「なんだこれは……」
グリーンベルの町長ヨゼフの後ろについていった俺は思わず困惑の呟きを漏らしてしまった。その理由は目の前にある畑の小麦や野菜がズタズタに食い荒らされていたからだ。
ヨゼフはバツが悪そうに頭を掻くと畑について話し出す。
「驚かれたでしょう? この通り町自慢の農作物は魔物に荒らされておるのです。柵などを用意しても壊されるか飛び越えられてしまいますし、魔物を退治しても次から次へと現れてしまう始末でして……」
「魔物だって繁殖するもんな。これがグリーンベルの抱える悩みというわけか」
「そうなのです。何か解決方法に心当たりがありましたら力を貸していただけませんか?」
厄介な魔物が数えるほどしかいないのであれば俺とパウルが倒せばいいだけなのだが数が多くてあっちこっちに散らばっているのなら武力で解決するのは難しそうだ。
手を打つにしてもとりあえず敵を知ることから始めた方がよさそうだ。俺は畑に足を踏み入れて農作物を手に取りまじまじと見つめる。作物の噛み口や周りに落ちている毛から察するにどうやらダイヤウルフなどの狼系の魔物が荒らしているようだ。
「分かった、手を打ってみよう。ただ、先に聞いておきたいんだが畑を襲っているのはダイヤウルフだけなのか?」
「おお、よくダイヤウルフの仕業だと分かりましたね。そうですね、被害の8割はダイヤウルフです。残り2割は鳥系の魔物です、こいつらは力こそダイヤウルフに大きく劣りますが、当然飛行能力を持っていますからある意味ダイヤウルフより厄介です」
となるとまず手を打つべきは被害の大きいダイヤウルフで次に鳥系の魔物というわけだ。俺には故郷で学んできた魔物対策が幾つかある。まずはそれをヨゼフに提案してみよう。
「対策を思いついたから聞いてくれ。まずダイヤウルフに関してだが奴らは時間帯を問わず作物を襲う可能性があるから監視を付けるのが難しい。だが、奴らにだって弱点はある……それは嗅覚だ」
「えっ? 嗅覚が弱点ですか? ダイヤウルフはむしろ嗅覚が鋭いからこそ農作物を嗅ぎつけて狙えているはずですが……」
「そう、だから嗅覚の良さを逆手にとるんだ。ダイヤウルフにとって不快な匂いを放つ物質を畑の周囲に設置する。より具体的に言えば辛みの強いスパイス系の匂いだ。例えば魚の魔物『グレート・バラクーダ』のフンとかが理想だな。近くに生息地があったら教えてくれないか?」
「の、農家でも学者でもないのに知識と応用力が素晴らしいですなゲオルグ様。そうですね、往復で1日以上かかってしまうぐらい遠くにはなってしまいますが南西の湖ジースレイクにならグレート・パラクーダが住んでいる可能性がありますね」
ジースレイクと言えばパウルに浄化を頼まれた湖である。これは一石二鳥でラッキーだ。
ただ同時に1つ疑問が浮かんでくる。目的の湖とグリーンベルが結構近い距離にあるというのにパウルはグリーンベルのことを物珍しそうにキラキラした目で見つめていたという点だ。
パウルの生まれや育ちについてあまり突っ込みたくはないが、もしパウルが家出のような形で故郷を出たのだとしたらあまりよろしくない。少しだけ探りを入れてみよう。
「パウル、お前の目的地ジースレイクとグリーンベルは割と身近な存在だったみたいだが、1度もこの町に来たことはないのか? お前の故郷はここから近いのか?」
「オイラは1度もグリーンベルに来た事はないぞ。それに……オイラの故郷のことなんてどうでもいいじゃんか。シーワイル領の何処かだって思っていてくれればいいさ」
やっぱりパウルは露骨に故郷の話をさけている。掘り下げるのはここまでにしておこう。
「分かった、それでいい。じゃあ明日の朝になったら早速ジースレイクに行くとしよう。町長、すまないがどこか寝床を用意してもらえないか?」
俺がお願いすると町長は北側にある大きな家を指差した。
「ええ、用意してありますよ。町で1番大きな家をゲオルグ様にお譲りします。位置的にも1番安全ですからな」
「位置的に1番安全ってどういうことだ?」
「実は魔物による被害は農作物だけではないのです。家屋が壊されたり人が襲われることもありましてね。ですので我々町民は出来るだけ迅速に互いを助け合う為に住居を町の中心に固めているのです。その中でもあそこの家は1番大きくて頑丈なうえ広くて住み心地も良いという正に勇者様の家に相応しい物件なのです」
勇者として丁寧に扱ってくれる心遣いは嬉しいが正直俺は戸惑っていた。1番安全な家だと言うならば住むべき人間が他にいると思えるからだ。
「気持ちだけ頂いておこう。俺とパウルの住居はそうだな……あっ、あそこが良さそうだ。向こうに見える畑近くの洞窟で構わない」
「なっ! 勇者様にそのような暮らしはさせられません! どうしてそのようなことを?」
「理由はいくつかある。まず町を営んでいくうえで1番大事なことは弱者の保護だ。お年寄りや体の弱い人にこそ安全な場所を譲ってあげたいと思ってる。そして聖剣を持っている俺は外部の野盗から狙われることもあるかもしれない。その時に少しでも町民を巻き込むリスクを下げる意味でも洞窟の奥を寝床にするのは良いと思ってる。パウルもそれでいいか?」
「おう! 洞窟は涼しいし掘れば空間も広げられるからいいと思うぞ。それに一本道の洞窟なら敵の侵入にも対応しやすいし、追いかけて捕まえるのも楽だからな」
パウルは肉弾戦や魔術だけでなく戦術的頭脳にも優れているようだ。まぁ洞窟には洞窟のデメリットがあるから最適とは言えないかもしれないが今は充分だろう。
俺とパウルが早々と住居を決めたことでヨゼフは困惑していたが、すぐに笑顔を浮かべて頭を下げた。
「勇者様の優しさと知恵に感服いたします。そこまで頭が回りませんでした。では洞窟に家具を運び終えたら早速あそこの家の活用法について町民と話し合ってきます」
「もう夕方なのに働き者だな。無理はするなよ?」
「ええ、勇者様もどうか無理はなさらずに。洞窟の住み心地が悪ければすぐに言ってくださいね。1番活躍できる勇者様の健康を重視することもまた合理的判断であり、町長の大事な仕事でもありますから」
「ああ、ありがとな。町長の心遣いと判断も立派なもんだと尊敬してるぜ。明日からもよろしくな」
俺とパウルは町長に手を振って別れを告げ、洞窟へと移動する。洞窟はパウルの言う通りとても涼しく快適だ。町長から送られてきたランタンや食材やベッドなどを洞窟の奥へと運び終えたあたりで夜も深まってきた。
俺とパウルは近くの滝で体を洗い終えて洞窟に戻り、早々とランタンを消して瞼を閉じる。今日は沢山走ったうえに引っ越し作業もしたから沢山眠れそうだ。
※
グリーンベル2日目の朝、新居となる洞窟で目を覚ました俺とパウルは町長宅で朝食を頂いた後、すぐにジースレイクに向かって歩き出した。
ジースレイクまでは整えられた道がなく馬で移動ができないことに加えて湖での作業に体力を残しておかなければいけない。ゆえに俺たちの移動は早歩きと駆け足が基本となっていた。
時間は緩やかに流れていき、そろそろ夕方になろうかというところで俺たちの目の前に林で囲まれた湖が姿を現わす……間違いない、あれがジースレイクだ。
初めて見るジースレイクは薄紫色に濁っており想像以上に汚れている。幸い湖自体がさほど大きくないから浄化にかかる時間は少なく済みそうだ、もっとも聖剣による浄化は今回が初めてだからどうなるかは分からない訳だが。
俺は聖剣バルムンクを手に取り、一旦周りを見渡した。ジースレイクから50歩ほど西側には進入禁止を意味する真っ黒なロープが木々や木柵を通して結ばれている。
あのロープは3国共通で使われているオルクス・シージとの境界戦……つまり魔物たちの領域を示しているから迂闊に近づかないようにしなければ。
オルクス・シージに近い事を考えると、もしかしたら湖を汚染させたのも領域からやってきた魔物たちの仕業かもしれない、珍しく少し緊張してきた。
パウルも同じことを考えたのか西側を警戒しているようだ。だが、いつまでもオルクス・シージ側を睨んでいる訳にはいかない。
「さあ、早速湖の浄化を始めるぞ。俺が浄化している間はパウルが周囲を警戒しておいてくれ」
「おう、任せろ! オッサンも浄化頑張れよ。正直、オッサンは浄化が似合う見た目をしてないけど、それでも凄く期待しているからな!」
「やかましいわ! っと、いかんいかん。集中しないとな。よし、いくぞ。聖剣バルムンクよ、湖の穢れを祓いたまえ!」
俺は勢いよく刀身を湖へと沈ませる。浄化のやり方を正確には聞いていない俺だったが、不思議と聖剣を湖に浸けた瞬間に『浄化を願い、魔力を込めればいい』という情報が頭の中に入り込んで分かり、懸命に魔力を注ぎ込んだ。
すると薄紫色に汚れた水面が刀身部分から少しずつ透明になっていくのが目に入る。まるでコーヒーの中にミルクを垂らしたかのように広がる波紋は見ていてとても気持ちが良い。
この調子なら1時間もかからず浄化できそうだ。嬉しくなった俺はまじまじと水面を見つめていると前方の水面から微弱な波紋が流れてきて聖剣に触れた。
魚でも跳ねたのかと思い前方を見てみたが姿が確認できず再び視線を聖剣に戻すと
「オッサン、前だッ!」
突如、割れんばかりの声でパウルが叫び、俺は慌てて聖剣と共に後ろへ跳ぶ。すると視線の先にある水面から水飛沫をあげて大きな魚が飛び出てきた……のかと思ったら魚の下には人間のような四肢と濃い緑色をした鱗の体表を持つ肉体が存在していた。そして、奇妙な生き物は陸地に足をつける。
魚の頭、そして俺とそう変わらない人型の巨体を持つ魔物――――今まで自分の目で見たことはないが間違いない。奴は半魚人族とも呼ばれているサハギン種の中でも上位の存在プロト・サハギンだ!