「ようやく見つけましたよ、リーサ殿。いつも護衛を連れていたり、人通りの多いところにいるので襲撃するタイミングがなく苦労しました。あの方にとって汚点となる貴女をやっと消すことができます」
仮面をつけた3人組のうち、リーダーと思わしき黒い太陽の仮面をつけた男が低い声で物騒な言葉を口にする。母さんが誰の汚点なのかは知らないが殺させる訳にはいかない。
俺は母さんを守る為に前へ出て両拳を構えた。しかし、母さんは俺の肩を掴んで後ろに下がらせるとリーダーに告げる。
「あの男はよっぽど用心深くて臆病なのね。もう何年も経つというのに。私を消さないと安心できないのね」
「……主の悪口はやめてもらえますか?」
「これから殺されるかもしれないのだから愚痴の1つでも吐かせてもらいたいわ。と言っても大人しく殺されるつもりはないけれど」
「そうですか、大人しく殺されてくれれば手間が省けたのですが。仕方ない……お前たち、リーサを殺せ」
リーダーが当然のように告げると傍にいる部下らしき男2人が剣を抜き、母さんに斬りかかった。俺にはとても対応できない踏込みの速さだ……だけど母さんはそれ以上に素早く剣撃を回避し、たった1人で強敵2人と互角以上の戦いを繰り広げていた。
まさか母さんがここまで強かったとは……このままいけば部下2人を倒してリーダーも退けてくれるかもしれない……そう考えた俺だったが現実は甘くなかった。
なんと戦いを傍観していたリーダーが突然目にも留まらぬ速さで母さんの背後に回り込んだのだ。部下2人を相手するので精一杯だった母さんは背後で剣を振り上げるリーダーに対応することはできなかった。
結果、リーダーの剣は残酷にも母さんの背中を斬り付け、血しぶきが大地を染めあげる。
「ぐああぁっ!」
耳を塞ぎたくなるような母さんの悲鳴が周辺に響く。力なく両膝をついて倒れた母さんは両手足を痙攣させているが、それでも俺を守ろうと這いつくばってリーダーの左足にしがみついていた。
「に、逃げて!」
俺に向かって母さんは必死に叫んだ。しかし、リーダーは震えがくるほど冷たい声で吐き捨てる。
「邪魔だ、どけ」
そう告げた直後リーダーは掴まれていない右足で母さんの顔を蹴り上げた。もう戦う力の残っていない人間、ましてや母さんの顔に蹴りを入れている事実は俺に怒りだけではなく爆発力という名の力を与えた。
「許さねぇ! ぶっ殺してやるッッ!」
気が付けば俺は限界を遥かに超えた速度で地面を蹴っていた。瞬時に懐へ入られたリーダーは防御態勢をとれていない。俺はありったけの力を込めて右拳を腹部に振り抜いた。
「ぐはっっ!」
血の混じった唾液を呻き声と共に吐き出したリーダーは後ろへ大きく吹き飛ぶ。頭に血の昇った俺はすぐに追いついて馬乗りになり、仮面越しに何度も何度もリーダーの顔を殴った。
「お前だけは! お前だけは!」
「ぐぅっ! ぐっ! な、なんだこのガキの力はッ!」
とっくに割れた仮面の奥には顔を腫らして元の顔が分からなくなっていた男の姿があった。少しだけ残った特徴からは鋭い目とハッキリとした輪郭、束ねた銀髪があったことを僅かに覚えているが、とにかく殴る事に夢中だったからうろ覚えだ。
今、思い出しても何故8歳の俺が手練れの暗殺者相手にここまで戦えたのかは分からない。とにかくこの瞬間だけは力を爆発できていたのだ。
20発、30発と殴り続けた俺は最後に重たい1撃を喰らわしてやろうと両手を組んで頭上に振り上げた。しかし、突然眩暈に襲われた俺は糸の切れた人形のように上半身を崩し、リーダーの上に倒れ込んでしまった。
口から血を流しながら困惑するリーダーは動かなくなった俺の髪を掴むと「このクソガキがぁぁっ! お前も殺してやる!」と叫び、お返しと言わんばかりに母さんへ投げつけた。
母さんは満身創痍にもかかわらず俺が頭をぶつけないように勢いを殺してキャッチすると、俺を地面に寝かせてから立ち上がり、両手を広げて守る姿勢をみせる。
「ハァハァ……この子は殺させない。貴方には指1本触れさせない!」
「フーフー、放っておいても出血で死ぬような貴様に何ができる? それに何故そこまでこのガキを守る? もしや死んだと聞いていた息子が生きていたとでもいうのか?」
この時、俺はリーサ母さんの子供だとバレてしまうかと思った。だけど母さんは首を激しく横に振って全身全霊の演技で嘘をつく。
「違うわ! 私が産んだ子は逃亡生活の果てに死んでしまったわ。我が子を愛でたいと願う私の人生はお前たちに潰された。絶対にお前たちは許さないわ、あの世から呪ってあげる!」
母さんの芝居が上手いのか、それとも消えかけた命が迫力を増大させたのかは分からないが仮面の男たちは完全に母さんの言葉を信じていた。
それでも奴らは騒動に巻き込まれた俺を逃すつもりはないらしく、ゆっくりと俺の方へ歩み寄ってきていた。
「そうか、だがガキも一緒に殺す未来は変わらない。運が悪かったな、くたばれ」
「させないわ! 最後の力でお前たちを退ける……ノームズ・シャープ」
母さんが叫びながら両手を地面につけると次の瞬間、大地が激しく揺れ、俺と母さんだけを避けるように地面が槍状に隆起し始めた。その勢いは凄まじく部下2人の体を貫いてみせた。更に連続で伸びる大地の槍は轟音と共にリーダーのことを連続で攻撃している。
空中で何度も岩の刺突を喰らいながら遠くへ離れていくリーダーを見届けた母さんは大魔術の対価と言わんばかりに大量の血を吐き出した。
「ガハッ! ご、ごめんなさいゲオルグ。も、もう限界みたい。でも、これだけの大技を放てばサルキリの人たちが駆け付けてくれるし、ハァハァ……もう仮面の男たちも襲ってこないと思う……わ。ろくに母親らしいことをしてあげられなくて……ごめん……ね」
「謝らないでよリー……母さん。今からでも遅くないよ、体を治して僕と一緒に暮らそうよ。聞きたいことが沢山あるんだ。どうして母さんは僕を大事に想ってくれているのに離れ離れになったのかとか……色々。だからもう少しだけ頑張って、母さん」
「…………」
無情にも母さんの目から光が消える。現実は最後の返事すら貰えないほど残酷なものだった。こんなことなら未来の事を語ったりせずお礼を言うべきだった。手を握って微笑んであげればよかった。後悔ばかりが湧き上がる。
そもそも俺が村から離れたところへ母さんを呼ばなければ襲われなかった可能性は高い。俺が母さんを殺したんだ。母さんが死んで俺が生きていることがおかしいんだ。頭が、心が、壊れる寸前だった俺は
――――うああああぁぁぁっっっ!
逃げるように、謝るように、痛みを誤魔化すように……大声で泣き続ける事しかできなかった。
※
母を失った悲劇から10年後――――後悔を抱え続けたまま生きていた俺は誰も傷つけさせない為に、そして自分を痛めつけるように体を鍛え続けて18歳の誕生日を迎えた。
この日もいつものよう爺ちゃんと模擬試合をしていた。結果、全く敵わなかったけれど爺ちゃんはとても嬉しそうに笑っている。
「うむ、右手と右脚しか使っていないとはいえワシとそこそこ互角に渡り合えるようになってきたな」
「ふぅ……それは互角とは言わないんだよ、爺ちゃん。相変わらず化物じみた年寄りだよ」
「いいや、そうでもないぞ。お前はまだ18歳で伸びしろはいくらでもある。人間の強さは肉体と魔力と魔術の足し算じゃから真面目に研鑽を積んでいる者の全盛期は大体40~50歳ぐらいになると言われておる。逆にもう60歳のワシは差を詰められる一方じゃ、10年もすればゲオルグに全く敵わくなるかものぅ」
「ハァハァ……だといいけどな。それより今日はどうして模擬試合をしようと言ってきたんだ? 最近は関節が痛いとか言って相手をしてくれてなかったのに」
「18歳になったゲオルグの強さを確かめたかったのじゃ。そのうえで長年伏せてきた真実をお前に伝えようと思っての。客間に来い、そこでゆっくり話そう」
爺ちゃんは内容を伏せていたけど当時の俺はきっとリーサさん……母さんのことを話されるのだろうと予想はついていた。
あの事件が起きてから半年ほど俺の心が病んでしまい、飯もちゃんと食えない状態になっていたから村の皆は意識的に母さんの話を避けてくれていたけれど、もう俺も大きくなったことだし全ての真実を話してもいいと思ったのだろう。
互いに客間の椅子に座ると爺ちゃんは懐から1枚の手紙を取り出して机に置いた。差出人はリーサと書かれている。
「……今からワシはゲオルグとリーサ殿の過去について話す。全ては19年前に届いたリーサ殿の手紙から始まった。まずはこれを読んでみるのじゃ」
手紙に目を通すとそこには当時俺を身籠っていた母さんがサルキリの孤児院に我が子を預かってほしいと書かれていた。サルキリに預ける理由はブレイブ・トライアングルで1番人の目に触れにくく、強者ぞろいだから安全だと考えたかららしい。
その依頼を受けた爺ちゃんは母さんから俺を預かって0歳の頃からずっと育ててくれたと話してくれた。
母さんが俺を守ろうとしてくれていたのは分かったが結局なぜ俺や母さんが命を狙われていたのか手紙には書かれていない。今日の爺ちゃんは全てを教えてくれるはずだ、聞いてみよう。
「結局、黒い太陽の仮面……長いから
「それを語るにはまずリーサ殿の過去を教える必要がある。リーサ殿は元々マナ・カルドロンの出身でな。魔術学院で1番の魔術の腕を持つという点以外はごく普通の女子だったそうだ。だが、周囲の大人たちは彼女の魔術の腕を欲しがったみたいでな。狭間で揉まれて散々嫌な思いをしてきた彼女は魔術師の身分を捨てて国を出た。そして自分の憧れていた仕事をすると決めた」
「どこの国で何の仕事をすることにしたんだ?」
「ゴレガード城で給仕の仕事に励んでおった。凄まじい魔術の才能を隠し続けてな。とはいえ頭の切れる彼女は城内で瞬く間に出世していき幸せな日々を送っていた。だが、彼女が22歳になった頃、最悪の悲劇が起った」
そこまで言って爺ちゃんは言葉を詰まらせた。今日、全てを話す覚悟をしていた爺ちゃんですら躊躇してしまう内容とは何なのだろうか……聞きたいのに聞きたくない複雑な心境のまま沈黙は続き、爺ちゃんは口を開く。
「現ゴレガードの王であるボルトムがリーサを気に入り、強引に関係を迫ったのだ。当然、リーサは断ったのだが卑怯なボルトムはリーサの両親と妹の名を出して脅しをかけて言う事を聞かせた。女癖の悪いボルトムからすれば短い期間の女遊びのつもりだったのかもしれん。だが、その時にリーサ殿は……」
「爺ちゃんの口から言わなくていいよ。つまり俺はボルトム王の息子なんだろ?」
「……ああ、そういうことじゃ」
自分の中に流れるクソ親父の血を今すぐ抜いてやりたい気持ちでいっぱいだった。半分だけとはいえボルトムの血が流れている事実に吐き気がする。
それでも正気を保っていられたのは優しい母さんの血が流れている事実と爺ちゃんに育てられた誇りがあったからだと思う。
大丈夫、俺はもう大人だ、冷静でいられる。そう念じながら俺は爺ちゃんに続きを聞く。
「つまり子供ができると思ってなかったボルトムからしたら都合が悪かったんだよな?」
「その通りじゃ。元々王様や貴族は勇者の血を保つ使命があるから複数の女性と関係を持つこと自体は認められておる。だが、それはあくまで勇者の血を持つ貴族同士が同意の上で子供を作らなければならない決まりじゃ。平民リーサとの関係はボルトムの評判を地に落としかねない爆弾となってしまうわけじゃ」
「……全てが繋がったよ。だからボルトムは母さんと俺の存在を消そうとしたんだな。きっと黒陽もボルトムお抱えの暗殺者か何かなんだろうな。そんな奴らから長年逃げ続けた母さんはやっぱり凄いと思うよ」
「リーサ殿自身が強いのもあるが協力してくれた仲間たちも優秀だったようじゃな。彼女には人を惹きつけるカリスマ性と温かさがあったのだろう。だが、温かい人間だからこそゲオルグのことが忘れられず、離れられず、時々サルキリへ様子を見に来るようになってしまったのじゃ。運命は何とも残酷にできておる……」
あまりに辛い事実だけれど、これでスッキリできたし母さんの愛の深さを知ることもできた。それだけでもう充分だし俺は幸せ者だ。俺が「教えてくれてありがとう」と言って椅子から立ち上がると爺ちゃんは慌てて立ち上がった。
「お、おい! 随分さっぱりと話を終わらせるじゃないか。まさかボルトムへ敵討ちするつもりじゃなかろうな?」
「爺ちゃんも母さんもそんなこと望まないだろ? だから敵討ちなんてしないさ。だけど過去を知ったことで目標ができた。だから今から早速修行してくる」
「目標じゃと? それは一体?」
「俺は聖剣を抜いて勇者になる。過去に大活躍した勇者たちは一国の王より遥かに有名で偉大な存在になっていたんだろ? 大英雄と呼ばれるぐらい大きくなってからクソ親父の前で言ってやるんだ、母さんの魂は死んでいないってな」
「勇者か、大きく出たな。勇者は10年に1人、下手すれば20年現れないこともある茨の道じゃ。本気なのだな?」
「ああ、この生き方を生涯曲げるつもりはない」
「いいじゃろう。ならばとことん偉大な勇者となれ。ボルトムに一泡吹かせるなんて通過点に過ぎん。ブレイブ・トライアングルを救い、オルクス・シージすらも我々の領土にするぐらいにな!」
そう言って爺ちゃんは俺の背中へ思いきり平手打ちをする。ヒリヒリする背中からエネルギーを注入された気分になった俺は18歳の誕生日――――勇者に向かって1歩目を踏み出した。