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第63話 血肉(パウル視点)




 ルーナスとジャス兄の戦いは始まりから瞬きするのを忘れるぐらい激しかった。ラグナロクによる中・遠距離攻撃と聖剣による近接攻撃を交互に繰り出して休む暇を与えないジャス兄に対し、ルーナスは流麗な体術と水・風属性魔術による防御で大きなダメージを避け続けていたんだ。


 結果、2人は10分以上小さなダメージを積み重ねていた。恐らくジャス兄の方が少し押していたと思う。贔屓目かもしれないけど全力のジャス兄は本当に強かった。聖剣を手にした今のオイラでも敵わないレベルだし、オッサンに匹敵する強さを持っていたと思う。


 少しずつ息を切らして動きも荒くなっていくルーナスを見たオイラはきっと勝てる! と思った。だけど突然戦闘態勢を解除したルーナスは背を向けて歩き出し、ジニアの肩に手を置いたんだ。


「ふぅ……やっぱりジャス君は強い。それに戦いに挑む目が本当に真っすぐだ。不愉快なオイゲンを思い出すほどにね。このままじゃ私は死ぬまで戦い続けてしまう。だから後処理は君に任せて帰ることにするよ」


「任せてくださりありがとうございます魔王様。魔王様が戦っている間に増援を呼んでおきました。ですので僕たちだけでも100%ジャスを葬ることができるでしょう」


「流石だね、それじゃあ頑張ってね。かなり体力は削ったけれど、それでも相手は歴代でも指折りの勇者だ。油断しないようにね」


 そう告げたルーナスは丘から飛び降りてしまった。当然、ジャス兄は慌てて追いかけようとしたけれど両手を広げたジニアが行く手を阻んだ。


「追わせませんよ。ここからは僕と……いや、僕たちと楽しみましょう。さあ、我が配下たちよ出てきてください! 目の前の勇者と兵士たち、ついでに雑魚スライムとゴブリンも殺してしまいなさい!」


 ジニアが命令すると丘の下から続々と魔物の群れが現れてオイラたちに襲い掛かってきたんだ。ジャス兄と兵士たちは必死になってオイラとガブを守ってくれていたけど魔物の増援は止まらなかった。


 とうとう聖剣でフラつく体を支え始めたジャス兄は近くの兵士に尋ねたんだ。


「ハァハァ……増援は……まだ来ないのかい?」


「それがいくら信号弾を打ち上げても一向に駆けつける気配すらないのです。残り2班もそこまで遠い位置にはいないはずなのですが……まるで我々を無視しているかのように」


「……そうか、向こうでも何かトラブルがあったのかもね。もしくは僕のことが嫌いな父上が……いや、何でもない。じゃあ僕たちは残り僅かな戦力で窮地を脱しなければいけない訳か。それなら――――」


 何かを思いついた……というより決心したような表情を見せたジャス兄は兵士たちとオイラとガブを手招きし、ジニアに聞こえないよう小声で「僕が剣を振り回す姿勢をとったら、全員地べたに倒れておくれ」と言い残し、単身魔物の群れの中心へと走り出したんだ。


 何をするつもりかさっぱり分からないけどジャス兄の言うことなら信じられる。だからオイラは剣を振り回す瞬間を見逃さないよう凝視していたよ。そして一際大きく体を捩じったジャス兄は聖剣に魔力を込めた。


「ラグナ・サークル!」


 そうジャス兄が叫んだ瞬間、回転斬りから円盤のように水平な雷撃と風の刃が広がったんだ。その刃はオイラたちの頭上を高速で駆け、周囲の魔物と木々を一瞬にして両断し、呑気に観戦していたジニアの右腕にも深い傷を負わせたんだ。


「ぐあああぁ!」


 呻き声をあげてよろけたジニアは堪らず片膝をついていたよ。ジニアは数秒後に頭を上げた時、視界一面に魔物死体が転がっていたから心底驚いていたよ。いや、オイラだって声を失うぐらい驚いていたさ、だって限界だと思っていたジャス兄にまだこれだけの力が残っていたのだから。


 一気に魔物が消えて敵はジニア1人になったからオイラたちは勝てると思った。でも、ラグナ・サークルを放ったことでジャス兄はもう限界が近づいていた。ジャス兄は両膝をついて聖剣を落としてしまったんだ。


「ぐっ……手足に力が……あとはガーゴイルだけなのに……」


 数だけでみればジニア1人に対して、こちらは人間5人と魔物2匹だから有利だ。でも、まともな戦力はジャス兄だけで残ったオイラたちではガーゴイル相手に勝てるわけがない。


 顔に血管を浮かばせたジニアは「チッ、手間をかけさせないでください。もう殺してさしあげますよ」と呟き、ジャス兄の前まで移動して魔力を込めた左手を向けた。


 このままじゃジャス兄が殺される! 正確に言えばここにいる全員が殺されてしまう危機的状況だったけど、その時のオイラにはジャス兄を助ける事しか頭になかった。


 だけど非力なオイラに出来ることなんて……ジニアの顔を見上げながら悲観していたけれど、それでも必死に頭を捻った。そして思いついたんだ、ジニアがジャス兄のことしか見ていない今だからこそできる攻撃を。


 オイラは足の無いスライムの特性を活かして静かにジニアの後ろへ回り込んだ。頭に血の昇ったジニアに加えて雨音がうるさい状況はオイラの味方をしてくれていたと思う。


 無事に気付かれず後ろへ回り込んだオイラはジニアの首に飛びつくとありったけの力を込めて首に噛みついたんだ。


「ぐええぇっ!」


 潰されたカエルみたいな声を出したジニアは首から大量の血を流していた。1噛みで振り落とされてしまったけれど筋肉と皮の薄い部分に狙いを定めて不意を突けばオイラでも強敵にダメージを与えられるという事実は嬉しかった。でも、半端なダメージは奴を一層怒らせるだけだった。


 ジニアはジャス兄に向けていた魔力を込めた左手を今度はオイラに向けたんだ。命を懸けてジャス兄を救うつもりだったけどオイラに出来た事は僅か十数秒の時間稼ぎに過ぎなかったわけだ。


 流石に死を覚悟したよ。だけど結果的にオイラへ魔術が放たれる事はなかった。頼もしい親友がいたから。


「パウルくんは殺させない!」


 あと数秒でオイラが殺されるというところでガブがジニアの膝裏にタックルをぶちかましたんだ。どんな屈強な人型生物でも膝裏を強く押されれば絶対に姿勢を崩すものだ。それはジニアも例外ではなく見事に両膝を地面についた。


 そしてガブのタックル以上に驚くことが起きた。それは目の焦点すらまともに合っていないジャス兄がガブのタックルと同時に聖剣を握り、凄まじい速度でジニアに斬りかかったんだ。


 聖剣にはラグナ・サークルの時より更に強い雷を纏っていて、それ以上にジャス兄の気迫が凄かった。両膝を着き、硬直せざるをえないジニアは情けない顔で大口を開けていたよ。


「や、やめろぉぉ!」


「ラグナ・スラッシュッッ!」


 斜めに振り下ろされた命懸けの雷撃一閃はオイラの目では追えない速度だった。気が付けばジニアの持つ4枚の翼は上側の2枚が斬り落とされて刀身はジニアの背中にまで食い込んでいたよ。魔物特有の紫の血は滝のように流れて止まらなかった。


 ジャス兄は本当は多分頭部を狙っていたのだと思う。あの状況でも上半身をずらして死を避けたジニアは敵ながら大した生命力だ。


 未だに足へしがみついているガブを蹴飛ばし、宙に浮かんで距離をとったジニアはこの世のものとは思えない激怒の相でありったけの魔力を両手に込め、オイラたちのいる大地に向けたんだ。


「フーッフーッ! もう許しませんよ死にぞこない共め! 私の魔術でまとめて吹き飛ばしてあげましょう!」


 オイラたちにはもう逃げ場はない。今度こそ終わりだと流石に覚悟を決めたけど、ジャス兄だけは戦闘態勢を解かなかった。後ろで震えるオイラを優しい目で数秒だけ見つめたジャス兄は聖剣を両手に持って横一文字に構えた。


「パウル君、ガブ君、君たちの勇気はやはり勇者そのものだ。先輩勇者として君たちを守るのが僕の最後の仕事になりそうだが、これほど名誉なことはないよ」


「なに言ってんだジャス兄? ジャス兄だけでも逃げてくれよ」


「…………」


 オイラの願いをジャス兄が聞き入れてくれることはなかった。命を懸けてオイラたちを守るつもりなんだって無言の背中から察したよ。オイラはただ泣く事しかできなかった。その間にもジニアは魔力を増大させて……


「消えなさい! エクスプロージョン!」


 家のように大きな火球を放ったんだ。その火球に対しジャス兄はありったけの風魔力を解き放ち


「ウィンド・ウォール!」


 分厚い風の壁でオイラたちを包んでくれたんだ。だけど、魔力はジニアの方が明らかに上だった。連戦と大技で疲弊したジャス兄に防御魔術は厳しかった。結果、火球と風壁が激突した瞬間に壮絶な爆風が襲い、オイラたちは丘の下の森へと転落してしまったんだ。


「うぅぅ……」


 死んだと思ったオイラはまだ体に痛みがあることに驚き、呻き声をあげつつゆっくりと瞼を開いた。するとオイラの体は地べたに倒れるジャス兄の両腕に包まれていたんだ。


 爆発によって聖剣をどこかに落とし、全身を怪我し、額と口から大量の血を流していたジャス兄は今にも死んでしまいそうな状況にも関わらずオイラに笑顔を向けた。


「……よかった……パウル君は軽傷のようだね。それにガーゴイルとも距離がとれたようだ。ハハ、不幸中の幸いってやつだね」


「も、もう喋るなジャス兄! すぐに薬草を持ってくるから……いや、止血が先か? うぅ、どうすれば……」


「ぼ、僕のことはいい。もう自分でも助からないと分かっているから。フゥフゥ……それより……ガブ君は無事かい?」


 認めたくはないけど直接庇われたオイラと違って、まともに爆風に巻き込まれたガブは恐らく生きていないと思う。だけど、ガブが死んだと伝えるのが辛くて……ジャス兄を安心させたくてオイラは嘘をついていたんだ。


「ガブも兵士の皆も転落したものの無事だぞ。だからジャス兄も諦めるな。みんなでゴレガードに帰ろう」


「ふふっ……ゴレガードに行こうじゃなくて帰ろう……か。勇者を目指そうという僕の誘いを受けてくれたと思っていいのかな?」


「ああ! 勇者にでも何にでもなってやる。だから死ぬな、ジャス兄!」


「わ、悪いけど死だけは避けられそうにない。だから死にゆく僕の為、パウル君には最期の願いを聞いて欲しい」


「最期の願い?」


 オイラが問いかけるとジャス兄は自身の右手をオイラの口元と移動させて呟いた。


「ドレイン・スライムはあらゆるものを吸収できる可能性の塊だ。だからパウル君に僕の体を吸収してもらって力を継承したいんだ」


「は!? 何言ってんだ、友達を食い殺すなんてそんな……できるわけないだろ!」


 オイラは泣きながら顔を横に振ったよ。それでもジャス兄はオイラの涙を指で拭い、とびっきり温かい笑顔で言った。


「僕はパウル君、ガブ君、そして弟たちが生きていく世界を守りたいんだ。1%でも多く守れる確率を上げたい。だから頼む……僕の血肉で世界を、弟を、君たち自身を守って欲しい」


 ジャス兄はとっくに死ぬ覚悟ができている。それでもまだオイラはジャス兄の命を諦められなかった。だから非力な体で必死になってジャス兄の服を噛んで引っ張り動かそうとしたんだ。


 だけど歩みは亀のように遅くてジャス兄の出血は止まらない。頭上を覆う木々の更に上空では転落したジャス兄を探しているジニアが「どこに消えた? 出てきなさい!」と怒号をあげている。


 もう時間がない。ジャス兄の目からも光が消えかけているし覚悟を決めるしかないんだ。オイラは大きく深呼吸してジャス兄の肩に噛みついたよ。だけど、肉を削られたジャス兄の呻き声で躊躇してしまってすぐに牙を引っこめてしまったんだ。


「うぅぅ……やっぱりオイラには食べられないよ。それにガーゴイルも近くを飛んでいる。もう食べている時間もないよ」


「……もう耳もそんなに聞こえなくてガーゴイルの羽音も聞き取れないけど、そうか、近くを飛んでいるのか……だったら少し妥協するしか……ないね」


 オイラは自分の目を疑ったよ。何故ならジャス兄は腰から短剣を抜いて自身の右腕を切り落としてしまったんだ。


「ぐあああぁ!」


 ジャス兄の右腕……正確に言えば肘より先がドサりと地面に落ち、夥しい量の血を流したジャス兄は左手の指で落とした右腕を指差した。


「これ……なら……僕が死んだ後も咥えて運べる……よね? ドレイン・スライムの吸収は死体でも効果が……あるはず……だ。こいつを咥えて安全な場所まで逃げるんだ。そこで僕の腕を……」


「やめろ、もういい。分かったから……喋らないでくれジャス兄!」


「今までありがとね……パウル君。これで安心して……眠れる……よ」


 最後まで言葉を言い切ったジャス兄の左手はしおれた枝のように力なく地面に落ちた。何度も限界を超えて戦ってきたジャス兄の命が本当に終わってしまったんだ。


 オイラはジャス兄の願いを叶える為に腕を咥えて走ったよ。死を悲しみたかったけど泣いている暇なんかなかったからただただ必死に走った。今思うと血の滴る腕を運んでいたにも関わらず血痕でジニアに見つからなかったのは雨が血を流してくれていたからかもしれない。


 オイラはジニアに見つからないよう近くの洞窟に入り、ひたすら奥へ奥へと進んだんだ。そしてジャス兄の遺してくれた腕を喰ってみせた。


 するとオイラの体はジャス兄のような大人の体……にはならなかった。肉質はスライムのままで体型は人間の4歳児ぐらいになってしまったんだ。だけど、以前よりも強く、質の違う魔力を手にしたのはすぐに分かったよ。


 これがジャス兄の魔力なんだって嬉しくなったよ。それと同時に腕を喰っただけの吸収は不完全なものなのだと理解できた。


 だからオイラはジニアたちが完全にいなくなるであろうタイミングを見計らってジャス兄の遺体がある場所に行ったんだ。理由はもちろん全身を喰って完全に力を継承したかったからだ。


 だけど、そこにジャス兄の遺体は残っていなかった。確かゴレガードの報告によると別の調査班がジャス兄の遺体を見つけて弔われたらしい。


 遺体が消えた以上、もう完全な吸収はできないのだと焦ったよ。だけど、オイラが尊敬して背中を追いかけてきたジャス兄は努力の人だ。僅かでもジャス兄の血肉を分けてもらったオイラなら頑張り続ければきっと完全な人間になって強くなれる……そして勇者にだってなれる。


 そう信じてオイラは努力を続け、少しずつ肉体を人間に変化させてから旅立ったんだ。聖剣を求めて破邪の大岩へ。





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