定例会から戻ってきて早8日――――エノールをグリーンベルに迎えて町に腕利きの医者が2人に増えたグリーンベルは一層賑やかになっていた。
どうやらエノールはゴレガードから色々な人材を連れて来てくれて物資まで持ってきてくれたようでグリーンベルは更に力を増やす事に成功する。
特に高級な野菜やフルーツの種、そして、それらの農作物を扱える人材を連れてきてくれた恩恵は大きく、町長ヨゼフはだらしない笑顔で毎日帳簿を捲っている。
そんな好調な町を尻目に俺とエミーリアはサルキリに行く為の旅支度を終え、出発前の朝食を食べ終え、行ってきますの挨拶をしていた。
一通り挨拶を済ませたところで俺とエミーリアの元へ駆け寄ってきたパウルは膨れっ面を浮かべている。
「ちぇ……オイラもサルキリに連れていってくれてもいいのに。なぁオッサン、今からでもオイラを連れて行かないか?」
「悪いがパウルはお留守番だ。強いお前がいるからこそ長めに留守を預けられるんだ、分かってくれ」
理屈は分かるが納得はできていないと言わんばかりにパウルは膨れっ面を続けている。納得いかないことを経験するのも教育になるだろう。とはいえこのまま別れるのも後味が悪い。ここはより強い信頼をみせておこう。
「留守の間、パウルに聖剣バルムンクを預けておく。何日もの間、聖剣を預けられるのは世界でただ1人、お前しかいない。何かあったら聖剣で町の皆を守ってくれ」
「え? 道中丸腰になるけどいいのか? それに勇者にとって1番大事な聖剣をおいていくなんて……」
「魔物が大規模で攻めてくるのは決まって人の多いところや農作物・建物の多い場所だ。だから道中に聖剣は必要ない、丸腰でも絶対に魔物に勝てる自信があるからな。それに大事な聖剣は置いていくんじゃなくてパウルに託しているんだ。頑張れよ」
「お、おう! 分かった! 気を付けて行ってこいよオッサン、エミ姉。100万匹の魔物が来てもオイラが追っ払ってやるから心配すんな!」
単純な奴で助かった。一応、本心とはいえ無邪気に笑っているパウルを見ていると若干申し訳ない気がしないでもない。まぁ聖剣バルムンクは少し重たいが振っていれば良い剣術練習になるだろう。
俺とエミーリアはギルドを出るとサルキリのある北東へと馬を走らせる。今回の旅路は途中まで馬で移動し、馬宿に馬を預けてからは徒歩でサルキリへの山道を登っていくことになる。
片道だけで馬の移動1日、徒歩移動3日にもなる過酷な旅だ。これだけ時間がかかるのはやはりサルキリまでの山道がほぼ獣道・
ブレイブ・トライアングルのど真ん中に位置しているにもかかわらず3国から放置されているのも納得の場所である。
エミーリアの体力を気遣いつつ、時々手を握ったり背負ったりしながら大きく疲労することなく順調に歩を進めていた。といっても手をつなぐ時も背負う時も互いに緊張してしまい精神的には少し疲れたわけだが。もう少し女性への免疫を高めたいものだ。
長い長い山歩きを続けていると遂に俺の視界へ藁と木でできた家々が映り込む……やっとサルキリに到着したようだ。静かな川と池、家を囲む防風林、村人より遥かに多い野鳥たち、1年前と何にも変わっていない故郷がここにはあった。
エミーリアはサルキリの空気を胸いっぱいに深呼吸して到着を喜んでいる。
「ようやくゴールですね、感無量です。のどかで良い村ですね」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。じゃあ早速、俺の育った孤児院に行くとしよう」
俺は村の中で1番広くて平らな建物を指差してエミーリアと共に向かった。建物の周りには魔物や害獣対策の柵が立てられていて看板にはローゲン孤児院と書かれている。この景色も出発前となんら変わっていないようだ。
引き戸を開けた俺は「みんな、ただいま~!」と呼びかけると孤児院のチビたちがわらわらと群がってきて俺の帰還を喜んでくれた。そして遅れてやってきたのは孤児院の院長にして俺の育ての親でもあり、戦いの師匠でもあるローゲン爺ちゃんだった。
ローゲン爺ちゃんは今年70歳になるとは思えない鷹のような鋭い目と真っすぐな背筋、引き締まった体幹は健在のようだ。浅黒く、深かった皺はより深く額と目元に刻まれている気がするが、それは数多の死線をくぐり抜けてきた経験と覚悟を物語っているのだろう。
俺はチビたちの頭を撫でながらローゲン爺ちゃんにただいまを告げる。
「久しぶりって程ではないけど帰ってきたよローゲン爺ちゃん。ちょっと頼みたいことがあって相談にきたんだ」
「そうかそうか、山は相変わらず険しかったじゃろう。今、お茶を入れるからお連れさんと一緒に客間で待ってなさい」
爺ちゃんに従い客間に移動した俺とエミーリアはソファーに腰かけてくたびれた足を休めていた。爺ちゃんがお茶を入れている間にエミーリアは部屋を見渡しつつ孤児院の感想を語る。
「ローゲン孤児院も良いところですね。子供たちも可愛くてゲオルグさんに懐いているようですし、ローゲンさんはとても優しそうですし」
「まぁ爺ちゃんは凄く優しいけど怒るとメチャクチャ怖いうえに強いけどな。村長ではないけど実質村の指導者的な立場でもあるから礼節にも厳しいし」
「ゲオルグさんが強いと褒めるなんてよっぽどですね」
「ああ、爺ちゃんと最後に本気で模擬試合をしたのが9年前だけど右手と右脚しか使ってない爺ちゃんに勝てなかったよ。もう、あの人が勇者になればいいんじゃないかと思うぐらい強いんだ」
「18歳の頃のゲオルグさんが為すすべもない強さなんて……しかも、その頃ならローゲンさんもそこそこ高齢ですよね? それって勇者以上に強いのでは?」
――――お待たせしたね、お嬢さん。
話をしている間に爺ちゃんがお茶を持ってきてくれたようだ。少し甘くしてくれた紅茶が懐かしさも相まって体に沁みていく。
少しの間、俺たち3人は自己紹介を兼ねた雑談を3人で続けた。エミーリアと爺ちゃんはすぐに打ち解けたようで和気あいあいと話していると俺の体をまじまじと見つめた爺ちゃんが顎に手を当てて呟く。
「ところでゲオルグ、聖剣は持っておらんのか?」
「ああ、もう1人の半人前勇者であるパウルって少年に預けてあるよ。あいつなら魔物の多いシーワイル領を聖剣で守ってくれるはずだ。とは言っても剣術はからっきしだけどな、ハハッ」
「そうか、大事な聖剣を預けられるぐらい良い仲間に恵まれているようじゃな。だが、わざわざ10日近くシーワイル領を留守にしてまでここに来たということはもしかして人手が足りていないのか?」
「爺ちゃんには全部お見通しだな。そう、だから俺は故郷の力……特に戦闘教育に役立ってくれる人材が欲しくて帰ってきたんだ。サルキリは武芸に秀でた者が多いからな」
「理由は分かった。だが、それならどうしてわざわざエミーリアさんをここに連れてきたんじゃ? 1人で説得する自信がなかったのか?」
「まぁそれもあるけど、エミーリアには実際に故郷サルキリを見てもらって、そのうえで俺の昔話を聞いて欲しかったんだ。思い出したくない過去はサルキリに封印して誰にも話さないつもりでいたんだけどな。だけど、彼女にだけは話して心の荷物を軽くしたくなったのかもしれない」
俺の言葉を受けて爺ちゃんはほのかに微笑むと棚に飾ってある2本のナイフを見つめて呟く。
「そうか、ではリーサのことも、ゲオルグの仇敵のことも、全て話すのだな?」
「ああ、そのつもりだ。だから少し長くなるけど俺の子供時代の話を聞いて欲しい。いいか、エミーリア?」
エミーリアは無言で力強く頷く。俺は記憶を20年さかのぼり、当時を振り返るような気持ちで語り始めた。