俺とパウルとルーナスが戦いの構えを見せると同時に遠くから100匹をゆうに超える魔物の足音が聞こえてきた。爺ちゃんは「
治癒術士3人に魔物の大群は荷が重いだろう。だが爺ちゃんは老いてるとはいえ相当な強さだ。何とか仲間を守りながら戦ってくれると思う……いや、もう信じるしかない。
俺は俺で後ろを気にかける余裕はないんだ。俺はパウルと目線を合わせて頷き合い、2人で一斉にルーナスへと斬りかかった。するとルーナスは両翼を交差させて俺の剣撃を受け止め、同時に背後から攻めたパウルの短剣による攻撃を尻尾で弾き返してみせた。
俺がまだ
「うんうん、中々の剣撃だ。だけど対応できない速度ではないね。2人ともさっさと本気を出した方がいいんじゃないかな? 特にゲオルグ君は身体能力を跳ね上げる技があるんだろう?」
「チッ、クレマンから聞いていたか」
俺はルーナスの前面、パウルは後方からひたすら攻撃を繰り返す。30発、40発と剣撃・打撃を放つ中で俺もパウルも3発程度は命中させられたもののルーナスは大したダメージを負っていない。
ルーナスは別段息を切らしているようにも見えないからこのまま撃ち合いを続けていたらスタミナ差で負けてしまう恐れがある。長期戦は避けなければ。
何か打つ手はないかと考えながら戦い続ける中、動き出したのはパウルだった。パウルは連撃の最中、両手に持っていた短剣へ魔力を練り込んで青い粘液を付着させた。そして、斬撃と共に青い粘液をルーナスの尻尾の先端へとバレずに付着させた。
あの粘液はノース・スパイラルの洞窟で盗賊相手に繰り出したパウルのオリジナル魔術『スラッド』だ。伸縮性・粘着性を併せ持つスラッドをわざわざ尻尾の先端に付けたということはつまり重心を崩すのが狙いだ。
俺は数秒後のパウルがルーナスの体を引っ張ってくれると信じて
「遂に大技のお目見えかい? だが、喰らうつもりはないよ!」
ルーナスは俺から離れようと両足に力を溜める。しかし、次の瞬間……
「今だ! スラッド!」
パウルが短剣についたスラッドを勢いよく自分の方へ引っ張ることでルーナスの跳躍は乱れる。濡れた氷で足を滑らせたかのように体を45度傾けたルーナスは
「なっ!」
奴らしくない驚嘆の声をあげて無防備に体を宙に浮かせる。時間にして0.3秒ほどの隙だが1撃を叩き込むには充分だ。俺はありったけの力と技を聖剣バルムンクに乗せる。
「喰らえ! ゼロ・トラストッ!」
台座が付いたままの聖剣が微塵の無駄もなく水平の軌跡を描く。拳の時とはまた違う空気を突き破る感覚が俺の手と腕に走る。ルーナスは体を浮かせたまま慌てて左翼を前に構え、聖剣と衝突する。
俺とルーナスの間に破裂にも似た爆風が巻き起こる。堪らず目を閉じてしまったが確実に攻撃を当てた感触がある。俺は突きの姿勢のままゆっくりと目を開ける。すると俺の予想通り聖剣バルムンクはルーナスの左翼を貫いていた……しかし……
「ハァハァ……馬鹿げた威力だねゲオルグ君。だけど、捕まえたよ」
なんとルーナスの大きな左翼は聖剣に貫かれた状態で無理やり筋肉を収縮させ、聖剣そのものを掴んでしまっていたのだ。
八角形の台座の形に貫かれた左翼はドクドクと血を流して痛々しくはあるものの傷口から溢れるグレイジェルが溶接のごとく聖剣を包んでおり、いくら俺が引っ張っても離れそうにない。
「くっ……は、離せ、ルーナス!」
「いいや、絶対に離さないよ。また突きを打たれたら堪ったもんじゃないからね」
「クソ! だったら聖剣でお前を固定し、パウルに攻撃させるまでだ。パウル! 俺がルーナスの向きを固定しているうちに大技を叩き込め!」
俺の言葉を受けたパウルは小さく頷き、両手に魔力を込めて逞しい氷の槍を作り出した。そして氷の槍を背に突き刺そうとしたものの、ルーナスは首を捩じって口から火炎ブレスを吐き出し、氷の槍を溶かすと同時にスラッドも溶かしてしまう。
更に火炎に生じて両翼を広げたルーナスはあろうことか俺と聖剣ごと体を浮かせて上へ上へと浮上し始めた。
「おい! ルーナス、お前何をする気だ!?」
「フゥフゥ……聖剣バルムンクを拝借するだけさ、一生返さないけどね」
「ふざけるな! 渡すものか!」
俺は空中に浮いたままルーナスの体へ何度も蹴りを入れた。しかし、ルーナスはお構いなしに浮上を続けている。
「オ、オッサン! おい! オッサンと聖剣を離せ、ルーナス!」
パウルの叫びも虚しくルーナスは浮上を続ける。その時、俺はルーナスがローゲン爺ちゃんにとった戦術を繰り返そうとしていることに気が付いた。ルーナスは恐らく俺を落下に耐えられない位置まで上昇させる、もしくは聖剣バルムンクを奪えればいいと考えているに違いない。
「50年前と同じ浮上作戦か? 芸の無い野郎だな。さっさと聖剣を離しやがれ! オラッ!」
俺は再びルーナスに蹴りを入れた。しかし、ルーナスは苦痛で顔を歪めながらも声は弾んでいる。
「フフッ、50年経っても使える素晴らしい作戦だと言って欲しいものだね。悪いけど絶対に聖剣は離さないよ。さっさと飛び降りた方がいいんじゃないかなゲオルグ君?」
そこからは意地と意地のぶつかり合いだった。翼に空いた穴の痛みと蹴りに耐え続けるルーナス、息切れする体で蹴りを続ける俺の図は傍から見れば地獄そのものだっただろう。
ルーナスは羽虫のようにフラフラと弱々しく浮上を続け、気が付けば広場にいるパウルと目が合わせられないぐらい距離が離れてしまった。これ以上高い位置に浮上されると流石の俺でも落下の衝撃に耐えられそうにない。
ここはイチかバチか強い1撃をお見舞いするしかない。俺は右手で聖剣バルムンクを掴んだまま余った左手に地属性の魔力を練って岩の大剣を作り出し、ありったけの力を込めて振り下ろす。
「落ちやがれ……ロック・ブレイド!」
俺の左手から振り下ろされた岩の大剣は狙い通りルーナスの右翼に命中し、刀身を肉に食い込ませ、再びルーナスの体から紫の血が流れる。これで聖剣を離してくれるかと思ったが俺は奴の根性を安く見積もっていた。
なんとルーナスは左翼を貫かれ、右翼に刀身を食い込まされてもなお邪悪に笑い、尻尾を俺の首に伸ばしてきたのだ。ルーナスの禍々しい尾は俺の首に巻きつき激しく締め上げる。
「うぐっ! ぐあああぁ!」
「攻撃を当てて油断したね、ゲオルグ君。それともスタミナ切れで防御が疎かになったのかな? 聖剣さえ奪えればいいと思っていたけれど嬉しい誤算だ。このまま絞め殺してあげるよ」
「ううっ! は、離せッッ!」
地面に足をついていない状態で腕だけしか使えない状況ではとてもじゃないが尻尾を外せそうにない。奴の尻尾は手や翼に劣らないパワーがある……瞬く間に息が出来なくなってきた……視界が歪む。
まさか、こんなにあっけなく不覚をとるとは情けない。せめてパウルだけでも無事に逃げてもらわなければ。
俺は首を絞められつつも下を向き、広場を見つめる。遠くでは爺ちゃんたちが戦っていてパウルの姿は……見当たらない。おかしい……アイツが逃げる訳ないし、離れるとしても俺の死を見届けてからのはずだ。一体どこに行ったんだ?
薄れゆく意識の中、死を覚悟しながら俺は空を見つめていた。すると元々曇り空だった空が突然一層暗くなり始めた。俺だけではなくルーナスも気づいたらしく首をきょろきょろと回し動揺している。
「なっ……どういうことだ? まさか、ゲオルグ君はまだ何か隠された技でも持っているのかい?」
そんなものあるはずがない。だが、ルーナスが動揺しているのは好都合だ。ここは演技で不安を煽ってやろう。俺は意味深に口角を上げて笑ってやった。
「フッ、へへっ」
「何が可笑しい……何が可笑しいんだ? 言ってみろ、ゲオルグッ!」
ルーナスはいつもの『君付け』を忘れる勢いで怒鳴っている。いくら不穏な天気とはいえ、ここまで精神が乱れるものだろうか? ますます煽りがいがあるってもんだ。
「さあな? 知りたければ尻尾を離せよ」
「君は私を不快にさせるのが本当に上手いね。まぁいい、言わないのならこのまま絞め殺してあげるよ。唾液をまき散らして無様に死……ッ、ガアァァ――――っ!」
「!?」
怒りに満ちていたルーナスの顔が突然豹変する。目玉はむき出しのまま虚空を彷徨い、頬を痙攣し、歯の間からは唾液が泡立ち滴り落ちたのだ。それに一瞬だけルーナスの全身が光ったようにも見える。
何が起きたか分からず困惑する事しか出来ないでいるとルーナスは鬼の様な顔で広場を……いや、正確に言えば破邪の大岩を睨んでいた。そこにはなんと細剣タイプの聖剣……つまり最後の聖剣を見事に抜き、刀身に激しい稲妻を纏うパウルの姿があった。
恐らくパウルが電撃のようなスキルを覚醒させて破邪の大岩から直接ルーナスに向けて電撃を放ったのだろう。ここにきて本物の勇者になるなんて……アイツは最高だ!
だが、喜んでばかりもいられない。ルーナスの怒りは最高潮だ。体を少し焦がしたルーナスは俺の事などすっかり忘れ、水面の魚を狙う鳥のように急降下を繰り出す。
「図に乗るなよ、半人前勇者ッッ!」
一緒になって急降下する俺が息をするのも苦しいぐらいの速度だ。いくら覚醒したとは言ってもパウルに耐えられる衝撃なのだろうか……。未だ体に力が入らない俺には心配する事しかできなかったが、それも杞憂に終わる。
「ラグナロク」
パウルがそうポツリと呟いた瞬間、ルーナスの体は再び発光し、凄まじい電撃に襲われた。速過ぎてちゃんと見えなかったが今、パウルの持つ聖剣から夥しい数の白い雷撃が伸び、一瞬にしてルーナスの体を貫いていた……はずだ。
「ガハッ!」
情けない声と共に急降下を止められたルーナスは投石で落とされた鳥のようにあっけなくフラフラと広場へと落下する。
信じられないが本当にパウルが聖剣でルーナスを倒したのだ。俺は気を失ったルーナスの左翼から聖剣バルムンクを強引に引き抜き、すぐさまパウルへと駆け寄った。