「僕、決めてるんです。この手術が成功したら……彼女と結婚しようって」
……は?
突然の告白に俺は耳を疑った。
「あの、それって普通、患者側が言うセリフじゃないのかねぇ……先生」
無機質な診察室。白衣の着こなしにまだ若さの残る主治医は、俺の目の前で鼻息荒く語る。
「園田さん、何度かお話ししましたがね、今回の心臓のバイパス手術は非常に難しいんです。成功確率は5割、いや4割、もしかしたら3割……」
「やめてくれよ、心臓に悪い」
「もう十分悪いんです、園田さんの心臓は。ですから、僕も全身全霊で執刀します。そして、それが成功した暁には……彼女と結婚しようと」
わけがわからない。
「あのよぉ先生、こんな独り身のおっさんの手術の結果なんか気にしねぇでさ、別に結婚したけりゃすりゃいいじゃねぇか」
「僕……昔から自分に自信が持てないんです。どうせダメなんじゃないかとか失敗するんじゃないかとか、やる前にあれこれ考えてしまって……。だから、結婚して彼女を幸せにできるかどうかも自信がなくて」
コイツに手術を任せて大丈夫なのか?
「でも、この手術が成功すれば、僕にとってきっと大きな自信になります。病院内外での評価も上がり、医師としての未来は明るいものとなる。そしてそうなればやっと、彼女と一緒になる決心がつく……この手術は、僕の人生のターニングポイントなんです!」
「俺の人生のターニングポイントでもあるけどな」
「ええ、ですから命がけで挑む覚悟です」
「いや、かけてるの俺の命……」
「失礼します」
突然のノックの後、女の看護師が入ってくる。
「和田先生、504号室の中山さんが治療方針のことで相談があるそうです」
「わかりました。30分後に診察室に案内してください」
「はい」
ドアを閉める瞬間、看護師が笑顔で目配せしたのを俺は見逃さなかった。
「……アイツか? 彼女って」
主治医がニヤけた顔を慌てて取り繕う。
「……違います」
「いやいや、今の様子は明らかにそうだろ」
「プライベートな質問にはお答えできません」
「今、一番のプライベートを自分から俺に話したばかりじゃねぇか」
♪ピロンピロン
「あ、ちょっと失礼」
通知音が鳴り、白衣のポケットからスマホを取り出す主治医。その画面を見やるとまたニヤけ顔になった。
「今夜はカレーかぁ」
「同棲してんだろ」
主治医が俺に顔を近づけ、小声で囁く。
「……すいません、病院には秘密なんです」
「たぶんバレてると思うぜ。漏れちゃってるもん、浮かれ加減が」
「そうですかね、僕もりなぴも普通にしてるつもりなんですが」
「その、りなぴって自然に言っちゃうとことかな……絶対バレてる。まぁでもいいじゃねぇか、結婚するんなら遅かれ早かれバレるんだから」
「それは園田さんの手術の結果次第です」
「だから、それとこれとは話が……。それに、もし、もし万が一だよ、手術失敗したらどうするつもりなの?」
「……別れます」
なんでそうなる?
「いやいや、別れる必要はないだろ」
「手術ひとつ成功できない男が、彼女を幸せにできると思いますか?」
「ストイックさの方向性がなんかズレてんだよなぁ……」
「とにかく、僕の中ではそう決めてるんです。それでは本日の診察をはじめましょう」
「前置き長ぇよ」
「ちゃんと事前に伝えておかないと。インフォームドコンセントの一環ですよ」
「こういう情報も含まれるのか? インフォームドコンセントって」
まったく、自分の体のことでも精一杯なのになんで主治医の結婚の行方まで背負わねばならんのか。でも、そこまで人生をかけて挑もうという心意気は悪いことではないか……。そんなことを考えながら、俺は病衣をたくし上げた。
それから3日後、個室のベッドで緊張している俺に主治医が語りかける。
「園田さん、いよいよ手術の日ですね」
「そうだな……。頼むよ先生、俺の命はアンタにかかってるんだ」
「ちょっとこれ、見てもらえますか?」
主治医は白衣のポケットを弄ると、小さな箱を出し俺に見せた。
「婚約指輪です」
……は?
「手術が無事成功したら、その場でりなぴに渡すつもりなんです」
「その場で?」
「ええ、サプライズで」
「サプライズすぎるだろ」
「もちろん、園田さんの術後の処置が終わってからですよ」
「当たり前だろ。血まみれの手で渡されたらホラーだよ」
「園田さん……もう僕達は運命共同体なんです。この手術を乗り越えて、一緒に幸せになりましょう!」
「いや、俺にプロポーズしてるみたいになってるから」
手術室に移動し、天井を見上げる。次に目が覚めた時、いったいどんな光景が広がっているのだろうか。俺を心配そうに覗き込む主治医と……りなぴ。その顔を見ながら、俺の意識は麻酔によって暗闇へと落ちた。
……気がつくと、俺は俺を見下ろしていた。うなだれる主治医。沈痛な面持ちのりなぴ。そして、生気のない俺の顔……え、え、これってまさか?
ピーッという電子音が絶え間なく響く重苦しい空気の中、主治医が口を開いた。
「……別れよう」
いや、まずは『御臨終です』だろ!
「皆さんすいません、りなぴ……高島さんと二人きり、いや、園田さん含めて三人きりにしてもらえませんか」
どんな申し出だよ! ……お、おい、みんなもあっさり従うなよ!
「……別れようってどういうこと?」
りなぴ、しっかり聞いてた!
「実は決めていたんだ。園田さんの手術が成功したら……りなぴにプロポーズしようって」
「……は?」
正しい! りなぴのリアクションは極めて正しい!
「この手術が成功すれば、僕も医者として、ひとりの男として、少しは自信が持てるかなって……。でも、ダメだった。これで病院の待遇はしばらく冷たいものになるだろうし、そんなんじゃ、りなぴを幸せにはできない。だから……別れてくれ。君にはもっとふさわしい人がいるはずだ」
「そんなの勝手すぎるよ! タケタケはいっつもそう! ひとりで突っ走って!」
あ、タケタケって呼ばれてるんだ。
「ごめん、もう決めたことだから」
「なんでよ! 別に園田さんにこだわらなくても、別の手術なんて腐る程あるじゃない!」
言い方……!
「ダメなんだ、この難手術を乗り越えてこそだったんだ……あ、16時28分、御臨終です」
今言うのかよ!
「……わたし達の愛も、御臨終?」
りなぴ?
「……ああ」
「やり直せない?」
「無理だね」
「もう脈はないの?」
「見りゃわかんだろ!」
すごいダブルミーニングの応酬だ。そして、りなぴは泣きながら手術室を出ていった。主治医を見やると……え、号泣してる?
「……園田さん」
主治医が力なく垂れた俺の手を握る。
「園田さん! アンタなんで死んだんだよ!」
そのセリフ、何割か恨みの感情が入ってねぇか? 主治医は激しく慟哭しつつポケットから小さな箱を取り出し、中のダイヤの指輪を俺の左手の薬指……はさすがに無理で小指にはめた。
「この指輪はもう必要ありません。僕から園田さんへの餞別です。どうか安らかに……」
……いや、小指にダイヤをはめたおっさんの遺体って、とち狂いすぎだろ! やめてくれって!
「別れたくないよ……りなぴ……」
手術室の床に座り込み放心状態の主治医。そこまでなるなら別れなきゃいいのに……なんとかならねぇかな?
今まで独身で好き勝手に生きてきた俺でも、さすがに最期まで人様に迷惑はかけたくない。要は今の魂の俺が俺の体に戻ればいいわけだから……。しかし、入ろうとしても俺は無情にも俺の体をすり抜けてしまう。くそっ、入れ、入れ、入れ……!
「……入れぇぇぇぇぇっ!」
「園田さん、気がつきましたか?」
ぼやけた視界が声の主であるりなぴを捉える。その左手の薬指には……ダイヤの指輪。
「だいぶうなされてましたね。まぁ、麻酔が解ける時に夢うつつの状態になるのはよくあることです」
「園田さん、ご気分いかがですか……あ、紹介します、妻です」
主治医が照れた笑みで俺を覗き込む。
「妻は気が早ぇだろ」
「すいません、つい……。手術は無事成功です!そして……プロポーズも!」
「園田さん、全部ご存知だったんですってね。わたし全然知らなくて……指輪を出された時は、びっくりしてこっちの心臓が止まるかと思いましたよー」
……まぁ、なんというか、お似合いのふたりかもな。
「あ、園田さん、お願いがあります」
主治医が紙とペンを差し出す。
「僕達の婚姻届の証人になってもらいたいんです」
……は?
「だって、結婚できるのは園田さんが手術を乗り越えてくれたおかげなんですから!」
「そうですよ、わたしからもお願いします!」
「僕達の愛のキューピッドですよ!」
やれやれ、心臓に毛の生えたヤツらだな……。そう思いながらも、俺は苦笑いでペンをとった。