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第52話 確かめたいこと




 腹が痛い……。呼吸する度に傷口を広げたり閉じられたりしているような感覚だ。そうだ、確か俺はエミーリアを止める為にナイフで自分の腹を傷つけた後に気絶したんだ。


 痛みによって意識が覚醒した俺は体が痛いこともあり首だけを動かし目を開いた。すると視界には俺が泊まっていたゴレガードの宿部屋と窓から差し込む夕陽が映りこんだ。


 壁に掛けられている日めくりカレンダーを見る限り、どうやら今は気絶した晩から2日後の夕方らしい。随分と長く眠っていたようだ。とりあえず誰かいないかと視線を動かすと部屋の隅には険しい顔で椅子に座っているパウルとエミーリアの姿があった。


 事件から2日も経っているのにどうして2人は険しい顔をしているのだろうか? 俺はすぐに声を掛けようとしたけれど、やたらと真剣な表情でエミーリアに詰め寄るパウルの姿が目に入り、声を掛けることができなかった。


「オイラにも復讐心はあるからエミ姉の気持ちは分かる。だけど少なくとも今、クレマンを殺していい訳じゃない。オイラは法とかルールとかに詳しくないから復讐行為が認められるのかどうかも分からない。だけど1つだけ断言できることがある。それはグロリアの望みが分からないうちは復讐しちゃ駄目だってことだ!」


 会話の内容から察するにエミーリアはあの夜の出来事を全てパウルに話し、そのうえでパウルに抗議されているようだ。とはいえグロリアに焦点を当てているパウルの優しさと客観性は理解できるし素晴らしいものだと思う。


 パウルがエミーリアに厳しい言葉をかけている姿を初めて見た気がする。そんなパウルの影響を受けてかエミーリアの語気も荒くなっていた。


「お母さんは喋れないのよ? 分かりっこないのよ!」


「この先ずっと喋れないとも限らないだろ!」


「私が薬学者だから頑張って治せと言いたいの? どれだけ難しいことなのかも分からないくせに!」


 エミーリアは今にも泣き出しそうな顔で反論している。こんなにヒートアップしていたら実は起きていて話を聞いていました、なんてとても言える雰囲気ではない……。


 エミーリアの言葉を受けてきっとパウルは更に語気を強めて反論するのだろう、と俺は思っていた。しかし、意外にもパウルは冷静に首を横に振り、落ち着いたトーンで言葉を返す。


「グロリアは問いかけに反応できないけど目は見えるし言葉も認識できる。食事も薬も飲みこめる。だからやれることはまだまだあるさ。もしかしたら楽しいものを見せ続けていたら元気になるかもしれない。娘が元気に暮らしているところを見たら元気になるかもしれないぞ」


「そんな……そんな僅かな希望だけで頑張れやしない!」


「やれることをやるっていうのはそういうことだ」


 エミーリアがどれだけ感情を剥き出しにしてもパウルは希望に満ちた正論を返している。エミーリアにとっては酷だろうけど絶対に耳に入れなければいけない言葉だ。パウルは更に持論を展開する。


「エミ姉は外の世界を知っているのか? オルクス・シージの中には特効薬になるような何かがあるかもしれない。更に外側の世界には医学が発達した街があるかもしれない。やれることを全てやるっていうのは未知への挑戦も含まれているんだ!」


「そんな偉業じみたこと、私に出来るわけがない!」


「だからオイラたちを頼って欲しいんだ! オイラたちはエミ姉の為なら何だって頑張れる。オイラはエミ姉が1人で抱え込んで頼ってくれなかったことが悲しいんだ。絶対にグロリアを治そう。そしてグロリアの口から復讐を望むって言葉を聞くまでは動かないでくれ」


 そう告げるパウルはエミーリアの両肩に手を置き、力強い真っすぐな目を向ける。エミーリアは最初こそ目を逸らしたけれど、パウルの熱量に負けて最後には「私の負けです……」と呟き、クレマンへの殺意に一旦蓋をすることを約束してくれた。


 パウルの言った『オイラはエミ姉が1人で抱え込んで頼ってくれなかったことが悲しいんだ。絶対にグロリアを治そう』という想いは傍で聞いていた俺ですら泣いてしまいそうなぐらい優しさに満ちている。


 パウルと出会い、親代わりになってまだ2年も経っていないが本当によくここまで成長してくれたものだ、これほど嬉しいことはない。


 説得を終えたパウルは少し気まずそうに頭を掻くと「ちょっと外に行ってくる。オッサンを診ていてくれエミ姉」と言い、部屋の外へと出ていった。


 パウルがいなくなった後もエミーリアは暫く泣いていた。その姿を見ているうちに盗み聞きをしていたことが申し訳なくなってきた俺は傷む上半身を無理やり起こしてエミーリアが泣き止んだタイミングで声をかけた。


「おはようエミーリア、そして1つ謝らせてくれ。実は途中から2人のやりとりを聞いていたんだ」


「えっ!? 聞いていたんですか? 一体どこから」


 俺は聞いてしまった会話を全てエミーリアに伝えた。多少は怒られるかと思ったけれどエミーリアは全く怒る様子を見せず、ひたすら俺を傷つけた件について謝っていた。


 再び泣き出してしまったエミーリアをなだめて何度も『俺の怪我に関しては俺が勝手にやったことだから気にするな』と伝えると徐々に彼女は笑顔を取り戻してくれた。


 ようやく落ち着いてくれた事だし、ここからはパウルの話に切り替えるとしよう。


「それにしてもパウルは本当に成長したな。俺たちよりずっと大人かもしれない。紛れもない本物の勇者だ、今なら聖剣を抜けるかもな」


「本当にそうですね。私は自分が恥ずかしいです……」


「そんなことはないさ。エミーリアは誰よりも重たい荷物を背負って堪えてきたんだ。パウルを見習って今日から俺もグロリアさん復活の為に頑張るよ。エミーリアの荷物を持たせてくれ」


「ゲオルグ……さん……うぅ」


 ただの決意表明のつもりだったのだがエミーリアがまた泣き始めてしまった。悲しい涙じゃないのは分かっているが、それでも申し訳なくなってきた。俺はポケットに入ったままのハンカチを取り出してエミーリアの涙を拭う。


「泣くなってエミーリア。俺は今回の件を忘れる、この話もここで終わりだ。明日からは元気に仲良く笑顔でいつも通りに暮らそうぜ、いいな?」


「はい……分かりました。あ! 今後、今回の件について話せなくなるなら最後に聞いておきたいことが……いえ、確かめておきたいことがあります」


「確かめたいこと?」


 俺がオウム返しすると何故かエミーリアは俯いたまま顔を紅くし、長い沈黙を経て問いかける。


「ゲオルグさんは腹を刺したあと『だって、俺はエミーリアの事を』……と何かを言いかけてから意識を失いましたよね? あの言葉の続きを教えてください」


「あ……えーと、それは、その……」


 復讐を止められた安堵感ですっかり忘れていたが俺はエミーリアに愛の告白をするところだったんだ。あの時は切羽詰まっていたから逆に想いを打ち明けられる勇気が持てたけど、今は気恥ずかしくてとてもじゃないが言えそうにない。


 しかし、エミーリアは沈黙を続ける俺に顔を近づけて覗き込む。


「お、おこがましいかもしれませんが私は少し期待してしまいました。あの言葉を言ってくれるのかな? って」


「あの言葉?」


「私に言わせるんですか? ズルいですよ」


 エミーリアの言う通りだ。顔が耳まで熱くなっているのが分かるぐらい恥ずかしいけど言おう、俺の気持ちを。エミーリアも全てをさらけ出してくれたんだから。



「俺はエミーリアが好きだ」



 人生で初めての愛の告白だ。1度口に出したからか意外と気持ちは落ち着いている。あとはもうなるようにしかならないのだから彼女の返事を待とう。


 俺とエミーリアの間に流れる沈黙は恐らく10秒もなかったと思う。だけど俺にはもっと長く感じた。ずっとエミーリアのことを見つめていると彼女は小さく俯き1粒の涙をこぼす。


「ありがとうございます。今日は今まで生きてきた中で1番幸せな日かもしれません。ですが……ですが、返事はしばらく待ってください」


「……理由を聞いてもいいか?」


「私の気持ちなんてとっくに決まっているんです。ですが答えを返す時は曇りの無い私でいたいのです。絶対に答えは返すので」


 曇りの無い状態というのがどんな状態を指しているのかは分からない。だけど、エミーリアは必ず返事をくれると言っている。だから信じて待つことにしよう。


「ああ、いくらでも待つよ。真剣に考えてくれてありがとな、エミーリア」


 俺が礼を伝えるとエミーリアは両手で優しく俺の右手を包み込んで微笑んだ。まだ恋人関係ではないけれど長年付き合ってきたかのように心が和む。


 今、この時間がずっと続けばいいのになぁと考えていると……温かい時間は大きな音を立てて開いた扉によって壊される。


 開いた扉から部屋に入ってきたのは新聞を片手に青ざめた顔をしたパウルだった。パウルは俺の傍まで近寄ると見やすいように新聞を広げて震えた声で報告する。


「オッサン目覚めたみたいだな。起きたばかりで悪いが2人とも落ち着いて聞いてくれ。クレマンが行方不明になったらしい……」





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