「……そんなに甘くはなかったかぁ」
大きなため息がいくつも出るのは仕方ないこと。
てっきりあたしはグラディス様に手紙を送ってからも元の生活が続いて行くもんだと思っていたのに、現実はそんなに甘くはなかった。
グラディス様から招待状が届いたのだ。
そのことにあたしは絶望し、両親は歓喜した。しかも、グラディス様に会うのにみっともない格好なんてさせられないと張り切って新しいドレスを用意してくれた。
新しいドレスは嬉しい。嬉しいけど、それを見せる相手がグラディス様だってことがいただけない。
しかも、グラディス様に会うのだからと数日前から丹念にマッサージだのなんだのと支度させられて疲れた。
というか、今までグラディス様と会っていた時だってこんなにおめかしなんてしたことなかったのだから、こんなにめかしこんだら変に思われちゃうんじゃないの?
グラディス様からの招待状は夜会のお誘いではなくて、ただのお茶会なのだから。
グラディス様とお茶を飲むのは何十回とまではいかないまでも、何回もしているのだから。
それに、グラディス様は噂よりもおっかなくはなかっただけでもよしとしようじゃないか。
グラディス様の屋敷に着けば、お菓子の焼けるいい匂いがここまで漂って来ている。
今日は使用人の作るお菓子みたい。いつものお店で買って来たお菓子もおいしいけど、使用人のお菓子もおいしいのかしら?
「……ご無沙汰しています」
「久しぶりだな。元気だったか」
「ええ、まあ……」
どうやらグラディス様はこの間急に帰ってしまったあたしのことを怒っている訳でもなく、心配していたらしいと分かった。
すみませんあたしはただあなたが作ったお菓子(?)をただ食べたくなかっただけで、その後は一人の時間を堪能したりしていました。
心配されるとグラディス様がいない時間ってなんて自由なんだろと喜んでいた自分が何だか恥ずかしくなりそう。
「グラディス様もお元気そうで安心しましたわ。あの、どうして今までお休みになられていたのですか?」
聞いていいことなのかちょっと悩んだけど、グラディス様がまた学園に来るか分からないし、聞いておいていいよね。
「……それより先にお茶にしよう」
「あ、はい。さっきから甘い匂いがしていて気になっていたんです。今日のお菓子は何ですか?」
あれ? 話変えられてしまった。でも、まあ、グラディス様にそんなに興味なかったから長々と話をされるよりはよっぽどいいか。
今日はお屋敷のお庭でお茶をしようと言われたので、移動すればこじんまりとしたした庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。
中にはこの辺りじゃ珍しい花とかもあって、この庭にいくらぐらい掛かっているのかと思うと軽くめまいがしそうになる。
お父様もお母様もあたしの新しいドレスなんてこの庭と比べたら、ただの布っきれみたいなものだわ。
「素敵な庭ですね」
「気に入ったのならいつでも見にくればいい」
「ありがとうございます」
綺麗だけどあたしはそこまで花に興味はない。それより、目の前のお菓子だ。
クッキーは焼きたてみたいで辺りに甘い匂いが漂っているし、ケーキに乗っている果実はツヤツヤしていてどれもこれも今すぐ食べて欲しそうに輝いている。
庭の感想とかグラディス様が休んでいた理由なんてどうでもいい。
こんなにおいしそうな物を目の前にして食べない方が失礼だわ。
「お茶にしようか」
グラディス様はあたしの視線に気付いたようでそう言ってくれた。
やった!
とりあえず近くのフルーツタルトからだ!
ウキウキしながらフォークをタルトに入れれば、果汁が溢れそうでびっくりする。
この果物も高かったんじゃないの? 庶民とそう変わらない生活をしているあたしがおいそれと食べちゃっていいの? と一瞬悩んだけど、これを逃したら一生食べられない可能性もあるんだしと気を取り直して頬張れば、爽やか香りと弾ける果汁に勝手に頬が緩む。
これはやっぱりお高い奴だ。こんなにふんだんにお高い果物を乗せているタルト生地も期待すれば、濃厚なカスタードと歯触りのいいタルト生地にすぐに夢中になってあっという間に一ピース食べ終わってしまった。
もっと食べたいけど、他のケーキも気になる。
お腹の余裕的に後四ピースぐらい。だったら他のケーキの味も味わいたい。
どれから食べようかと迷っているとグラディス様があたしのことをじっと見ていることに気付いた。
「……何ですか?」
「いや、うまそうに食べるなと」
「おいしいので」
美味しい物を前にしたらみんなこんな感じだよね?
グラディス様が何を言いたいのか分からないけど、美味しいんだから仕方ないんじゃない。
とりあえず次はチョコレートケーキ? いや、まだ口の中がさっぱりしているからチョコは後にして別のから食べよう。
ひとしきりケーキを堪能してから紅茶を飲む。少し冷めてしまったけれど、十分美味しい。
「どうだった?」
「どれもおいしいですね。フルーツタルトの果物はどこのですか? 家族にも食べてもらいたいので、帰りに買って行きたいので」
「それなら残りは持って帰るといい」
「いいのですか?」
「ああ」
こくりと頷くグラディス様を見てあれ? グラディス様って思っていたよりも優しい人? という疑惑が頭をよぎる。
だけど、この方は敵に回すとかなり恐ろしいのは周知の事実なので、怒らせないことは前提だけどね。
この間逃げ出したのは不可抗力だった。
「あ、そういえば、グラディス様一月もお休みになられていたのはどうしてだったんですか?」
さっきは話を反らされてしまったけど、ひとしきりケーキを堪能して話題もなくなってしまって、ちょっと気まずくなってきたので先ほどの質問をする。
「その前にケーキは口に合ったみたいだな」
「え? ええ。どれも素晴らしくてまるでパティシエが作ったみたいです」
ここの使用人の腕がこんなによかったなんて知らなかった。前に来た時は緊張していたから味が分からなかったとかだったのかしら?
両親からこの食い意地は誰に似たんだと呆れさせる程、食べるのが大好きなあたしがそんなことあるの? と言いたいけど、前に来た時はどうしたんだっけ?
あ、そうだ。早く食べなくちゃと焦って一度にたくさん頬張ったから味がよく分かんなかったんだ。
ついでにあの時グラディス様に笑われてしまったことを思い出してしまった。あれは思い出さなくてもいいのに、あたしの脳ミソは余計なことまで思い出してしまう。
あの出来事は脳内からさっさと消したいし、何ならグラディス様の頭の中からも記憶を消し去ってしまいたいんだけど、ぽかりとやってしまうのはやっぱり駄目よね?
それで、上手く消えてくれたらいいけど、下手したら殺人未遂とかで捕まる。
記憶が消えるか分からないのに、そんなリスクなんて犯せないよ。
グラディス様を花瓶で殴るのを諦めて、ケーキの感想を口にする。お願いしたらレシピを教えてくれるかな? 家でも食べたいんだけど。
「……それならよかった。それを作ったのは僕なんだ」
「は?」
えっ今この人何て言った?
訳が分からなくてグラディス様の顔を見れば、天使のような可愛らしい顔をニヤリと笑うせいで、堕天使という言葉が頭をよぎったけど、今はそれどころじゃない。
グラディス様が前にお菓子を作るのを見たことがあるけど、あれは絶対に人が食べていいものじゃなかった。
どうしよう食べちゃったよ。
後でお腹壊したりしないよね? 一応お医者様のところに行った方がいいかな。いや、待って。
今食べたケーキはおいしかった。だったら食べても大丈夫だったんじゃない? ちらりとグラディス様の顔を見ても、まだニヤニヤしていらっしゃる。
その顔に意地の悪い人だという思いと、やっぱり毒れか何か入っていたんじゃないかって心配になってくる。
どうしよう。後で病院に行こうって思っていたけど、今すぐ行った方がいいんじゃない?
「プッアハハ」
おろおろとしていたら向かい側から笑い声が聞こえてきた。見なくても分かる。グラディスしかいないのだから。
というか、人がこんなに慌てているのに、笑うなんて酷すぎじゃない?
病院に行こうとしていたのも忘れて、ぽかんと笑うグラディス様の顔を見つめてしまった。
何がそんなにおかしいの? やっぱりあたしこの人嫌いだわ。
あまりの失礼さにケーキを投げつけるのはもったいない。それに、ケーキを投げつけた後、あたしは死ぬだろうけど、グラディス様の怒りがあたしだけならいいが、お父様やお母様にまでグラディス様の魔の手が及んでしまうのは勘弁したい。
癇癪を起こして帰っちゃおうかなと思い始めた頃、ようやくグラディス様は笑うのをやめたので、またタイミングを逃してしまった。
「悪い悪いリザベルがあんまりにも狼狽えているのがおもしくて」
「……あたしは面白くありません」
からかわれていたってこと?
相手がグラディス様じゃなければ殴っていたかもしれない。ご機嫌取りしたってあたしがグラディス様のこと嫌いなのは変わらないわよ。
「前にリザベルに作った時に食べもせずに帰っただろ。食い意地のはっているリザベルが食べもせずに帰るだなんておかしいなと思い、あれこれ調べてこの国一番の職人を呼び寄せて特訓した」
「えっ!?」
長々と話すグラディス様に本当にグラディス様が作ったのかと、思わず目の前のケーキとグラディス様を何度も見比べてしまったけど、あたしは悪くないと信じている。
だって、一月前まですごくヤバそうなお菓子? を作ってたのに?
これをグラディス様が作ったっていうの? 嘘でしょ。
その後グラディス様が信じないのなら作っているところを見せるとおっしゃったんだけど、あたしは丁重に固辞して家に帰った。
だって、情報が処理しきれずにいっぱいいっぱいだったんだもん。仕方ないじゃないのよ!