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第54話 オイゲン




「エミーリアに殺されかけた夜以来だな、ゲオルグ。僕はずっとお前に会いたかったよ」


 監視塔にある仮眠室の外から聞こえてきた声はクレマンだった。行方不明だったはずのクレマンが何故ここにいるのかが分からない。それに仮眠室の外と監視塔周辺にも何人かいたはずだ。詳細を尋ねようと再びドアノブに手を伸ばすとクレマンが「開けるな!」と制止する。


「悪いが今は顔を合わせたくない。心配しなくても監視塔の中と外にいた人間には少し睡眠魔術で眠ってもらっただけだ」


 おかしい……クレマンは確か睡眠魔術なんて使えなかったはずだ。それに扉の向こうに意識を向けたことで感じる魔力もどこかいつもより濁っているような気がする。異様な胸騒ぎの原因を追求しなければ。


「勇者であるクレマンがどうしてコソコソと会いに来る必要がある。そもそもお前はどこにいたんだ? 今まで何をしていたんだ?」


「フッ、質問ばかりじゃないか。だが、僕が答えられるのはここに来た理由だけだ。僕はゲオルグとパウルを招待する為にグリーンベルに来たのさ」


「招待?」


 俺が聞き返すとクレマンは堪えるようにクスクスと笑い出し、信じられない言葉を口にする。


「クックック、マナ・カルドロン陥落、そしてゴレガード城周辺の占拠……どちらも滑稽だったよな? だが、それよりももっと面白いものを見せてやる。5日後、パウルと共にゴレガード広場に来い」


「あ? 滑稽だと? 冗談だとしても笑えないぞ!」


 あまりにクレマンらしくない言葉に腹が立った俺は制止されていたことを忘れて勢いよく扉を開ける。しかし、廊下には既にクレマンの姿はなかった。


 一体クレマンに何があったというんだ……。まるでルーナスやジニアみたいに吐き気のする言葉を口にしやがって。


 今すぐにでもゴレガード広場に行ってクレマンを問い詰めたいが時間を指定されているし町の仲間にも周知しておかなければ。まだ時間はたっぷりある、せめて今の祭りだけは余計な情報を与えず皆に楽しんでもらいたい。明日の昼にでも伝えるとしよう。


 俺は再び仮眠室のベッドで横になって瞼を閉じた。だが、クレマンのことが気がかりで結局あまり眠ることはできなかった。







 翌日の正午――――ギルドに主要メンバーを集めた俺はクレマンと接触したことを皆に伝えた。祭りを楽しんだ分、今日から仕事を頑張るぞ、と気合を入れていた皆の顔が目に見えて落ち込んでいる。それだけ皆、一皮むけた後のクレマンが好きだったということだろう。


 ここは俺だけでも堂々した態度で迷いなく次の行動を宣言しなければ。


「皆、聞いてくれ。俺は敢えて誘いに乗ってゴレガード広場に行きたいと思ってる」


 俺が宣言すると町長のヨゼフが珍しく強く反対の姿勢を示す。


「お待ちください! 絶対に罠です。きっと魔王ルーナスはゴレガードにゲオルグ様とパウルを呼んでから袋叩きにするはずです。クレマン殿の言動が豹変した件に関しては分かりませんが……」


「ヨゼフの言いたいことはよく分かるよ。だけど俺は行きたいんだ。行かなきゃクレマンがおかしくなった理由も分からないし、元に戻す方法も掴めないと思う。それにクレマンは俺に刃を向けてくる気がしないんだ。面白いものを見せたいと言っていたしな」


「し、しかし……それでも勇者が一気に2人もいなくなればシーワイル領の防衛が……。もう魔物群が攻め込んでくる場所は残されたゴレガード領とシーワイル領しかないのですから」


 ヨゼフは尚、俺に反対の姿勢を示す。そんなやりとりを見ていたパウルはヨゼフの肩に手を乗せ、首を横に振る。


「ヨゼフ爺ちゃんの言いたいことは分かる。だけどオイラはオッサンについて行くよ。守りに徹して後手になるより、どこかで踏み込んだ方がいい。それにクレマンは大事な友達であり勇者だ。勇者は欠けちゃいけない」


「パウル……うむ、分かった。それではゲオルグ様とパウルの事を信じて送り出します。頼みましたぞ」


 ヨゼフは無理やり自分を納得させると今後の人員配置について指揮を取り始めた。俺とパウルはゴレガードに行く訳だが、できれば治癒術士を中心に何人かサポート役を連れて行きたいところだ。


 机を囲んで皆で話し合っているとローゲン爺ちゃんが手を挙げる。


「ゲオルグ、ワシも一緒に連れて行ってくれ」


「え、爺ちゃんも? 俺的にはこれ以上グリーンベルの防衛力を下げたくないから残って欲しいんだが……」


「頼む! どうしても確かめたいことがあるのじゃ」


「確かめたいことってなんだ?」


「すまぬ、今は言えぬ。だが、いつか必ず話すと約束する、だから……」


 爺ちゃんはいつもなら『ついて行ってやる』という態度をとるのに懇願してくるなんて珍しい。クレマンの異変に心当たりがあるのかもしれない。


 ゴレガード広場では何が起きるかまるで見当がつかない。そういう意味でも知識が豊富で何かを含んでいる爺ちゃんを連れて行くのは理にかなっているかもしれない。


「分かった、爺ちゃんを信じるよ。それじゃあゴレガードに行くのは俺とパウルと爺ちゃんと治癒術士3名の計6人に決定だ。他にも行きたい者もいるかもしれないが我慢してくれ」


 俺が決定を下すと皆は各々の仕事や準備の為に散っていった。


 エミーリアも不安そうな目で俺とパウルと爺ちゃんにエールを贈ってから診療所へと帰っていった。クレマンを正気に戻す事は民衆の不安を取り除き、士気を上げられるだけじゃなくエミーリアの罪悪感を拭うことにも繋がる。絶対に成功させなければ。


 こうして2日後の出発に向けてグリーンベルの面々は準備を進めていった。





 そして出発当日の早朝――――町の皆に別れを言って馬車に乗り込んだ俺を含む6人はゴレガードに向かって進みだす。


 到着は明後日の夕方前になるだろう。それまでは馬車に揺られるだけの退屈な時間となる。とはいえ馬車の中でもやっておかなければならないことがある、それは魔王ルーナスと接触する可能性を考慮し、パウルに三日月の紋章を持つ男がルーナスであると伝える事だ。


「パウル、ゴレガードに着く前に言っておかなければいけないことがある。実は――――」


 俺は今まで隠していたことを謝りつつ全てをパウルに伝えた。話を聞き終えた後、パウルは一瞬、物凄く怖い顔をしていたが、すぐに自分の両手で自身の両頬を叩いて頭を下げる。


「驚かせてごめん。オイラは少し熱しやすいところがあるから怒鳴りそうになっちまったんだ。だけど、よくよく考えるとオッサンはオイラが暴走しないように気を遣って情報を伏せておいてくれたんだよな? ありがとな」


「だから自分で両頬を叩いて戒めたのか。やっぱりお前は立派だよ。俺とエミーリアだけじゃなく自分自身の復讐心すら止めてみせたんだからな」


「へへ、今のオイラは結構勇者っぽいんじゃねぇの?」


「そうかもな。まぁ両頬が手の形に赤くなってるから勇者というより道化師みたいだけどな」


「なにをーッ!」


 俺とパウルがすぐにいつも通りの空気感になって馬鹿なやりとりをしている間も爺ちゃんはずっと無言で俯いたままだった。爺ちゃんの険しい表情はゴレガードに到着するまで続き、2日後の夕方前――――ゴレガード広場近くで馬車を降りる頃には一層険しくなっていた。


 さあ、ここからあと3分も歩けば破邪の大岩があるゴレガード広場だ。俺たちが石畳で舗装されたゴレガード城下町で歩を進めていると目の前には大勢の魔物たちが現れて誘導するかのように2列に並んで道を作っている。


 まるで謁見の間の兵士列のようだ。全ての魔物がこちらを睨んでいるのに襲ってこない不気味さを感じながら進み続け、破邪の大岩まで後100歩ほどの距離まで近づくと前方から足音が聞こえてきた。


 俺が視線を向けると破邪の大岩の陰から黒一色のローブを羽織ってフードも被ったクレマンが現れた。そしてクレマンの隣には今まで肉眼でも書物でも見たことがない謎の黒い竜が浮遊していた。


 黒い竜の全長は人間3人分ぐらいで竜にしてはさほど大きくはないが全てを見通すような金色の目は鋭く、鱗は黒曜石のように闇深くて冷たく、硬質な輝きを放っていて威圧感が半端じゃない。


 尻尾は鋼鉄でできた鎖のように長大で翼も鋸刃のように鋭利で禍々しい。同様に手足の爪も鋭く、肉質から察するに膂力にも優れていそうだ。


 あの黒竜はクレマンの使い魔か何かだろうか? いや、使い魔にしてはあまりに主張が強すぎるか。黒竜のことも気になるがルーナスやジニアの姿が全く見当たらないのも気になる。クレマンには色々と聞きたいことがあるけれど、先に口を開いたのはクレマンだった。


「待っていたぞゲオルグ。魔物に占拠されたゴレガード城とゴレガード広場……壮観だろう?」


「自分の城が魔物に奪われたというのに壮観か……お前は本当に魔王ルーナスの味方になってしまったのか?」


「……そういうことになるな」


 少し言葉を詰まらせながらクレマンはローブの裾を捲って左手の甲を向ける。そこにはルーナスと同じ三日月の紋章が刻まれていた。


「その紋章、本当にルーナスの味方になってしまったんだな。どうして……どうして闇に染まってしまったんだ? 俺との決闘を経てクレマンは変わったはずじゃないか。やはりエミーリアの件がお前を壊してしまったのか?」


「答えるつもりはない」


「……もう俺たちは戦うしかないのか?」


「そうなるな。だが、今日はまだゲオルグと戦うつもりはない。ひとまずお前たちに見て欲しいものがある。これだ」


 クレマンは風の魔力を練った右手を頭上に掲げる。そして自身の後ろ側から灰色の棺を風に乗せて運び、俺の前へと移動させた。


 顎を動かして開けろと指示するクレマンに従い棺の蓋を開ける。そこには合成獣キメラの体に纏わりついていたのと同じジェル状の何かにまみれた中年男性の遺体が入っていた。


 俺は恐る恐る粘液を手で拭って男の顔を確かめる。全体的にドロドロで目も瞑っているから確証は持てないが背丈や輪郭などが少しルーナスに似ている。しかし、ルーナスの見た目は青年と言っていいほど若いはずだし、右手の甲を確認してみても三日月の紋章は刻まれていない。


 正直わけが分からない。俺が「この男は誰だ?」と尋ねるとルーナスは人差し指をこちらに向ける。


「誰の遺体か知りたければ聞いてみろ。お前の仲間にな」


「え?」


 俺はすぐさま後ろに視線を向ける。すると俺の視界には頭を抱えて震えるローゲン爺ちゃんの姿があった。あの様子は間違いなく遺体の正体を知っている。俺は爺ちゃんの両肩を掴んで揺すり答えを求めると爺ちゃんは信じられない驚愕の事実を口にする。


「あの遺体は間違いない……ワシの兄オイゲンじゃ……」


「は? 何言ってんだ爺ちゃん? 爺ちゃんに兄貴がいた事は別に驚かないけど、どう考えたって年齢が合わないだろ。それにルーナスと似ているのこともおかしいじゃないか。なあ、冗談はやめてくれよ」


「冗談など言っておらん! だが、ワシにもまだ分からぬことがあるのじゃ。そもそもオイゲン兄さんは……」



――――ここからは私が説明するよ



 俺と爺ちゃんの会話を遮ったのはルーナスの声だった。いや、正確に言えばいつものルーナスより少し低く野太い声だ。クレマンのいる方向から聞こえたがルーナスの姿は見当たらない。


「おい! ルーナス、どこにいる! 出てこい!」


「やだなぁ、さっきからずっといるじゃないか。随分と体は大きくなってしまったけどさ」


 信じられない……信じたくないという気持ちを抱えて俺は黒竜に視線を向ける。するとルーナスの声は確かに黒竜から発せられていた。あれがルーナスの真の姿だとでも言うつもりだろうか? 驚きのあまり言葉を失ってしまった俺を見てクレマンが笑う。


「フッ、いい顔をするじゃないかゲオルグ。そう、竜の姿こそがルーナス本来の姿なのさ。それこそ大昔には竜魔王りゅうまおうと呼ばれていたらしいぞ。なあ、ルーナス?」


「そういうことになるね。その死体……オイゲンは私にとって呪いの様なものだったよ。彼のせいで長年『人間形態』を解除できなかったからね」


 クレマンとルーナスはこっちを置いてけぼりで楽しそうに会話してやがる。さっきから理解の追いつかない事実を連続で叩きつけられてもううんざりだ。


 俺は怒りに任せて聖剣バルムンクを地面に叩きつけ、石畳に亀裂を入れる。


「お前らの言っていることは訳が分からねぇんだよッッ! 何があったのか1から順に話しやがれ!」


 俺の怒声を受けた竜魔王ルーナスは猛々しい竜の顔に薄っすら笑みを浮かべると、いつもの軽薄な口調で語り出す。


「じゃあゆっくりたっぷり丁寧に教えてあげるよ。私の過去と、ついでに老いぼれローゲンの過去についてもね」





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