リシャールとアリスターの新居が建つまで、半年かかった。
その間リシャールとアリスターはペントハウスで過ごしたが、一緒に暮らしてみてお互いに困ったことなどなくて、むしろお互いに補い合うように暮らすことができて心地よさしかなかった。
リシャールの仕事が遅いときや、ジムで遅くなるときにはアリスターが食事を用意して、アリスターが遅くなるときにはリシャールが食事を用意してくれる。掃除はアリスターが得意だったので苦なくやれていたし、食事の買い出しなどはスマートフォンで共有のメモを作ってできる方がやっていた。洗濯は気が付いた方がやる。洗濯も乾燥もできるので、取り出して畳むだけなのでそれほど負担にはならない。
他人と暮らすのだから妥協しなくてはいけない点があるのではないかとアリスターは覚悟していたが、リシャールに関して我慢したことは一度もなかった。
髪を洗ってもらってアリスターが感動した日から、リシャールは毎日アリスターの髪を洗ってくれている。リシャールの髪はこだわりがあるようで自分で洗っているが、アリスターはリシャールに髪を洗ってもらうたびに気持ちよさにうっとりとしてしまうのだった。
「髪を切りに行ったときに髪を洗ってもらうことってないの?」
「べたべた触られるのが嫌いで断ってる」
「僕もあまり好きじゃないから髪を伸ばしてるんだけど」
美容室で話しかけられるのも、べたべた触られて髪を洗われるのも、整えられるのも好きじゃないと素直に言えば、リシャールも同じでそれで髪を伸ばしているのだと話してくれた。
長い黒髪は解くとさらさらと手触りがよく、柔らかく真っすぐで、いい匂いがして大好きなのだが、リシャールが美容室嫌いで髪を伸ばしていたとは知らなかった。
「髪を整えるときにはどうしてるんだ?」
「この長さだと自分で見ながら切れるから、自分でやってるよ」
黒髪長髪は色気があるし、格好いいとは思っていたが、伸ばしている理由を聞いてしまうとアリスターはそれだけを理由にリシャールの髪を見ることができなくなってしまった。
「リシャールの長い髪、好きなんだけどな」
「アリスターが好きって言ってくれるなら長いままにしとく」
にっこりと微笑むリシャールに、アリスターは安堵する。
新居にはアリスターの部屋からも、リシャールの部屋からも荷物が運び込まれた。
寝室はアリスターとリシャールが一緒に使って、普段生活する部屋は別々に用意されていたが、その一室がアリスターの借りていた部屋よりも広い気がしてアリスターは落ち着かなくなる。
壁にリシャールのポスターを貼ったらリシャールが妬くかもしれないと思うと、ポスターも荷物の中から出せない。
持ってきた荷物は大きな部屋には少なすぎて、部屋はがらんとした印象だった。
「アリスター、デスクは持ってこなかったの?」
「家具は部屋についてるものを使っていて、俺のじゃなかったんだ」
「デスクと椅子と箪笥も買った方がいいね」
「そうみたいだな」
部屋を覗いたリシャールが何もない部屋に驚いているが、アリスターも自分がこんなにものを持っていなかっただなんて考えたこともなかった。
警察の科学捜査班のラボに勤めるようになって、長期休みもずっと取っていなかったくらい、アリスターは仕事一筋だった。Subとしての欲求は常に溜まっていたが、仕事を詰めることによってそれを紛らわせていたというところもある。そのせいで、部屋は寝に帰るだけの場所だった。
リシャールと暮らし始めて、ペントハウスに帰ってくるのが幸せで、仕事に行きたくないくらいの気持ちになっている自分にアリスターは驚いた。リシャールがいてくれたら仕事に熱中しなくてもSubとしての欲求も満たしてくれるし、一人でも寂しくはない。
小さいころから一人だったから慣れていると思っていた。大人になったのだから平気なのだと思い込んでいた。それでも、アリスターはずっと寂しかったのだ。
リシャールの存在はそれを忘れさせて、アリスターを心から満たしてくれた。
結婚してよかった。クレイムしてよかったとアリスターは毎日のように思っていた。
覗かせてもらったリシャールの部屋は立派なデスクがあって、座り心地のよさそうな椅子があって、広いベッドもあって、生活しやすそうだった。
ベッドがあることに関しては、ベッドを処分しようかと思っていたアリスターは少し考えることがあった。
「リシャール、俺とリシャールの寝室は共同じゃなかったのか?」
「そうだよ」
「なんで自室にベッドがあるんだ?」
つい問い詰める口調になるアリスターにリシャールが苦笑する。
「アリスターが一人で寝たいときがあるかなと思って」
「ない」
「え?」
「そんなのない。毎日、リシャールと一緒に寝たい」
「そ、そう?」
「そうだ」
だからリシャールの部屋にベッドはいらないと告げても、リシャールは譲らなかった。
「アリスターが出張でいないときとかは、一人でアリスターとの思い出があるベッドに寝られないから、やっぱり僕の部屋にもベッドは必要」
「俺は自分の部屋にベッドは入れないからな? 俺のベッドは処分する」
「アリスターはアリスターの思うようにしていいよ」
リシャールもそうしてくれたらいいのにと思いつつ、リシャールがいない日に二人の共同の寝室のベッドに眠るのは確かに寂しいかもしれないというのはちらりと頭の隅に浮かんだ。それでもアリスターは自分の部屋にベッドを入れなかった。
共同の寝室には注文していたキングサイズのベッドが入って、サイドテーブルもあるし、洗面所までついていた。
キングサイズのベッドは二人で組み立てて、シーツも敷いて使えるようにした。
次の休みに、アリスターはデスクと椅子を買いに行った。
椅子はできるだけ高級で座りやすいものがいいと言われていたので、慎重に選んだが、デスクは木の重厚な艶のある磨かれたものを一目で気に入ってそれにしてしまった。
箪笥は特にこだわりがないのでプラスチックケースを買って、それだけ車に積んで、デスクと椅子は配送を頼んだ。
リシャールと暮らしていると、生活の質が上がる気がする。
これまで家具付きの物件で、適当に使っていたデスクと椅子もいいものを買って、リシャールと一緒に眠るベッドも最高級品だ。
家を建てる金もベッドの料金もリシャールが払っているが、アリスターは使うことがなかったのでこれまでの蓄えはあるのだが、リシャールほどの貯金はなくて甘えてしまっている。
「リシャール、俺はヒモか?」
「えぇ!? 何を急に言い出すの!?」
唐突に気になって夕食時に呟いたアリスターにリシャールが仰天している。
「家を建てるときの金もベッドの金も、全部リシャールに払わせてる」
「僕がアリスターと暮らしたいって言ったんだから当然じゃない? 言っとくけど、これくらいで困るような収入じゃないよ、僕」
「だからヒモじゃないかって言ってるんだ」
「ヒモなんかじゃない。結婚したんだから、僕の財産はアリスターのものでもあるし、アリスターは気にせずにこの家に住んでほしいんだよ。それに、アリスターも収入があるでしょ? そういうのをヒモとは言わないの」
そうは言われても納得できないアリスターにリシャールが抱き着いて耳元で囁く。
「護衛が必要な不便な生活をさせるかもしれないんだから、これくらい僕にさせて? 僕はアリスターをヒモだなんて思わない。夫夫は平等でしょ?」
必要だからこの家で暮らしているのだと言われて、アリスターはようやく納得したのだった。