蜘蛛型の魔物ダークシェロブの糸集め当日――――早朝にギルドへ訪れると遠征メンバーが既に集まっていた。メンバーは俺とパウルとエミーリアを含めて9名いるようで、そのほとんどが糸を絡め取って回収する要員だ。
メンバーが最後の準備を整えていると後ろから誰かが俺の肩をつついてきて振り返ると、そこには町の武器鍛冶を担当してくれている爺さん『ワイヤー』が見つめていた。
ワイヤーは自他共に認める頑固職人で、鋭い目、固く結んだ唇、ゴツゴツした手が無骨さを表している。頭頂部のみ失われた白い毛髪も鍛冶の過程の事故によるものらしく本人は名誉の負傷と言っている。中々尖った爺さんだ。
ワイヤーは珍しく満面の笑みを浮かべて俺に告げる。
「ワシも遠征に志願させてもらったからよろしくなゲオルグ。生でダークシェロブの毒針が見られるなんて楽しみじゃわい」
「確かにダークシェロブは毒針を出してくるらしいが……俺たちの目的は毒針じゃなくて糸だぞ?」
「分かっとる分かっとる。糸は最優先で集めるから心配するな。ただ、聞くところによるとダークシェロブの毒針は射出後数分で硬度が失われてしまうらしいからな。硬いうちに調べて鍛冶に活かせる要素がないか調べたいのじゃ。特にあそこの若造には死んでも先に越されたくない!」
ワイヤーは鼻息を荒くしながら俺の斜め後ろを指差した。そこには最近エミーリアの紹介でグリーンベルに仲間入りしてくれた防具鍛冶職人あらため金属研究家の青年『ログラー』が立っていた。
ログラーは分厚い眼鏡と短く整えられた黒髪が印象的なインテリで、いつも背筋がピンと伸びていて喋り方も事務的な男だ。グリーンベルにはあまりいないタイプで直感タイプの職人であるワイヤーとはよく口喧嘩をしている間柄だ。
ワイヤーとログラーは少し名前が似ているし鍛冶に精通している者同士なのだから仲良くして欲しいものだ。
そんな俺の願いは全く通じる事はなく、ワイヤーのデカい声が聞こえたログラーは俺たちのいる方へと近づいてきた。そしてズレた眼鏡を人差し指で整える。
「老人介護お疲れ様ですゲオルグさん。相変わらずワイヤーさんは頑固で話が通じない職人でしょう? 今日の遠征も老体には厳しいでしょうから待機した方がいいと忠告したのですがねぇ」
「あ、いや、そんな別に俺は……」
「やかましいぞ若造が! いつもいつも理論値がどうだの、学者の見解がどうだの、煩わしいったらありゃしない。お前こそ棒みたいなヒョロヒョロの体で無理をしないことじゃな!」
「無駄のない合理的な肉体と言ってください! そもそも僕の筋肉はこう見えて――――」
また喧嘩が始まった……。元々ログラーはマナ・カルドロンの出身だから尚更グリーンベル育ちのワイヤーとは馬が合わないのだろう。2人のことは放っておいてそろそろエミーリアのいるカウンター近くへ行くとしよう。
俺が近づいたタイミングでちょうどエミーリアも最終準備が整ったらしく、一拍して視線を集めた彼女は出発前の挨拶を始める。
「全員準備が整ったようなので出発前に再度注意点を伝えておきます。目的の洞窟の中は暗いです。そしてダークシェロブの毒針は毒性が強く射出速度もそれなりに速いです。ですので出来るだけ固まって360度警戒し、互いを毒針から守り合える陣形で進みましょう」
エミーリアの注意を受けて場の緊張感が目に見えて高まっている。普通の町人はゴレガードの兵士みたいに全身鎧を着るパワーがなく軽い装備しか着れないから毒針を刺される箇所が多いからだろう。まぁ全身鎧自体がグリーンベルで作られていないわけだが。
パウルですら真剣な表情をしているから適度に良い緊張感だ。そしてエミーリアは更に注意事項を口にする。
「万が一、毒針に刺された場合はすぐに名乗り出てください。そして誰かに担いでもらって外に出てください。毒針の毒には進行度があり刺された箇所が『ピンク・赤・紫』の順に変わっていきます。紫になる前に解毒を開始できれば命に別状はありません。とにかく大事なのは命です、糸よりも撤退を優先しましょう。何か質問がある人は?」
他に質問がある者はいないようだ。エミーリアを含む全員の視線が俺に集まっており出発の号令を求められているのが分かる。ここまで特に何も喋っていない俺がリーダー扱いされていいのかは分からないが出発するとしよう。
「それじゃあ行くぞ、皆!」
――――おおおぉぉっ!
合計9名の遠征隊はギルドを出ると東にある洞窟へ歩き出した。洞窟までの道中は至って平和で何もトラブルはない。距離的にも短く片道3時間で着く事ができた。
あとは洞窟で糸を集めるだけだ。高まる鼓動を抑えながら俺たちは暗い洞窟を松明片手に固まって移動を続ける。洞窟の中にいるダークシェロブ以外の魔物は弱く、戦闘経験のない町人でも倒せる魔物ばかりだった。
ダークシェロブに遭遇する前からダークシェロブの糸を見つける機会も多く、侵入10分時点で既に目標量の4割が集まっている状態だ。
このままダークシェロブに遭遇しないまま糸を集めきれるのでは? と俺が祈っているとワイヤーが大きな溜息を漏らす。
「はぁ~~。毒針を拝めないんじゃつまらんのぅ。折角、ログラーより早く正確な分析をしてやろうと思っておったのに。まぁワシに敗北せずに済んでログラーは喜んでおるかな? そうじゃろ? ログラー」
「その言葉をそっくりそのまま返しま――――ワイヤーさん! 後ろッッ!」
「へ?」
インテリクール眼鏡ログラーから初めて発せられる大声に釣られて視線を向けると壁に張り付く大蜘蛛がこちらを睨んでいた。少し丸みのある黒い巨体、太くて逞しい8本足、間違いないダークシェロブだ!
ダークシェロブは移動速度はそこそこだがパワー自体は大したことないとエミーリアに聞いている。とにかく警戒すべきは毒針だ。俺は体を注視し続けていると案の定ダークシェロブは毒針を飛ばしてきた。
想像よりは速くない! 俺は余裕をもって聖剣バルムンクを構えて毒針を叩き壊してみせた。粉々に砕け散った毒針を前にダークシェロブはジタバタしている。
恐らくダークシェロブも普通の蜘蛛と同様に声帯が無く、声による威嚇も出来なければ仲間に危険を知らせることもできないのだろう。
パニックになったダークシェロブはそのまま壁を伝って天井側に逃げている。このまま仲間を呼びに行かれても厄介だ。魔術で遠距離攻撃を仕掛けたいところだが水の球を飛ばせるパウルは最後尾にいるから間に合いそうにない。となると俺がやるしかない。
このまま普通に地属性魔術ロック・ショットを放ってもいいが正直魔術があまり得意ではない俺では巨体のダークシェロブを一撃で仕留められないかもしれない。
ならばこの手を取るしかない。俺は左手に地属性の魔力を練り、人の頭ほどのサイズの岩を作り出して自分の目の前に放り投げた。そして瞬時に聖剣バルムンクを両手で握り、体を横回転させ、聖剣を斜め上に振り抜く。
すると刀身に付いている台座に弾かれた岩は凄まじい金属音と共に風を切り裂き飛んでいき、見事ダークシェロブの体を貫いた。ダークシェロブは天井に張り付く力を失って落下し、徐々に動かなくなり息絶えた。俺の即興技は大成功だ! さっそく見得を切るとしよう。
「どうだ! 見たか俺の新必殺技『ゲオルグ・ストライク』の威力と精度を!」
決まった……これは間違いなく決まった。仲間8人から尊敬のまなざしが突き刺さるのだろうなぁ、と周りを見てみると全員が何とも言えない顔をしている。特にパウルは眉尻の下がり具合が半端ない。
「オッサン、流石に自分の名前を技名に入れるのはダサいって。世間知らずのオイラだって分かるぞ。なあ、エミ姉もそう思うだろう?」
「あ、いえ、その、人にはそれぞれ価値観がありますから自分のす、す、好きな名前を付ければいいと思いますよ。それに誰の技か分かりやすいのもいいと思います。靴に名前を書くような感じで」
まさかここまで否定されるとは思わなかった。特にエミーリアの必死の弁護が辛い。なんだよ靴に名前を書くって……幼児の履き間違え防止対策じゃないか。
そこそこ凹んだけど糸集めはまだ終わっていない。技名は一旦保留にして探索を再開した俺たちはその後も順調に糸集めを進めた。
もうそろそろ目標の量を集め終わるかというところでワイヤーがいきなり歓喜の声をあげ始める。
「おお! あれはダークシェロブの死体じゃ。しかも毒針を体から出す直前で死んでおる。今度こそ毒針を調べるチャンスじゃな、ちょっくら見てくるぞゲオルグ」
「あ、待ってくれワイヤー! あんまり離れすぎるとよくないぞ」
ワイヤーは子供のように腕をブンブン振り回して走り、毒針の調査を始めた。その様子を見てログラーは肩をすくめる。
「フッ、あんなに目をキラキラさせる66歳はいないでしょうね。心の中は6歳かもしれませんよ? まぁ僕も調べますけどね、ワイヤーさんよりも100倍冷静に。ゲオルグさん周囲の警戒をお願いします」
「お前ら実は結構仲良いだろ?」
若干2人が子供のように思えてきた俺は指示に従い警戒を続けた。5分ほど経過したところで糸集めと毒針調査が同時に終わったらしい。屈んで調査を続けていたワイヤーが立ち上がる。
「これで充分じゃろ。あとは毒針を抜いて終わりにしよう。抜けば数分でボロボロになってしまうが、ボロボロの破片でも持ち帰ればいくらか研究サンプルになるじゃろう」
分厚い川の手袋をつけたワイヤーはダークシェロブの死体から勢いよく毒針を引き抜いた。すると何故かダークシェロブの体が突然熱したヤカンのような蒸気と音を発し、体がぶくぶくと膨らみ始めてしまった。
何か凄く嫌な予感がした俺は慌ててワイヤーとログラーの腕を掴み、後ろに放り投げる。
「2人とも離れろッ!」
俺の判断は結果的に正しかった。膨らんだダークシェロブの体は限界を超えたのか爆発し、紫色の蒸気を発したのだ。この眩暈と体の重さは間違いなく毒だ。俺はまともに毒を喰らってしまったが、幸いまだ皮膚の色はピンクになっているだけだから毒の進行は軽いだろう。
ワイヤーとログラーはほとんど毒を受けていないようだし後は脱出するだけだから問題ない。申し訳なさそうにしているワイヤーに励ましの言葉を掛けようと近づいた俺は背中越しに最悪の光景――――ダークシェロブの群れを目にしてしまう。
「クソったれ……爆発は仲間を呼ぶ為だったのか。撤退を決めた途端ダークシェロブの群れに退路を防がれるとはな……」