あれは12年前の春だったかな。グリーンベルから南西方向にあるオルクス・シージのとある森の中――――そこでオイラの体が魔物から人間になるきっかけとなった事件が起きたんだ。
気持ち悪がらずに聞いて欲しいのだけど当時のオイラはドレイン・スライムと呼ばれるスライム種の1匹だったんだ。姿形は普通のスライムとほとんど変わらない球体状、サイズは人間の頭2つ分くらいで半透明の青いジェル状の体、目は点のように小さいガラス玉みたいな感じって言えば分かりやすいかな。
いま挙げた特徴だけなら見た目は普通のスライムと差異はないけど1つだけ違うところがあって、それが猫っぽい犬歯だ。人間になったオイラも少し八重歯が目立っているのはもしかしたらドレイン・スライムだった頃の名残なのかもしれない。
そんなオイラは森の中で墓に祈りを捧げていたんだ。埋葬されているのはオイラの母ちゃんで2日前に人間に殺されたんだ。父ちゃんも1年前に人間に殺されていたからオイラは天涯孤独の身になってしまったわけさ。
だけどオイラにはゴブリンの友達がいて、あの日もオイラの隣に立って墓に手を合わせてくれていたんだ。名前は『ガブ』……オイラと同じようにまだ子供で人間サイズで言えば4歳児ぐらいの小さい体だったけど冷静で思いやりのある友達でさ。丸っこい目と温かい黄緑色の体、そしてのんびりとした喋り方はガブの性格を強調していたように思うよ。
そんなガブは祈りを終えると、いつものようにオイラを心配してくれたんだ。
「パウルくん、お母さんの事は残念だったけど、もう墓参りは最後にした方がいいよ。ここはブレイブ・トライアングルとの境界線だからいつ人間に見つかってもおかしくない。早く帰ろうよ」
ガブの言っていることは正論だった。実際、母ちゃんが殺されたのだって境界線を広げたい人間側の侵攻に巻き込まれた形だったから。だから本当は母ちゃんの遺体をもっとオルクス・シージの奥に運んでから墓を作らなければいけなかったんだ。
だけど子供のオイラに母ちゃんの体を運ぶ力なんてないから、ここに墓を作るしかなかったんだ。墓を守る為にも動くわけにはいかなかった。
「いいや、オイラは意地でもここから動かないぞ。それに、そこに落ちている人間のメモ帳を読んでみろよ。次のオルクス・シージ侵攻は半年以上先って書いてあるぞ」
オイラは顔を動かしてメモを見るようガブに促した。しかし、ガブは首を横に振って肩を竦める。
「ま、待ってよパウルくん。僕は
ドレイン能力って言葉にあまり聞き馴染みがないと思うから説明しておくよ。ドレイン能力は半液体・半固体の肉体だからこそ扱える吸収スキルなんだ。
無機物・有機物問わず肉体に取り込めば取り込んだ物の性質や情報をいくらか自分のものにすることができる能力でさ、オイラが他のスライムと違って犬歯があるのは狼系の魔物を喰った名残だ。同様に人間の文字が若干読めるのも人間が落としていった本やメモなどを体内に取り込んだからなんだ。
オイラにとっては物や生き物を取り込むのは日常だから、うっかりガブが文字を読めないことを忘れてしまっていたわけだな。
「ああ、そうだったな、すまないガブ。オイラが読んだメモの持ち主はどうやらマナ・カルドロン兵らしくてさ。オルクス・シージ侵攻任務はコストが大きくかかってしまうから次の侵攻は半年先なんだってさ」
「なるほどね。それでも不意に兵士以外の人間が来る可能性だってある訳だから、やっぱり早くここを離れるか、遺体を運ぶ手を考えようよ」
「……そうだな。分かった、じゃあ他の力持ちな魔物に手を借りられないか頼んでみるよ。食糧を差し出して交渉すれば手を貸してくれる魔物もいると思うし」
それからオイラとガブはオルクス・シージの奥へと戻り、色々な魔物に墓の移転を頼んだんだ。だけど、ブレイブ・トライアングルが近いからって理由で誰も助けてくれなかった。オイラとガブは再び墓の前に行って途方に暮れていたんだ。
「……上手くいかないね、パウルくん」
「そうだな。あと10日もしないうちに母ちゃんの体も腐り始めるだろうから、ここを墓にするしかなさそうだ。付き合ってもらったのにごめんな、ガブ」
「謝らなくていいよ。勝手に手伝っているだけだからね。だけど、やっぱり墓はもう諦めた方がいいよ。遺体が埋まっていない墓でもパウルくんの想いはお母さんに届くはずだし、それに……あっ!」
優しい言葉で説得してくれていたガブが突然、オイラの後ろを指差しながら驚きの声をあげた。何かと思い後ろを振り返った時には既に遅くて、オイラの体は知らない男の手に掴まれていたんだ。
その男は魔物のオイラでも分かるくらい盗賊らしい恰好をしていたよ。顔を布で隠していて、部下と思わしき2人の青年も同じ格好をしていたんだ。オイラを掴んだ盗賊のリーダーは骨董品を目利きするようにオイラをまじまじと見つめると汚い笑い声をあげた。
「ぎゃはは、面白れぇ。種族の異なる魔物同士が会話してるぜ? それに、このスライム……犬・猫みたいな牙が生えてやがる。学者連中に見せたら金になりそうだ。よし、持って帰るぞ、テメェら」
そう告げた盗賊はオイラを両腕でガッチリとホールドして来た道を帰ろうと踵を返したんだ。この時、オイラは自分が馬鹿だと悟ったよ。
人間も魔物と同じように色んな奴がいて住む場所もバラバラだ。メモ帳を落とした兵士が半年間オルクス・シージに来なかったとしても他の奴が来る可能性なんていくらでもある。人間はいくつも集落や組織を持っていて個別に動いていることすらオイラは想像できなかったんだ。ガブも忠告してくれていたのにさ。
だけど、幸いなことに盗賊の狙いはオイラだけでガブには興味ない。だからこのままオイラだけが連れ去られればガブには迷惑をかけずに済む。そう思っていたけれどオイラはガブの優しさと勇気を見誤っていたんだ。
「パ、パウルくんを離せぇっ!」
今まで目の前で1度も叫んだことの無いガブが叫び、盗賊のリーダーに殴りかかったんだ。腰を殴られたリーダーは一瞬よろけたけど、小さくて体重も軽いガブのパンチじゃ大したダメージは与えられなかった。
結果、怒らせるだけになってしまったガブはリーダーの蹴りを喰らい、鼻から血を流して地面をゴロゴロと転がる事となった。
「うぐっ……うぅ……あ、諦めないぞ、パウルくんを離せ……」
ガブは力の差が歴然だというのにそれでも震える足で立ち上がったんだ。オイラは「もういい! やめてくれ!」と叫んだけどガブは構えた拳を解かなかった。そんなガブを見たリーダーは舌打ちをするとオイラを左腕1本で抱えたまま残った右手に火の魔力を練ってガブへと向けた。
「キーキーと何を言ってやがるのか分からねぇが、このスライムを守りたいってことだけは分かった。また背後から攻撃されたら厄介だ、先にお前を消してやるよ」
人間の言葉が分かるオイラはこのままじゃガブが殺されちゃうと焦ったよ。いや、人間の言葉が分からないガブでも逃げなきゃ魔術で殺されてしまうことぐらいは分かっていたはずだ。
それでも逃げない勇者のようなガブをオイラは心底守りたいと願った、だから――――
「ガブに触れるな!」
オイラは人間の言葉を発し、全力でリーダーの腕に噛みついたんだ。当然盗賊たちは全員驚いていたし、リーダーは痛みで悲鳴をあげていたよ。
オイラが唯一痛みを与えられると言ってもいい噛みつき攻撃はリーダーに少量の血を流させて体を手放させるには充分だった。でも、半端な威力の攻撃は逆にリーダーの逆鱗に触れてしまったんだ。
「痛てぇ……この魔物風情が! スライムの癖に牙を生やし、人間の言葉まで喋りやがるなんて気持ち悪いったらありゃしねぇ。決めた、やっぱりお前らは今ここで焼き殺す」
リーダーは目を思いきり見開いて完全にキレていたよ。再び右手に火の魔力を溜めたリーダーは手の平をオイラに向けたんだ。流石にもう助からないと思ったオイラは覚悟を決めたよ。だけど次の瞬間、驚くことにオイラたちの体は謎の白光に包まれて九死に一生を得たんだ。
その謎の白光は盗賊たちだけに強烈な雷撃を与え、一瞬にして奴らを気絶させてくれたんだ。当時は雷撃でダメージを与えていたことすら認識できていなかったけど、それでも白光が凄まじい技であり第三者が放ったものだということぐらいは理解できた。だからオイラはすぐに周りを見渡したよ。すると、木の陰から1人の青年が出てきたんだ。
その青年は歳は20歳前後、髪は栗色のボブカット、女の子のようにパッチリとした目と柔和な顔立ち、やや小柄で細身な体をしていて、お世辞にも強そうには見えない優男だった。
だけど、右手に持っている剣からは凄まじい魔力が漏れていてさ。人間をあまり見たことがなくて聖剣の存在すら知らないオイラでもすぐに強者だと見抜けたよ。
青年は盗賊たちの前で屈んで意識がないことを確認すると視線をオイラたちに向けて温かい笑顔を向けた。
「無事で良かったねゴブリン君、それと人語を話すスライム君も。僕の名前はジャス、これでも一応勇者をしているんだ。もしよければ少し話せないかな?」