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第7話

 気づけば、白い部屋の中にいた。

 目が覚めるってこんな感覚だったっけ、朝か。

 律歌はのそりと体を起こす。白いシーツ、白いカーテン。無機質な部屋。

 どこだろう、ここ。

 そして、誰がここに連れてきてくれたんだろう。

「あっ」

 ベッドから降りようとして、律歌はベッドの下で膝を抱えている男の頭を蹴りそうになり、慌てて足を引っ込める。

「ごめんなさい、当たった?」

「いえ、大丈夫です。おはようございます律歌さん」

 蹴りそうになった男の頭は、綿雲のように真っ白でふわふわの柔らかな癖毛だった。昨日初めて会った、この人は……。

「シンがここに運んでくれたの?」

「はい、ここは私の自室です。あいにく、お客様を泊める部屋が当ラボにはなくて……」

 ちょっと待って、と律歌は慌ててベッドから降りる。

「あなたのベッド私が使っちゃって大丈夫だったの!? あなたは? 休んだ?」

 それに、古森教授はどこ行っちゃったのよ、とついまくし立ててしまう。頭上からたくさんの質問を浴びて、シンは澄んだ勿忘草色の瞳をぱちくりとさせた。

「ベッドを使ったことは問題ありません、私は休みを必要としません、古森教授は、自室でお休みだと思います」

 そして、一つずつ順番にすべて答えて、こてん、と首を傾げる。

「あの、私は人の常識に疎いところがあります。なにか無礼を働いていたのなら申し訳ありません」

 きょとんとした顔で言うシンを見て、律歌は確信した。シンは、旧人類でもないし新人類でもない。おそらく……。

「ううん、そうじゃなくて……。そうだ、あなた休みを必要としないということは」

 シンは頷く。

「はい。私はアンドロイドF型です」

 古森教授は休んでいると言った。つまり、この時代の新人類は慢性の肩こりなどとは無縁の身体にはなったが、疲労と完全に切り離されたわけではなく、休みは必要なものと律歌にも理解できた。だが、アンドロイドに関しては律歌の時代から既に休みなどは必要としない。バッテリーさえ駆動していれば、休まずに何時間でも、何日でも起きていることができる。ただ、それをするとエネルギーを浪費してしまうから、スリープモードで自家発電をして人間でいうところの『眠り』に変わる体力の回復をするというのが一般的だった。人間には不可能な『寝溜め』もできるので、律歌は便利でいいなあうらやましいなあと思っていたが。

「F型……」

 引っかかったのは聞いたことのない型番だった。

「はい、Familiar、友好アンドロイド。あなた方の友となるために生み出された型です」

 アンドロイドには律歌の時代にも様々な型が存在した。医療従事特化アンドロイドMedic、教育機関特化型アンドロイドEducate、戦闘特化型アンドロイドCombat……友好? 何に従事するのだろうか。

「友好型……」

「はい、友として活動をするアンドロイドです」

 律歌は、上手く考えられなくて固まったままだ。何に従事するの、と聞くのも違う。何の役に立つの? と聞くのは失礼だとさすがの律歌もわかる。その無言にシンは小さく笑った。

(自然な笑顔だな)

 そういえば、律歌が目覚めてすぐ、書庫の奥で震えていたときに手を差し伸べてくれたシンも、優しく笑っていた。律歌の時代には、こんなに自然な表情をつくれるアンドロイドはいなかった。

「私がなんの役に立つのか、何のために開発されたのか、あなたも気になりますか」

「どうして……」

 他人の心を慮って会話をすることも、律歌の時代のアンドロイドにはないことだった。ただ、事務的に会話を進め、ただ、渡された仕事を淡々とこなす。それがアンドロイドだと律歌は思っていた。目の前にいるシンは、それらとは違う。

「私も気になっていたからです。古森教授も、導入するならばF型ではなくT型にすればよかったでしょうに、なぜF型を……」

 Task型、あらゆる雑務や事務作業を行う型だ。一度仕事を教えてしまえばそれを命じれば片付けておいてくれる型なので、研究者は研究に専念できる。こういったラボでは重宝されるはずなのだが、何故か古森はF型を採用した。

「確かに。……というか、F型って私の時代にはなかったんだけど、この時代ではメジャーなものなの?」

 シンは首を横に振る。

「いいえ、F型はこの時代においても珍しい型です。GEN2900年頃プロトタイプが発明され、GEN2903年に実用モデルがリリースされましたが、Re;GEN30年頃には人気がなくなったのでほぼ出回らなくなりました」

 待って、と律歌はシンの説明を一度止める。そもそも年号の基準がわからない。Re;GENには、一体いつ切り替わったのか。

「すみません、説明が不足していました。GENは2918年で終了。Re;GENへの切り替えはGEN2918年3月の後、Re;GEN1年4月からです」

 伝染病の蔓延、環境の汚染と戦乱により極端に人口を減らした旧人類が繁栄をあきらめ、新人類にすべての権限を譲り渡し、GEN2918年は円満に終わりを迎えたと歴史書には記録されている。

 もちろん、旧人類のやり方が身勝手すぎると反発した新人類も多くいたし、生き延びた旧人類が新人類に抵抗する事件もいくつか起きた。けれど、その者たちも長くはなかった。デモを行ったり、新人類へのテロ行為をはたらいた旧人類たちも、環境汚染と疫病には勝てず、死に絶えていったのだ。その時代の凄惨な環境に耐え切れず、自死を選ぶものもいたし、ゆるやかにその時を待ちながら命を全うした者もいた。

 旧人類がコールドスリープしたものを除いてすべて滅んでしまえば、その身勝手さを責めることもできなくなり、反発していた新人類も口を閉ざすほかなかった。

「私の……父さんと母さんはどうだったんだろう……友達は……」

 律歌は知りようのない過去に俯く。小さく震えている冷え切った手を、シンの大きな手が包んだ。律歌は驚いて顔を上げる。間近にシンの瞳がある。白銀のまつ毛に縁どられた瞳が、まっすぐに律歌を見ていた。

(あったかい)

 不思議と、気持ちが落ち着いてくる。

「あ……の、シン、もう大丈夫」

 急に気恥ずかしくなってきて、律歌はシンの手の中でもぞもぞと自分の小さな手を動かした。ぱっ、と手を避けると、シンは頷いて立ち上がる。

「よかった」

 F型だからこんなことをするんだろうか。人間の心を感じ取って、励ましたり、慰めたりする……そういう機能があるのだろうか。律歌は不思議に思いながら、シンを見上げる。

「リビングで朝ご飯にしましょう。その前に……コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」

 シンは、手を取って律歌を立たせてくれた。

「コーヒーがいいな」

 蜂蜜とミルクも入れたい。律歌は、素直にリクエストをする。その小さな願いに、シンは嬉しそうに頷いて、彼女をリビングへ案内するのだった。


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