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第48話 私怨




 エミーリアの語る過去は俺の子供時代よりもずっと理不尽なものだった。グロリアさんは今も車椅子に座ったまま何の反応も示さずに虚ろな目で娘を見つめている。彼女たちの負ってきた傷は間違いなく本物だ。


 だが、現時点ではエミーリアからしか話を聞いていない。クレマンからも話を聞かなければ。


「エミーリアの苦しみは理解できた。なら次はクレマンの口から過去の話を聞かせてくれ。お前は母娘が苦しい人生を歩むと分かったうえで罪を被せたのか? それとも何か誤解があるのか? 教えてくれ」


「……うぅ……あぁ……」


 俺の問いかけに対しクレマンは何かを答えようとしているが毒の影響でまだまともに喋れないようだ。エミーリアがずっと昔の話をしていたから少しは毒が和らいだかと期待したもののダメだったようだ。比較的毒に強い俺ですらまだ立ち上がるのが難しいぐらいだからクレマンが喋れないのも無理はない。


 ならばせめてクレマンの護衛が近くにいないかと周りを見渡してみたが見当たらない。護衛はクレマンが単身で俺に会っても大丈夫だと信じてくれているのだろうか。こんな状況じゃなければ信頼してくれてありがたいと思うのだが……。


 このままではエミーリアがクレマンを殺してしまう。止める方法を考えるにしても毒を軽減するにしても時間を稼がなければ。とにかく今は質問でも何でも会話を続けよう。


「待てエミーリア、聞きたいことがある。どうしてお前は食事に致死量の毒を混ぜなかった? わざわざ時間差で効く毒を利用し、ここへ誘導するより1発で殺した方がよっぽど確実だろう?」


「私たちの恨みを知ってもらいたかったからですよ。それにクレマンが苦しむ姿をお母さんに見せたかったのです。恐怖で歪む彼の顔を……」


「それが理由ならどうして俺もここに呼んだんだ? どうして俺にも毒を盛った?」


 俺が尋ねるとエミーリアは少し泣きそうな顔で眉尻を下げ、クレマンと俺を交互に見つめてから頭を下げる。


「ごめんなさい。ゲオルグさんのことはただただ復讐に巻き込んだだけなんです。貴方がここにいてくれるだけでクレマンに対して大きな精神的ダメージを与えられますから。私がクレマンに復讐した後、すぐにゲオルグさんを解毒するので安心してください」


「俺がいるだけで? 何を言っているのかさっぱり分からないぞ?」


「今のクレマンにとってゲオルグさんは本当に大切な存在です。そんなゲオルグさんの前で過去を露わにすればクレマンにとって最大の苦痛になると思ったのです」


 言葉では攻撃的なことを言っていてもエミーリアの表情は苦しそうに見える。同様にクレマンも俺と顔を合わせられないと言わんばかりに目を逸らして唇を噛みしめていた。


 子供時代のクレマンが何を考えていたのかは毒で喋れなくなっている現状では知りようがない。ただ、絶対に断言できるのは今のクレマンは真っ当な人間であり、勇者として立派に働いているという事実だ。


 だからクレマンを殺させる訳にはいかない。それに泣きそうな顔で復讐しようとするエミーリアも放っておけない。復讐という行為は不可逆だ。迷いのある人間は尚更復讐に手を染めてはいけない。俺が止めてやる、絶対に。


 毒の緩和の影響か、それとも意志の力か分からないけれど手足が少しだけ動くようになってきた。俺は生まれたてのヤギのように足を震わせながら立ち上がってみせた。


「最大の苦痛か。確かに仲間や友達に過去の罪を知られて幻滅されれば辛いだろうな。だが、それは俺がクレマンを見限ったらの話だ。エミーリアの話を聞いても尚、俺はクレマンを大事に思っている。俺をなめるなよ、エミーリア」


「くっ……どこまでお人好しなんですかゲオルグさんは!」


 エミーリアは怒りの中に怯えを入り混ぜながら後ずさる。一方、クレマンは気が少しだけ楽になったのか凛々しい顔つきへと変わり、俺と同じく足を震わせながら立ち上がってみせた。


 クレマンが立ち上がった事実はエミーリアを強く動揺させる。エミーリアは更に後ろへ下がりつつもナイフをクレマンに向けて声を張り上げる。


「どうして……どうして……クレマンも立ち上がるの? まるで勇者同士で支え合うような……。違う! クレマンは勇者なんかじゃないッ!」


「そう思っているのはエミーリアだけじゃないのか?」


「そんなことはない! クレマンはどれだけ多くの犠牲の上に生きているのか分かってないんです! それが許せない。過去を清算せず、のうのうと光の道を進もうとしていることが! だって……だって、ゴレガード家は私とお母さんだけじゃない、ゲオルグさんの母親だって犠牲にしているんだから!」


「やめろ! 言うな、エミーリア!」


 今のクレマンに『ボルトム王がリーサ母さんを殺した事実』を伝えるのはあまりに酷だ。これ以上エミーリアに喋らせないよう俺は走り出して手を伸ばす。しかし、まるで手足に力が入らず水中よりも動きが遅い。


 そんな俺の動きではエミーリアを止められるわけがない。エミーリアに肩を押された俺はあっけなく仰向けに倒れてしまう。


「くっ……クソ!」


 俺の制止も虚しくエミーリアはリーサ母さんの死について語りだし俺とクレマンが腹違いの兄弟であることを告げてしまう。


 衝撃の事実を知ったクレマンは震える両手で頭を抱えると


「うぅぅ……ああぁぁっ……」


 声にならない声を漏らし、両膝を地面について抗う意思を消失してしまう。クレマンからすれば父親であり一国の王でもあるボルトムが友人の母親を殺していたことになる。そんな事実は抱え込めるものではない。


 エミーリアをサルキリに連れて行って俺の過去を明かしたのは失敗だったのだろうか? 

いや、違う。あの時、俺はエミーリアに打ち明けた事で心の荷物が軽くなった。それに俺の事を想い、俺の過去に涙したエミーリアの心は間違いなく本物で温かかったはずだ。


 俺が今すべきことは後悔じゃない。何がなんでもクレマンを無事に逃がす事だ。まだ窮地を脱する策が浮かんでいない以上、打てる手は会話を続けて時間を稼ぐことだけだ。


「もう言いたいことは全て言ったんじゃないか、エミーリア? 後はクレマンにナイフを突き立てて全て終わりにするつもりか? 母親の前で本当に人を殺めるつもりか?」


「正直、自分でもどうしたいのか分からないですよ。あっさり殺してしまってもいいのか、いっそ手足を動けなくして戦えない体にしてから余生を過ごしてもらうのもいいかもしれませんね。栄光を知った分、死ぬより苦痛な生を与えられるかもしれません」


 エミーリアは口では残酷な言葉を並べているものの目からは涙が流れていた。復讐心と優しさが混ざり合って彼女は壊れかけているに違いない。考えが1つにまとまっていない時こそ虚を突くチャンスだ。


 全員が助かる方法を考えて考えて考え抜かなければ。今から大声を上げて近隣の人々を呼べばクレマンを守れるだろうか? いや、それだと焦ったエミーリアが衝動的にクレマンを殺してしまうかもしれない。それに今の状況を見られたら間違いなくエミーリアが牢に入れられてしまうだろう、それは避けたい。


 ここはイチかバチか再びエミーリアに掴みかかるべきだろうか? いや、多少は力が戻ってきたけれどまだまだ力は込められない。


「ん? 力が込められない?」


 気が付けば俺は2人には聞こえない声量で呟いていた。俺の頭の中で引っかかった事実、それは毒の性質だ。今、俺の体内にある毒は魔力制御を狂わせる性質でもなければ麻酔的なものでもないことは感覚と経験で分かる。


 どちらかと言えば寝起きで力が入らないような感覚に近い。もし俺の仮説が正しければ困難を突破する手はある。ここからは力や技術ではなく知恵と演技力の戦いだ!


 俺は右手に地属性の魔力を練って石のナイフを作り出し、自分の腹に構える。


「待て、エミーリア。お前が殺しに手を染めると言うなら俺にも考えがある。これは優しいお前だからこそ効く脅しだ。クレマンに危害を加えるなら俺は自害する」


 俺はナイフを少しだけ動かして腹に僅かな傷を入れた。鼻血ていどの僅かな出血ではあるが刀身に血が滴る。


 エミーリアは一瞬、驚いた表情を見せたものの、長い沈黙の果てに首を横に振る。


「そんな脅しは効きませんよ。ゲオルグさんは絶対に自害出来ません」


「……随分となめられたものだな」


「いいえ、むしろゲオルグさんが最高の勇者だからこそ自害はしないと断言できるんです」


「……どういうことだ?」


「貴方は本当に優しい勇者です。きっとクレマンは勿論のこと、面識のない人間ですら命を張って助けようとするでしょう。ですが、同時に貴方は未来を天秤にかけて冷静な判断をするはずです」


「…………」


「図星ですよね? ゲオルグさんは今ここで自害すれば多くの人間が死ぬことを分かっているはずです。だってクレマンよりも強いゲオルグさんが生き残った方が戦争時においてより多くの人間を救えますから」


 復讐に囚われていてもエミーリアは鋭い。ナイフを構えるだけで彼女を止められればベストだったが仕方がない。最後の手を打つしかなさそうだ。危険で後戻りの出来ない『あの手』を。


 俺は大きく深呼吸をすると1度軽く傷を入れた腹部に再びナイフを深く突き刺した。ドバドバと溢れる血、そして燃えるように熱い傷口が俺の気を狂わせる。


「うぐぅっ……ぐあああぁっ!」


 激痛によって上半身を前に曲げた俺は額を地面につく。シャレにならない痛みだ……だが、腹を深く刺したことで俺は確信する。エミーリアの盛った毒は血の流れを鈍くさせることで体に力を込められなくする性質があることを。


 逆に言えば無理やりにでも血が流れる状況を作り出せばいいわけだ。出血が対価だと言わんばかりに俺の手足に血が巡って力を込められるようになってきた。今ならエミーリアの腕を掴んで拘束するぐらいなら出来るかもしれない。


 俺はエミーリアが近づいてくることを祈った。すると勢いの衰えない流血を目の前にしたエミーリアが駆け寄る足音が聞こえてきた。


「そんな……どうして……」


 自分のせいだと声を震わせるエミーリアが俺の上半身を起こして傷口を見る為に両肩へ手を当てた、チャンスだ! 俺は上半身を起こすと同時に左手でエミーリアの右手首を掴む。


「ゲ、ゲオルグさん!? 何故力が……あ、まさか……」


「ハァハァ……流石は医者だ、気付くのが早いな。察しの通り無理やり血を流して体に力が入るようにしてやったぜ。そして、この手はそのままクレマンも使える」


「やめて……邪魔しないでゲオルグさん!」


「その願いだけは聞けないな。フゥフゥ……さあ、今度はクレマンの番だ、少しだけでもいい。俺のナイフで自分の体を切って血を流すんだ。受け取れ!」


 俺は右手に持ったままのナイフをクレマンの方へと投げた。クレマンはすぐにナイフを手に持ち刀身を左肩にあてがった。しかし、目に涙を溜めたクレマンは静止してしまう。


 今更クレマンが少量の出血を恐れるわけがない。だからクレマンが動き出せない理由は罪悪感に違いない。あいつは自分が死んだ方がいいと思っているのかもしれないが絶対に死なせて堪るもんか。


「馬鹿野郎! さっさと切って逃げろ! 死んで償うぐらいなら勇者として戦い、戦場で死ね!」


「…………! うぅっ!」


 覚悟を決めたクレマンは両目をカッと開き、ナイフを左肩へと突き刺した。血を流しながら立ち上がったクレマンは青ざめた顔を俺に向けると決意に満ちた頷きを返し、ゆっくりと城の方へと駆けて行った。


「離してください! 離して!」


 エミーリアは涙を地面に落とし、俺の手を剥がそうと暴れまわっているが、それでも俺にナイフを突き立てることはなかった。復讐を優先して俺を傷つけるようなことはしないと分かっただけでも嬉しい。


 20秒、30秒と時間が流れ、もうクレマンに追いつけないと諦めたエミーリアは大きく肩を落とし呟く。


「……もう私がクレマンに近づける機会は2度とないでしょうね……。私とお母さんの怒りはどうすれば消えるんですか?」


「悪いが怒りの消し方なんて分からない。だが、これだけは言える。クレマンを裁くにしても法に則るのが筋だ。私刑なんて許されるもんじゃない。それにアイツは世界にとって必要な勇者だ。罰を受けるにしても魔王ルーナスを倒してからだ」


「理屈だとか法だとかどうでもいい! 私と……お母さんの苦しみはどうでもいいの!?」


「どうでもいいわけないだろ!」


 生まれて初めて女性を怒鳴りつけた俺は気が付けばエミーリアを抱きしめていた。エミーリアが感情的になっているのは分かっている。それでも『私の苦しみはどうでもいいの?』なんて言われるのは辛い。俺のエミーリアを想う気持ちを理解されていないと感じてしまうからだ。


 腕の中でエミーリアの脱力を感じる。少しは俺の気持ちが伝わっただろうか? だが、まだ言いたいことがある。恥ずかしいけど伝えたいことが。


「俺にとってエミーリアは大事な仲間だ。私怨で人を殺して牢に入れられてしまったら今度は俺の心が死んじまう」


「ゲオルグさんの心が? 昔の私みたいになると?」


「ああ、きっと恵まれた今じゃ想像できないような痛みになるはずだ。だって、俺はエミーリアの事を――――」


 まずい……あと少しなのに、目の前が歪んで声が出ない。意識が消えて……しまう。やっとエミーリアに好きだと伝える決心をしたというのに……。





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