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第10話

「それで、まさかこんなところに連れてきてくれるなんて思いもしないじゃん……」

 古森が律歌を誘い出したのは、一駅行った先のショッピングモールだった。パッと見ただけでは旧人類だなんてわからないから。そう言った古森が次に続けた言葉は、「街へ出てみないか」だった。

 喫茶店でクリームソーダを頼んだ古森は、泡が弾ける鮮やかなエメラルド色のソーダをストローで吸いながら笑う。

「悪くないだろ、ここの店」


 時は数時間前に遡る。

古森の家でありラボである建物を出て、律歌は「あれ?」と首を傾げた。

「どうした?」

「車、飛んでないんだ」

 ああ、と古森は空を見上げる。そこには午前中の色をした淡い青の空が広がっているだけ。

「律歌の時代は車が飛んでいたんだっけ」

「うん、まあ……一部のお金持ちだけだけど、飛行自動車も結構あったね」

「数十年前から廉価版の飛行自動車も結構普及してね、事故や空中渋滞が多くなることがわかって、一般車両は空を走るのは禁止になったんだよ」

 なるほどね、と律歌は唸る。空中渋滞、それは律歌の時代に空地両用の飛行自動車が普及し始めた時から懸念されていた問題ではあった。それが現実問題となって実際に規制が入ったと知り、自分の時代で議論されていたことの結末を見れてしまったことは、不謹慎ながらちょっとおもしろいな、と感じて律歌はあたりを見回した。

 ちょうど、頭上を救急車両が通り抜けていくのが見えた。

 空は緊急車両しか通りえないので、旧時代のようにサイレンを鳴らす必要はなくなっており、静かだ。

「地上を走る緊急車両はもういなくなったの?」

「うん、地上の方が近い場合は稀に通常車両でサイレンを鳴らして走るのもあるけど、大体は飛行救急車が専用ポートに入るね、病院には緊急搬送口が二か所あるのが普通だよ」

 この時代の病院においての緊急受け入れは、地と空の両方から対応できるように入口が分かれている。大体は渋滞を避けて空に緊急車両を走行させて空中ポートのほうから運び込まれることが多いので、そちらが使用されるのだが、稀に病院のすぐそばで事故に遭っただとか、急病人がでた際には地上緊急搬送口が使われることもあるとのことだ。

「そっか、あ、ねえ、救急車のタクシー利用みたいな問題ってもう解消してるの?」

「救急車のタクシー利用……?」

 古森は聞いたことない単語に首を傾げる。律歌は、自分には少し大きい古森のパーカーをだぼつかせてぽてぽてと歩きながら、「大したことじゃない時に救急車を呼んじゃって、救急車が足りなくなる現象だよ」と教えてあげた。古森の中学時代のジャージのズボンが残っていたおかげで、めちゃくちゃに野暮ったい恰好ではあるがなんとか外に出るには至ることができた律歌は、裸足につっかけた男物のサンダルで蹴躓きそうになりながら古森を見上げる。

「聞いたことないってことは解消されてるんだね」

「そんな使い方をする不届き物は見たことがないな。というか、なんでタクシーみたいに使う必要があるんだ。タクシーを使えばいいじゃないか」

「それはそう。でも昔はね、救急車って無料だったんだよ。私たちの時代には有料化されたけど、それでもタクシーより安かったの」

「そんなとこでディスカウントすんなって話だよな」

「それな」

 二人の後ろを歩きながら、シンはなんだかきょうだいみたいで微笑ましいと笑った。

「きょうだい……」

「はい」

「そっか、シンはアンドロイドだから兄弟とかいないよね」

 私も一人っ子だよ、と律歌はシンを振り返る。

「あっ……でもコールドスリープした後のことはわからないか……」

「君の知らない弟や妹が存在していた可能性があるよな」

「それはそれでなんか複雑だけど……」

 どちらにせよ、もうこの時代では会えないか、と律歌は小さく笑い、前を向いた。


 それから、古森は律歌にリストバンド型のマネーデバイスを持たせ、モール内の好きな店で買い物してこいと言った。勝手にお金を使うなんて悪い、と言う律歌に、古森は言い淀む。

「お買い物するなら教授も一緒にじゃないと、なんか泥棒みたいじゃん」

「そんなことないって、俺が小遣いとして渡してるんだから何も問題ないし」

「じゃあパパ活みたいでやだ!」

「ぱぱかつ? なんだそれは」

 おじさんとデートする代わりにおじさんになんか買ってもらったりおごってもらうやつ、と律歌が口を尖らせる。

「なっ、おい律歌、そんなことしてたのか」

「私はしてないよ!? ちょっと前の時代に問題になったんだよ、教科書とかに倫理問題として載ってたの!」

 ちょっとばかり言い合いになったが、どうしても切り出せなさそうな古森の代わりに、シンが律歌に耳打ちする。

「あの……」

 それでようやく律歌は気づいた。

「そっか、下着! 確かに下着屋さんは教授は入りにくいか……ごめんね!」

 古森は気まずそうに俯いてしまった。

「いや、ついて来いと言うなら、別に……下着だって衣服の一種ではあるから恥じることでは」

「いいって、ごめんね、女の子の下着屋さんとか怖いよね」

「怖くない」

「気まずいよね、ごめんごめん」

 古森は笑っている律歌を見て眉間にしわを寄せる。こいつ、俺をからかうのが少し楽しくなっているんじゃなかろうか。その横で困ったような顔で笑っているシンも同罪だ。ぼっちとかいうし。

 律歌は気づいていた。ここまで、眠るときに着用していたナイトブラに古森のパーカーを引っ被って、下は芋ジャージで来たけれど、透けたりしないように、古森はできるだけ厚手の物を貸してくれていたのだ。

(意外と気遣ってくれてるんだよな……)

 一時間半後にモールの二階の喫茶店で、と約束し、三人は一度解散した。

 古森の言う通り、堂々とモールを歩いていても誰も律歌が旧人類であるということを見抜く者はいなかった。

 万が一、体臭などで感づかれると怖いと言った律歌に、シンが貸してくれた香水は優しい石鹸と花の香りの、高校生女子がつけていても不自然ではない香調で、シンのベッドと同じ匂いがした。



「教授」

「ん?」

 一杯目、コーヒーフロートを飲みながら古森はシンの声に読んでいた本から顔を上げる。

「ついていかなくて、大丈夫でしょうか」

「うん、逆に男二人がついて歩いている方が怪しくないか?」

 そういわれて、シンはうーん? と首を傾げる。

「いえ、私たちどちらか一人だけでもという意味です」

「えっ」

 まあ、そうか……そうか、そうだな、と古森はぼそぼそ言っている。察したシンはくすりと笑った。

「デートみたいで気恥ずかしいですか」

「うん、そうだな……って違う違う」

「違うならなんで行ってあげないんです? 下着を選び終わって合流、でもいいでしょうに」

 古森は視線を右に、左に、と泳がせると、バニラアイスをスプーンでつつきながら消え入りそうな声で言った。

「……女子と買い物とか、どうしていいか、わかんないし……」

「だろうと思った……」

「いや、まあゆっくり買い物できるしいいんじゃないか!? うん!」

 自分を納得させるように言って、古森はアイスを口へ運ぶ。

 シンはこの人もう少し器用になればいいんだけどなあ、と思いながら、残ったペリエを飲み干した。


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