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第5話

「わかってたはずなんだけどね。目覚めたら誰もいないって」

 律歌は少し自嘲気味の笑顔を浮かべる。

 古森は浮ついていた自分を省みて、言葉を失った。

 高校生だった少女が、400年の時を経てたったの一人で目覚めた。

 先の時代の研究者たちは、なぜこの娘を一人で眠らせたのか。そう責めたい気持ちがこみ上げたが、思い直す。

 いや、この培養ポッドはもしかすると本来ならば他のポッドと同じところに安置されていたのかもしれない。長い年月を経る間に、あちらこちらに分散された可能性は否めない。

 そのおかげで自分の書庫に一つあったのかもしれないし……、などと、短時間にぐるぐる思考を巡らせる。

「そもそも、『培養液』に浸かっているものを標本扱いしていた我々は一体何を考えていたんだ」

 ぶつぶつと何か言っている古森の様子を、シンは「いつものことなので」と律歌に説明した。

 旧人類の標本、それがこのポッドであると新人類の間では認識されていた。

 古森のような旧人類学の研究者たちは、これを旧人類史のてがかりとするために研究対象としているので、あるポッドは学術施設に保管、あるポッドは博物館に安置されている。ただ、ポッドは多種多様に及んでおり、世間に公になっていないポッドもいくつかあった。

 それが、古森の持っていた『Letheレテ』である。

 他の研究者も、大っぴらにしていないだけで標本を所持している者はいると古森は認識していた。では、その標本は……。

「……律歌、君は、いつ目覚めるのかということは眠るときに聞かされたのか?」

「ちょっとまってね」

 思い出そうと律歌は唸る。シンは心配そうにその顔を見つめた。

「……はっきりとは思い出せないのだけれど、何年って明確な数字は多分言われてないと思う。目が覚めてしまえば、一瞬のことだったように感じるとだけ聞かされたけど」

 本当にその通りね、と律歌は自分の手を握って開いてして、ため息をついた。

「たくさん寝すぎた時って手がしびれてたり、おなかがすいたりするはずなのに、ほんとに……昨日眠って、目が覚めたみたいなそんな感覚」

 律歌は自分の左足首についているバンドに目をやり、右の膝に左足をひょいと乗せた。

「これ、培養液の中で掠れちゃったのかな」

 劣化しないインクで書かれたはずなのに、という律歌は、バンドをしげしげとみている。古森は、ハサミを渡してやった。

「え?」

「いつまでもついていたら邪魔だろ」

「うん、でも切っちゃっていいのかな」

 少し戸惑っている律歌に、古森は逆になんで? と聞く。あまりにもあっけらかんとしているので、研究者としてそれでいいのかと律歌はちょっと心配になった。

「だって、私は」

 研究対象なんでしょう、被検体でしょ? と聞こうとしたところに、先に古森が言った。

「君はもう『標本』じゃない。一人のヒトだろ」

 そうやって呼吸をして、視線を動かし、言葉を交わす。自分の足で歩き、感情を持ち、考える。タグをつけてモノのように管理するのは違う、と古森はハサミを律歌に握らせた。

「さあ、切ってしまえよ」

「うん」

 ぱちん、と小気味いい音を立ててバンドは切れ、はらりと地面に落ちた。それを拾い上げて律歌は目の前にかざす。

「読めないけど、なんか手がかりがあるかもしれないし一応取っておいてくれる?」

「なんだ、君も存外研究者気質か」

「だって後から捨てちゃダメだったのにって言われても困るもん」

 はい、と古森の手に切れたバンドをおしつけると律歌は大きく伸びをした。

「さすがにずーっと寝ていたからなのかなあ、身体はちょっと固い気がする」

「そうか、旧人類は『肩こり』や『腰痛』に悩まされていたというよね」

 律歌はえぇ!? と声を上げる。

「古森教授には、ないの?」

「慢性的なものはない。俺たちは旧人類とは違う体の構造をしている」

 ん? と律歌は首を傾げた。

「あのさ、さっきから旧人類とかっていうけど……」

「ああ、そうか、君の時代にはそういう言い方はしないよな。君たちこそが『現生人類』だったわけだから」

 うん、と律歌は頷く。

「データによるとGEN2900年段階にはもう培養槽出産はあったというけれどそれは?」

 培養槽出産――。大昔は、人工授精という方法で受精卵をつくり、母体に戻して着床させ、出産する方法があったが、培養槽出産は違う。子宮を模した袋の中に受精卵を入れて培養槽に浮かべ、袋に栄養を送る管を何本もつけて、コンピュータで管理しながら袋の中の胎児を十月十日かけて大きくなるまで育て、適切な時に袋から出すという方法である。

「うん、いた。GEN2860年代くらいから培養槽やクローンによる出産は行われてた。倫理的にどうとかって文句を言う人もいたけどね」

 それを聞いて、古森は驚く。

「ええ!?」

「なんでそんなにびっくりすんの?」

「倫理的に問題!? なんで」

 うーん、と律歌は腕を組んで言葉を探す。

「えーと、人間が人間をつくるのはダメっていうか……この時代とどのくらい違うのかわかんないけど、私の時代は単独の遺伝子から子を作る技術もあったの」

 なるほど、と古森は手を打つ。

「確かに。現在は単独遺伝子で子を為すのは違法になっているね。同じ人が何人もできてしまうから」

「そうだよね? 私の時代でもそこを問題視する声が大きくて、だから培養槽出産もダメじゃないかってする人が多かったんだよ」

 ということは、俺は律歌の時代だと駄目だったんだなあ、と古森はつぶやく。

「だめじゃないけどさ……」


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