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第6話


「今は真逆だ」

 この時代では、倫理的に問題があるのはかつての『自然分娩』や『帝王切開』というスタイルだと古森は言った。律歌は驚いて声を失い、そして、小さな声でやっと絞り出す。

「それじゃここでは私が倫理的にNGじゃん……」

 でも、なんで自然分娩がダメなのよ、と律歌は顔をしかめた。

 この時代においては自然分娩は野蛮な出産方法とされている。

 十月十日も女性の身体に負担をかけ、内臓を圧迫するような地獄の苦しみを与え、仕事や家事などの生活全般に影響を及ぼしたり、激しい運動を控えるよう強制される。女性にばかりペナルティが多すぎるのだ。そして、時が来れば分娩台にあがり、想像を絶するような痛みと引き換えに赤ん坊を産む。自然分娩でない場合は、帝王切開という『ハラキリ』をする。その後は交通事故にも匹敵するような身体のダメージを抱えたまま子育てが始まる。

 古森がそこまで話したあたりで律歌は複雑な表情で固まってしまった。

(そんな風にこの時代の人は思っているの? というか、ハラキリって何よハラキリって。それは違うじゃないの)

 シンが古森を肘で小突く。

「あ、の、でも、旧人類の自然分娩に憧れる層もいるんだよ」

 憧れる? と律歌は聞き返した。新人類たちは基本的には培養槽出産で生まれてくる。それが彼らの中では合理的で倫理的だからだ。けれど、ごくまれに旧人類史を学んだものの中で、胎内で子を育んで出産したい、という者がいるのだという。

「そうなんだ……」

「痛みを背負ってでも、自分の身体の中に命がいるという感覚を知りたいっていう女性を俺も何人か知ってる。それで、数十年前に法改正されてそちらの出産方法も認められたんだ」

 母体保護の観点から反対する者も多いが、それでも多様性を認めるために新法ができて、産科医も培養槽出産以外に対応できるものが増えた印象だね、と古森は続けた。

「お母さんも言ってた。私がおなかにいるとき、中から蹴ってるのがわかったって」

「うんうん、文献にある手記にもそういうのがあったよ。本当なんだね」

 古森は興味深そうに身を乗り出して話を聞いている。

「おなかの中で元気にお母さんのあばら骨蹴ってた私が、子守唄を歌うと静かになったんだって」

「へえ、おなかの中にいる胎児にも、外界の音が聞こえるというのも本当なのかな」

「私は記憶ないけどね。でも、お母さん、私がおなかにいるときのことよく話してくれたよ」

 それほど、思い出深かったんだろうね。と古森は微笑む。母親の話をしていて切なくなってしまったのか、律歌はまた寂し気な顔をした。瞳が涙に揺れているのが、今度はさすがの古森にもわかった。小さく、咳ばらいをする。

「その、なんだ、大まかに言うと培養槽を使わずに生まれているのが旧人類、それ以外は新人類ってカテゴライズになってるんだ。まあ、新人類の中にも母親の身体から生まれてきている者もいるにはいるから、そのへんは新法ができてから曖昧になっているけど……まあ、あれだな、君が眠ってからしばらく、旧人類はコールドスリープを選んだもの以外一度滅んだ」

 律歌は、さほど驚くでもなく古森の話を受け入れた。唇が音を出さず、小さく「でしょうね」と動く。

「そして、俺たち新人類の祖先とアンドロイドたちが残った。その新人類が独自に進化を遂げて、今の俺たちがある。『肩こり』がほぼない身体なのもそういうこと」

「よくわかんないけど、私たちとは根本的にいろいろ違いそうね」

 古森は頷く。慢性的な肩こりや腰痛は、新人類には起こらない。進化の中で、筋肉が強張るという状態にほとんどならなくなったのだと言われている。なったとしても、パッチを当てればすぐに治るから慢性化することはない。律歌の時代に流行した疫病についても、既に克服済みらしい。そもそも、『ウイルス』というものにかからない身体へと進化していると古森は話す。そんな夢みたいなことあるんだ、と律歌は口をぽかんと開けたまま呆けてしまった。


 で、君の過去についてだが、と古森は切り出す。

「あまりに争いやなんやらが多かったせいでいろいろとその当時のことはわからないことが多くなってしまったが、おそらく君たちはすべてが落ち着くまでコールドスリープするという設定で眠ったんだろう」

 じゃあ、今がすべて落ち着いた時代ということ? と律歌は首を傾げる。古森はわからない、と肩を竦めた。

「コールドスリープさせた側からはまともな時代なのかもしれんが、今生きている俺からは完全に平和かって言われるとな……」

 平和かどうかは、個々人の価値観によるところも大きい。それに、問題というのは一つ解決しても次々と浮上してくるもので、律歌が生きていた時代に問題であるとされた疫病や紛争は現在解決していても、現在は現在でまた別の不和が生じていると考えれば、完全に平和で調律が取れた世界とは言い切れないのだ。

「そっか、そうだよね……歴史って、その時代が過ぎてから評価するものだって先生も言ってたわ」

「俺は、少なくとも旧人類を尊敬しているし、愛しているよ。元をたどれば俺たちの遠い祖先になるわけだし」

 ほんとに? と律歌は古森の顔を覗き込んだ。古森は何かを否定するようなその声色に、息を飲む。

「私たち旧人類はこの世界を新人類とアンドロイドに丸投げして眠った。そうでしょう?」

 一握りのコールドスリープできるものだけ残し、後の時代の新人類或いはアンドロイドにすべてを託した。戦乱と疫病はびこる時代をスキップして、都合の良い時代に目覚める様にして……。

「そんなの、愛せる? 尊敬できる?」

 あまりに無責任すぎる、と律歌は言う。自分が、そのコールドスリープしていた張本人なのに。彼女が否定しているのは、彼女自身だ。

「律歌」

 少しずつ思い出したのだろうか、律歌の呼吸が荒くなっていた。苦し気に眉根を寄せて、こめかみを手で押さえる。

「わた、しは……父さんのために……ッ」


 ……父さんの、ために?


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