私が自らの手で母パトリシアを殺してからざっと100年ほど経った頃だろうか。私はオルクス・シージとブレイブ・トライアングルを飛び回っていた。ジースレイクの底にあった石碑と同じような石碑がないか探し回っていたんだ。
怪しい石碑自体はいくつか見つかって解読できたものもあった。けれど外界に行く方法と吸収合体に繋がる決定的な情報は掴めずにいたんだ。
上手くいかない日々にモヤモヤしていると追い打ちをかけるように悩みが増えてしまうことになった。それは人類の躍進……つまりブレイブ・トライアングルが領地を広げてオルクス・シ―ジが少しずつ奪われ始めたんだ。
人類躍進の鍵となったのはやはり勇者と聖剣でね。このままではマズいと思った私は度々勇者に攻撃を仕掛けたよ。
結果は勝ったり負けたり……いや、負けた事の方が多いかな。勇者を殺せた時もあったけどね。だけど、勇者を殺すことができても結局新しい勇者が現れたり、追い詰めた勇者を守るように他の勇者が庇いにくるケースが多くて人類に決定的な打撃を与えることは出来なかったんだ。
そこで私は1つの結論に至った。このまま私が個々で戦っていても勝てないし勇者が複数いても勝てないとね。勇者という存在がいなくならなければ魔物側に勝ち目はないわけさ。
だからまずは自分が魔物の中で最強になって全ての魔物を指揮し、全ての魔物から恐れられる存在『魔王』にならなければいけないと考えた。そこから私は再び100年以上、他の魔物と戦い続けて遂に魔王になったんだ。もちろん石碑の解読など研究も続けていたよ。
そして時間は更に流れて現代より50年ほど前だったかな。私は遂に見つけ出したんだ、吸収合体の方法をね。その方法は私自身が血を流し、流れた血に魔力を込める事で血を灰色のジェル……私はそのままグレイジェルと呼んでいるのだけど、そのグレイジェルを身に纏ったまま人間を包み込んで1分ほど静止する……そうすることで吸収合体が完成するのさ。
沢山の血を流さなければいけないリスクはあるけど方法自体はシンプルだろう? こんなシンプルな吸収合体を見つけ出すのに100年もかかってしまったのはそれだけ母を含むティアマト族が懸命に情報を死守してきたからだろうね。
正直、魔王になることと吸収合体を見つけ出すのに100年もかかったのは痛いと思ったよ。だけど、私にも追い風が吹き始めたんだ。それは、当時3人存在していた勇者のうち2人が流行り病で亡くなってくれたんだ。
これは人類を滅ぼすチャンスでもあるし残った1人の勇者と吸収合体ができるチャンスでもあると私は考えた。だから私はすぐに最後の勇者がいる場所……ゴレガード南平原に飛んでいったんだ、三日月の紋章が示す光を頼りにね。
あの時のゴレガード南平原は雨が降っていて昼間でも凄く暗かったことを覚えているよ。三日月の紋章に導かれるまま平原に到着した私は遂に出会ったんだ、若かりし頃の勇者オイゲン、そして勇者の相棒であり弟でもあるゴレガード兵の拳闘士ローゲンにね。
多分、彼ら兄弟は歳も近かったのだろうね。両方とも黒髪の短髪を逆立てていて鷹のように目つきの鋭い筋肉質な奴らだった。一目見てかなりの研鑽を積んでいることが分かったよ。
警戒して剣と拳を構える彼らに対し、私は丁寧に自己紹介することにしたんだ。この時から私は自分の事を『僕』ではなく『私』と言うようになったよ。真の意味で天の糸から巣立った気持ちになっていたのかもしれない。
「初めまして勇者オイゲンと……弟さんかな? 私のことは魔王とでも呼んでおくれ。魔物の頂点に立った者は名を捨てる風習があるからね。今から私は君たちを殺す。無駄な抵抗をしないでもらえると助かるなぁ」
私が自己紹介を終えるとオイゲンが全身に魔力を漲らせ、片手で持っていた聖剣バルムンクを両手で持ちかえて睨んできたんだ。
「人語を扱い、邪悪な魔力を纏い、屈強な肉体まで持っている……間違いなくお前は魔王なのだろうな。ならば人々を守る為にもここで討伐せねばならない。いくぞ、ローゲン!」
「うん、絶対に勝とう兄さん!」
覇気のある声で宣言したオイゲンは弟ローゲンと共に私へ攻撃を繰り出してきた。
彼らは本当に強かった。兄弟だから連携に優れているというのもあるけれどオイゲンの剣術と魔術が本当に優れていてね。今まで戦ったどの勇者よりも強くて私の脳裏に死がよぎったよ。
吸収合体できるならこれほど優秀な素材はないと思えるけれど合体前に殺されてしまっては意味がない。
合体はグレイジェルを纏ったまま対象を体で包み込み1分静止しなければいけない性質上、絶対に兄弟2人を動けない状態にしなければならない。つまり2人に勝ちつつオイゲンは生かさず殺さずのダメージを与えなければいけない訳だ。
戦いは長く続き、雨音さえも聞こえないぐらい集中していた私はどうやって2人に勝つかを考えていたんだ。その時、私は兄弟の弱点に目を向けた。それはオイゲンとローゲンの力量差だ。
ローゲンも聖剣を持っていない拳闘士としては充分過ぎる強さを持っているけれど聖剣による強化の恩恵を受けているオイゲンと比べれば実力は見劣りする。数値化すればオイゲンが100でローゲンが60といったところかな。
だから先にローゲンを殺すべきだと考えたのだけどローゲンを狙っている間にオイゲンにやられる可能性がある。流石に難しいか……と思っていた私に天啓が降りてきたんだ。
私はペース配分を考えた戦いを捨て、一気に魔力を全解放してローゲンにしがみついたんだ。そしてローゲンを掴んだまま上空へと飛び上がった。
「ぐっっ! は、離せ、魔王!」
当然ローゲンは残った両足で私の体に蹴りを入れ続けていたよ。手を放したくなるぐらい痛いけど歯を食いしばって我慢を続けた私は地上にいるオイゲンが豆粒に見えるぐらい高く飛翔し、ありったけの大声で叫んだ。
「オイゲンッッ! 貴様の弟を上空から地面に叩きつける! これで邪魔者は消えて私と貴様の1対1だ。潰れた弟から発せられる破裂音を第2戦の鐘としようじゃないか!」
「やめろ! 頼む……弟だけはッッ!」
オイゲンもまたこちらに向かって叫んでいるが当然願いに答えるつもりはない。今日ほど翼を持って生まれた事を感謝する日はないと思った私は両腕に血管を浮かべて真下にローゲンを放り投げた。
私の腕力に長距離落下の重力を乗せた叩きつけだ。隕石とまでは言わないまでも地面を大きく凹ませて確実にローゲンを殺せる。そう確信したけれど私の考えは甘かった。いや、より正確に言えば知らなかったのさ、本物の兄弟愛ってやつを。
「シルフ・ブロウッッ!」
私が投げた直後、オイゲンは聖剣を構え、大地に向かって落ちていくローゲンに対して暴風を放出したんだ。そのパワーは上空にいる私が目を開けていられないほどに凄まじかった。それでいてローゲンの落下の勢いを殺しつつ体を傷つけない優しい風だった。
結果、落下の衝撃はかなり抑えられることとなった。ローゲンは頭と肩を強く打ちつけて流血していたものの生きていたんだ。これだけ力を尽くしても2人とも生き残っている現状、私は一旦逃げた方がいいと考えた。
しかし、天は私に味方をしてくれたんだ。幸運なことにオイゲンはシルフ・ブロウでかなりの魔量を消費したようでね、立っていられないぐらい消耗し、口から血を吐き出して倒れたんだ。
文字通り命懸けで弟を助けたということだね。上空から地上に戻った私はオイゲンが気絶しているのとローゲンが頭を打って立ち上がれない事を確認し、思わず笑みを浮かべたよ。
あとは私の体の出血をグレイジェルに変えてオイゲンと合体するだけだ。私がゆっくりとオイゲンに歩み寄るとローゲンは「何をするつもりだ、やめろ!」と声だけで抵抗していたよ。
ローゲンの言葉を無視した私はグレイジェルを身に纏い、待ちに待った合体の時を迎えたんだ。
「さあ、勇者オイゲンよ。私の一部となれ!」
私はオイゲンを包みこみ静止した。自分の体の前半分がドロドロと溶けていく感覚が広がりオイゲンの体も少しずつ液状化していき私は心を躍らせたよ。
そして1分が経ち、オイゲンの全身を取り込んだ私は究極の竜になる――――はずだった。しかし、現実は最強の竜どころか竜の姿を保つことすら難しくなり私の体はたちまちオイゲンに少し似た青年の姿になってしまったんだ。
「な、何故だ……確かに私は吸収合体を成功させたはずだ……なのにどうして……」
竜としての体を失った私は魔力と膂力が縮小をしていくことに恐怖を覚えた。竜から人になるのだから弱くなるのは当然だと思うかもしれない。だけど、弱体化は私の予想を超えていたんだ。
私は人間になった瞬間『弱くなると言ってもオイゲンを吸収したのだからオイゲンと同等になるはず』と思っていた。しかし、実際はオイゲンの半分以下の力になっていたと思う。
私は理屈が分からず困惑したよ。だけど、すぐに理由は分かった。体内から呼びかけてきたオイゲンの言葉でね。
――――魔王、お前の狙いがようやく分かった。力を取り込むつもりだったのだな? 絶対にやらせるものか! 抵抗してやる……魔王を弱らせる為、そして弟を守る為!
私の弱体化はオイゲンの執念が為したものだったんだ。私は体内のオイゲンを黙らせる為に自分の胸と腹を叩いた。だが全く意味がなく痛いだけだった。オイゲンという名の毒を取り入れてしまったのだと血の気が引いたよ。
そして更に最悪だったのは肉体ダメージを継承していた点だ。私の体は既に満身創痍で今すぐにでも休まなければいけない状態だった。なのにアイツは……ローゲンは立ち上がったんだ。
「フゥフゥ……兄さんの声が僅かに聞こえたぞ。俺がトドメを刺してやる……兄さんにもらった命でなッ!」
「ぐっ……クソ!」
そこからは見るに堪えない逃走と追跡が続いたよ。絶対に私を殺したいローゲンが殴りかかり、ボロボロの私は這いつくばって逃げる。2人の流した血が筋道を作り、すぐに雨で流される……そんな時間が続いたんだ。
そしてローゲンが私の足を掴んで転倒させてから馬乗りになり、右拳を大きく振り上げたんだ。いよいよ私は殺されると流石に覚悟したよ。しかし、あと1撃というところでローゲンは糸の切れた人形のように後ろへと倒れたんだ。天はまたしても私に味方したわけさ。
私は気を失ったローゲンにトドメを刺す事を忘れて無我夢中で平原を走って逃げたよ。人通りの無い雨天の平原では人とすれ違うこともなく洞窟に逃げ込んだ私は傷が癒えるまで待ち続けた。
洞窟にいる間、私はオイゲンを体外に出すことはできないかと色々試したよ。だけど、オイゲンを取り出す事は内臓や筋肉を取り出すことと同義だ、すぐに不可能だと分かった。無理をすれば私の命そのものがなくなるとね。
私は大いに反省したよ。吸収合体についての知識が足りていなかったこと。オイゲンとローゲンを侮っていたこと。魔王となり増長していたこと。反省点を挙げればキリがない。
だから私は合体についてもっと勉強し、私の命令を忠実にこなす部下を作り、勇者と聖剣について深く学ぶと誓ったよ。
そして、決めたんだ。いつか体内のオイゲンが抵抗しなくなり体から切り離せるようになった時、自らの手で人類を滅ぼしてやるとね。体内のオイゲンが朽ち果てるのに50年もかかったのは残念だったけど、ようやく夢が叶うわけだ。