族であり王だろう?」
ごく当たり前の疑問を投げかけるとクレマンは人を痛めつけたとは思えない爽やかな笑顔で両手を広げる。
「もちろんボルトムが苦しむ姿をオルグに見せたかったからさ。いや、ゲオルグだけじゃない、エミーリアにも喜んでもらえるはずだ」