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第4話

「どこって、フォームミルクは保管できないぞ」

「知ってます。教授、あなたは有能だけど人の心の機微に疎すぎます」

 シンはため息をついて冷蔵庫から牛乳を取り出した。鍋で温めてから、前に古森に教わった通りにフォーマーで泡立てる。

「律歌さん、見られたくなかっただろうと思って」

「何をだよ」

「泣くところ」

「え?」

 泣こうとしていたのかあの子は! と驚く古森に、シンはため息で返す。

「あの動きで逆になんで察せないんです?」

 保温と形状記憶ができる容器にフォームミルクをピッチャーごと入れると、シンは蜂蜜のポーションを二つ取って、キッチンを出た。

「泣く、って、どうして」

 後をついてくる古森に少し苛立ち、振り返る。

「あのねえ、教授。あの子目覚めたばかりですよ」

「目覚めたことは喜ばしいことじゃないか?」

 だめだ何もわかってない。シンは、古森にずいと顔を近づけた。

「あの子は、独りになったのを自覚したんですよ」

「え……」

「律歌さんが生きた時代、わかりますね?」

 古森はもちろんだとも、と返す。

「GEN2900年、GEN30世紀を目前に、旧人類がこの世界をあきらめた年。そこから旧人類は繁殖をやめ、静かに少しずつ消えていった」

「そういうこと言ってるんじゃないです」

 今は何年ですか。とシンは問う。古森は、あっ、と小さく零してそして口を噤んだ。

「新人類と違い、旧人類は無茶な延命は出来ない。あの子と同じくコールドスリープされていた人以外は」

「みんな……いない……」

 そんな中に、独りだけ目覚めてしまったらあの若い娘はどのような気持ちになるでしょうね? とシンは続けた。

「……」

「親も、友人も、知っている旧人類は誰もいない。目覚めてみたら変態の家の中。知らない男二人」

「へ、へんたい」

 私があの子ならもっと早く大泣きしてました。

 と言いながら、シンは応接室へ歩き始めた。

 普通は足音が鳴らないシンだが、カツカツとあえて足音を立てる。応接室に近づいていることを伝えるために、彼女に心の準備をしてもらうために。



 ドアを軽く三回ノックする。

「入ってもよろしいですか」

 シンの穏やかな声に、律歌は少し涙声で「はい」と答えた。

「空腹にいきなり渋めのコーヒーはちょっと辛いですよね。良ければ少し手を加えても?」

 律歌からマグカップを受け取ると、シンは器用にフォームミルクを注いでハート型のラテアートを作った。

「どうぞ」

 少しぬるくなったコーヒーの上に浮かんだハートを見て律歌の表情がふっと柔らかくなる。

「ありがとう。取り乱してごめんなさい、シンさん」

「お気になさらないで、それと、私のことはシンと」

 細いプラスチックの容器に入った蜂蜜を手渡しながらシンはにっこりと笑う。お好みで足すと美味しいですよ、という彼に頷くと、律歌はプラスチックの容器を折ってカフェラテに琥珀色の蜂蜜を垂らした。

「美味しい」

 少しぬるくなったカフェラテがゆっくりと喉を伝う感覚に、律歌はようやく落ち着いたようで少しの笑みを見せる。

「あの、あのね、懐かしくなってしまったの。コーヒー……お母さんが、毎朝淹れてて、それで……」

 少し思い出したの、と律歌は目を閉じた。



 コーヒーの香り。

 律歌、起きなさい、と一階から聞こえるお母さんの声。

 私は、もう起きてるもん。と言いながら階段を駆け下りて、ダイニングテーブルに着く。

 お母さんがトースターで焼いてくれたクロワッサンと、あったかいコーヒー。

 私はブラックは苦手だったから、いつもお母さんが食卓の上に牛乳パックを置いてくれていた。

 ヨーグルトには蜂蜜をいれるのが好きで、天然物の蜂蜜が手に入ると同じく蜂蜜ヨーグルトが好きなお母さんは少しはしゃいでいた。

 本物の『ミツバチ』が作った蜂蜜は希少だったから、たいていはクローン蜂の蜂蜜とか、合成成分で出来た蜂蜜だった。

 朝ご飯を食べたら、AIシステムに帰宅予定時間を伝えて、家を出る。

 お母さんはいつも玄関まで見送りをしてくれていた。

 忙しいお父さんは、なかなか家に帰ってこない。

 今日はお父さん帰ってくるかな? と言いながら、私はゴーグルのスイッチを押す。

 家から10キロほど離れた私立高校に、高校生のライドが許可されているタイプのカプセルバイクで通学していた私は、ゴーグルのレンズに表示される渋滞情報を見てから扉を開ける。

 それが、日常だった。



 もう、お母さんには会えない。




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