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第9話

 古森は観念したように話し始める。

「君が眠っていたポッドは、俺の祖母から受け継いだものだ。その……来歴みたいなものも、少し聞いてる。『Lethe』、その名は忘却の川、全ての記憶と引き換えに、君は恐らく何か大きなものを背負っている」

 律歌はがばりと顔を上げて古森のシャツを掴む。

「何を知ってるの? 教えてよ、なんですぐに教えてくれなかったの」

「目覚めたばかりの君にいろいろな情報を詰め込んでも壊れてしまうだけだろ!」

 自分のシャツの胸元を掴んでいる律歌の手を握り、古森は諭すように続けた。

「俺も知っているのは断片的なことだ。君が何かの鍵を握っているという事、それくらいしか知らない」

 だから、焦ってあれこれ聞くのは止めてくれと古森は続ける。律歌は眉を寄せて、黙ってしまった。そして、ぽつりとつぶやく。

「それなら、尚更研究機関へ引き渡した方がわかることが……」

「あるかもしれない。けれど、それは君の人権を奪う可能性がある」

 何かの鍵になりうるということは、何かの開発のために利用されるのかもしれないし、昼夜問わず実験に付き合わされるのかもしれない。旧人類の命が目覚めたというのはそういうことだ、と古森は言う。

「研究機関へ行くのは、急ぐことではないと俺は思うんだよ」

 君が行きたいというなら止めないが。

 そう続けた古森に、律歌は言葉を詰まらせた。

 検査してもらった方が、きっとわかることは多い。

 けれど、何かがわかれば奪われるものだってあるに違いない。

 それをわかっていないわけではなかった。

「……ない」

「うん」

 蚊の鳴くような声で律歌は古森へやっと伝える。

「行きたくない」

「うん」


 スクリーンから聞こえる声は、こんなことを言っていた。


 ――旧人類が目覚めたことにより、新人類との共存について再度考えることになりそうですね。彼らは安全な社会になるまで新人類にすべてを預けて眠りについた種です。アンドロイドと新人類のこの政府に急に目覚めたわけですが……。


 何も間違ったことは言っていない、と律歌は思った。

 が、次の発言に目を見開く。


 ――覚醒した今、新人類とアンドロイドから政権を奪い返すつもりの個体もいると考えた方がよさそうです。もとより、私たち新人類は旧人類から派生し進化した種、彼らの恩恵があっての種という考え方が、旧人類には存在する……それにより新人類が淘汰される可能性が捨てきれないわけです。


「そんなことない! 何いってるの!? この人」

 律歌はスクリーンに映る男にくぎ付けになる。ごく地味な、黒の短髪に青い瞳の男がにっこりと微笑んでいた。


 ――ですが、ご安心ください、私共は本日より防衛組織『ペルセウス』を結成し、皆さまをお守りします。


 古森はコーヒーを啜りながら、つぶやいた。

「……そういう旧人類もいるかもしれない、ってことは念頭に置いといたほうがいいかもな」

「教授まで! そんな……」

「律歌、君は新人類を害そうとかそんなつもりはないだろう。けれど、人には様々な考えのものがいる。俺は、反乱分子となる危険性を孕んだ個体もいるということを否定できないと言っているだけだ」

 全部が全部そういう輩だとは言っていないよ、と言った古森に、律歌は俯く。

「じゃあ、あの人と同じ考えなの?」

 律歌はスクリーンに映る男を指さす。

 その顔の下には、『逢沢あいざわ りん』と書かれていた。

 古森はその男の顔をどこかで見たことがあった気がして、考え込む。

「考えは違うけど、そういう可能性があるっていうのはみんな考えることさ。それが一般的ってこと。……」

「みんな旧人類の事なんだと思ってるのよ」

 シンがなだめるように言う。

「一度絶滅した種が蘇って活動を開始した、と考えてみてください。恐竜、とか」

「人間と恐竜じゃわけが違うでしょ」

「ん~……何にも例えがたいですね、ニホンオオカミとか」

「シン、無理して例えなくていい。まあ、あれだよ律歌。かつてこの世界を征服しようとしていた人がもし蘇ったら、また世界征服をもくろむかもしれないって極端に言うとそういう考え方だ」

 旧人類はかつてはこの世界においての政権を握っていたわけだからね、と続ける古森に、律歌はうーんと唸った。

「じゃあ、私が出て歩いたら研究対象や反乱分子として捕まっちゃうかもしれないのかな……」

 古森はじっと律歌の目を見て、それから全身を上から下まで観察する。

「……なに?」

「うん、念のためよく見てみたんだけど、やっぱり俺たち新人類とパッと見は変わらないよ」

 人間の肌、人間の髪、人間の瞳。それは、旧人類も新人類も変わらなかった。アンドロイドに関しては、人工皮膚と人工毛、瞳は特殊グラスで出来ているから、瞳をよく見るとわかる人にはわかるのだが、人類と分類される種についてはその身体機能の一部を除いては一見しただけではわからない。古森はそう言った。

「それじゃあ、新人類に対して敵意がある旧人類もわかんないね」

 古森は頷く。今のところ、確実に『旧人類』と判別可能なのは、政府や研究機関が有していて、その姿を知っている者がいる個体だけ。律歌のポッドのように個人で所有されていたものや、秘密裏に保管されていたものに関しては、外を歩いていたとしても検査にかけない限りは旧人類と判別されることはないだろう。


「だからさ……」

 古森はカップの中のコーヒーを飲み終えると提案した。


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