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第1話

 律歌が目覚めたあの日、律歌は夕にポッドから目覚めたが、博物館のポッドたちは真夜中に割れた。

 警報が鳴り響く中、ポッドから這い出た二人の影は、そこで女の声を聞く。


「あなたたちの目覚めを待っていたわ。急いでここから出ましょう」

 目覚めたばかりで何もわからず、生まれたばかりの鳥の雛のように視線をさ迷わせる旧人類の若者たちは女が差し伸べた手を取るほかなかった。

「ここはどこ?」

「旧人類史中央博物館よ。あなたたちがコールドスリープしたポッドはここに保管されていたの。……どういうことかわかる?」

 警報音はなおも激しく鳴り響いている。とてもではないが、会話をできるような状況とは思えなかった。走ってきたのは、警備のアンドロイドと数体の警備ロボット。

「そこで何をしているんですか!?」

 女に向かって声を上げたアンドロイドに、女は答えずポッドから目覚めた二人を背に庇う。

「私は旧人類です。この博物館にこの人たちを閉じ込めることは倫理に反するわ。私はこの人たちを助けに来たの」

「あなたが、旧人類……? 助けに……? ポッドの中の人が目覚めたというのか」

 アンドロイドが慌ててポッドに目を遣る。飛散したガラス、培養液で濡れた床を見て、アンドロイドはロボットにまず片付けるように命じた。

「ガラス……ケガはありませんか」

 二人の若者にそう問うアンドロイドに、女は眦を吊り上げて叫ぶ。

「来ないで! そうやって善人ぶって近づいて、研究の材料にするつもりでしょう、彼らの手当は私がするわ」

「いえ、あの、あなたも旧人類とおっしゃいましたね? コールドスリープの時期は存じませんが、あれから長い時が経っています。当時とは情勢も何もかもが異なる……。なので、我々が状況説明を」

「要らないわ。道を開けて!」

 女はヒステリックに叫ぶと、警備員を押しのけるようにして先に進もうとした。警備員としては引き下がるわけにはいかない。いくらポッドから目覚めたばかりの旧人類を保護する目的だとしても、彼女は博物館側からすると不法侵入者であり、部外者だ。なんとか宥めて話をしなければ、そう判断し、増援を呼ぼうとインカムに触れたところで気づいた。

 ――切断されている。

 館内の緊急システムに接続されない。何者かによって切断されたのだ。

 気づいたときにはもう遅かった。

 目の前で、警備ロボットが火花を散らして崩れた。女が、バールのようなもので殴りつけたのだ。女が持っている鈍器は、電気を帯びていた。

「何を……」

 言いかけたアンドロイドは次の瞬間には意識を失っていた――もとい、強制的に電源を落とされていた。アンドロイドは、頭部に強い衝撃を受けると、暴走時の緊急停止の意味合いと、根本データの破損を防ぐために強制的にシャットダウンするシステムになっている。鈍器で殴られれば、そのシステムが働くのは当然だった。

 ただ殴られただけであれば、復旧システムが滞りなく動けば、気絶した人間と同じようにしばらくたてば起き上がることができる。しかし、頽れたアンドロイドに歩み寄ると、女はアンドロイドの警備服をナイフで割いて、背にある小さな蓋を外し、基盤をめった刺しにした。こうなると、アンドロイドの管理者が復旧プログラムをかけないと起き上がることは出来ない。

「警備型アンドロイド……Guardか。いうほど脅威ではなさそうね」

 粉々に砕けた基盤のかけらを足蹴にすると、まだバチバチと火花を散らしているそれらを放って女は震えている旧人類の若者二人に優しく笑いかけた。

「安心して、怖いアンドロイドはすぐには起き上がってこないわ。増援を呼ぶ装置も先に壊しておいた。私たちを閉じ込めようとする新人類やアンドロイドたちから、一緒に逃げましょう」

 女に導かれるまま、二人はけたたましい警報音のなか博物館を走り去った。



 政府のアンドロイド管轄に単身で踏み込んでいったのは、その時に逃げ出した男の方だったという。男女のペアで安置されていたポッドのうち、男のポッドには『Uranosウラノス』札がかかっていた。女の方には、『Gaiaガイア』と。旧人類史では、遠い未来に希望を託して眠りについたこの二人が、新たに世界を創生することを祈ってこのコードネームとしたのではないかと言われているが、真意は定かではない。



 ――政府中枢、アンドロイド統括機関への攻撃を試みた男は、博物館ポッドより逃走していた『Uranos』であるとみて間違いありません。男は、『我々旧人類を閉じ込めて研究材料にし、自分たちの発展のためだけに利用しようと手を組んでいる新人類とアンドロイドに対抗するために立ち上がった。これは旧人類の人権を守る行為だ』などと供述しており――。


 モールから帰宅してニュースをつけると、またこの話題だった。律歌はゆっくりと古森を振り返る。

「発展のために……利用……?」

「そう思うか?」

 俺が律歌に対してとっていた態度は、そういう風に見えるか? と言って、古森は電気ケトルのスイッチを押した。

「ううん、そうは思えないし、信じたい。けど、ヘンゼルとグレーテルって魔女が太らせて食べようとしてたじゃない」

「俺が律歌を肥えさせて食うって?」

「信用させて研究材料にする? とか」

「研究材料にならポッドにいるときにしてたさ。それについてはごめん」

 律歌は足元へ目を落とした。モールへ行く前は裸足だった、靴下に包まれている足首、そこには、昨日まではタグバンドがついていた。今は……。

 そして、決心したように顔を上げる。

「古森教授」

「ん?」

 食器棚から三人分のマグカップを出して、古森が振り返った。

「私、知りたい」

「え……」

「この時代の事、過去の事、それから、私について」

 あなたは研究してきたんでしょう、と律歌は古森をまっすぐに見つめてそう言った。古森は律歌の射るような目に少し怯んだが、研究者として、一人の大人としてこれは逸らすことは許されないと感じ、体ごと律歌に向き直ると答える。

「俺にも解析しきれていないことは多い。祖母から伝えられたことも、どこまで本当かはわからない。律歌にとって辛いことも多いかもしれない。それでも、知りたいか」

 何も知らないまま、このままこの世界に溶け込んで生きることも不可能ではない、と古森は言う。律歌は首を横に振った。

「昨日も言ったけれど、何も知らないまま生きるのは無責任だと思ったの。新人類のみんなに全部託して眠りについた旧人類の、その末端として私ができること、それはまず『知ること』だと思う」

 古森は息を飲む。17歳やそこらの少女が、生きることについて、生き延びた者の責任について述べている。こんなにしっかりした子だとは思っていなかった。大人として、過酷な事実を伝えないことで、まだ子供である律歌の心を守ってやることが最優先だと思っていたが、律歌は自らが傷つこうとも知ることを求めた。それならば、こちらも答えるほかないだろう。

「わかった。俺の知る限りのことは話そう。でも、無理だけはしないでほしい」

 そう言った古森に、律歌は少し安心して笑った。

「うん。そういうと思った。……ありがとう」

 古森は、自分を利用しようとなんてしていないと律歌は確信した。もしもこの人が自分の研究のため、新人類のために何かをしようとしているのなら、きっと律歌の精神なんてそっちのけで事情を、彼女が『背負っている何か』についても明かして、解決させようとしただろう。そうではないということは、彼は彼なりに律歌のことを気遣っているという事。精神的に未熟な律歌であっても、それは理解できた。

「なんで礼なんて」

「しらばっくれてる? 私の事気遣って、いろいろ隠してくれててありがとって言ってるの」

 その二人のやり取りに、シンは小さく笑った。

「教授、そういう時は素直に」

「わかった。……どういたしまして」


 長い眠りから目覚めてたったの一日、律歌は少しずつ、本当の意味で目を覚まそうとしている。


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