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第44話「泥臭い生き物」

 予想通りではあったが、先ほどまで屋敷の中をうろうろとさせられて恥ずかしかったので、些か不安になった。リベルモントの地理に慣れた人材と言われれば、現地の人間だというのだから納得できるが、本人の記憶能力は怪しいものだ。せいぜい大雑把に目立つところしか分からないんじゃないのかと感じた。


 とはいえリベルモントで雇われたのは、まだシトリンだけだ。他は採用を検討している段階で、他は全員が王都から連れてきたフランシーヌの侍女たちである。彼女以外に道案内を頼める者はいなかった。


「やれやれ、仕方あるまい」


「ふふっ、ボクは全然構わないよ? 道に迷うのも楽しそう」


「……お前がそう言うなら別に私も良いんだが」


 ニューウォールズのような小さな町とは違って、リベルモントの首都は観光都市としてもよく栄えている。事件に首を突っ込んだのもあってレティには初めての観光らしい観光となる。それなりに滞在日数もあるので、あちこち連れ回されてヘトヘトになってみるのも悪くないだろう、と受け入れた。


 満腹になっては満足に歩く事もできない。馬車から降りるのも億劫になってしまわないよう、食事も程々に済ませてフランシーヌとは別れた。食堂の前で待っていたシトリンと共に玄関へ向かい、用意されていた馬車に乗り込む。


 初めての観光にレティはワクワクと表情を輝かせた。


「楽しみだね、観光。リベルモントはどこへ行っても綺麗だって聞いてるよ。シトリンさんも慣れてるって言ってたから、もう落ち着かないなぁ」


「はてさて、どこへ連れて行ってくれるやら。あまり期待するなよ」


 何を考えているかも分からないメイドの連れて行く先は、何があるかわかったものではない。とにかくヘンテコな場所でない事だけを祈った。


 しかし、存外にも彼女はまともだ。食後にすぐ席を立ったのもあってコーヒーのひとつ嗜む時間がなかっただろう、と首都でも人気のカフェにやってきた。温かいクロワッサンか、あるいはふわふわのパンケーキが人気のメニューだ。


「人が多いな。席は空いてるのか?」


「店内はいっぱいですね。テラス席は空いてるようです」


「では誰かが座る前に席を取っておこう」


 二人が席に着くと、なぜか当たり前のようにシトリンも席に座った。自分も客だから良いだろうと言わんばかりの堂々ぶりだった。


「なんでお前まで座ってる」


「食べるつもりだからです。あ、ちゃんとお金はありますよ」


「そういう話じゃあ……もういい、言っても通じなさそうだ」


「ありがとうございます。ご一緒できて嬉しいです」


 真っ先に店員からメニューを受け取る姿には、もう言葉も出てこなかった。


「モナルダは何にする? ボクは紅茶とイチゴタルトにしようかな?」


「私はコーヒーを。それからブラウニーにでも頼もう」


 ちらとシトリンに目をやると、彼女はまだメニューをじっと見ている。


「まだ決まらないのか?」


「もう少し待ってください」


 ウェイトレスがニコニコと横で待っている。シトリンはひとしきり悩んだら「ではパンケーキセット、飲み物は紅茶でお願いします」と注文した。


 忙しい街並みを横目に、モナルダは肘を突く。


「リベルモントに来るのは何度目だったか忘れたが……相変わらず忙しい町だ。それでも、皆が楽しそうに過ごしているのを見ると心が安らぐ」


「ああ、ボクも同じ事思った。いいよね、平和って」


 先にシトリンのパンケーキが届く。彼女はテーブルにあったシロップの瓶を手に、パンケーキがべっちゃりと浸かるほどたっぷりかけながら。


「そうでしょうか。平和に見えるだけで、彼らの日常には不平不満が多いものです。早く帰りたいと願う心の声が聞こえてきますから」


「……お前、それ本当に食べるのか? 食べ物で遊ぶなよ」


 指摘されるとシトリンは初めてムッとする。


「私が甘味を侮辱するなどありえません。これは人間が発明した最高で最強の文明です。敬意を表しこそすれ、冒涜するなんてとても」


 ナイフとフォークではなくスプーンで食べているのが印象的で、見ているだけで胃もたれを起こしそうなほどの甘ったるい匂いが漂った。


「シトリンさんはどうして、皆がそう思ってるって感じたの?」


「感じたのではありませんよ。分かるんです、心の声」


 紅茶をくいっと飲んで、口を潤してから彼女は答えた。


「人の感情は、目に見えていないだけで基本的にはネガティブなものです。早く帰りたい、ゆっくり眠りたい。休みがほしい。理由は数あれど、この国では誰もが表情には出しません。それを美徳としているからです。まるで仮面でもつけているかのように生きて、その道から逸れた者を蔑む。ある意味ではとても幸福であり、ある意味では怖ろしく不幸な生き方だと思いませんか」


 実際にそうであるかは除いて、自分達にも当てはまる事だとモナルダもレティも黙り込んでしまった。自分を押し殺して生きてきた者にとっては、シトリンの言説はとても他人事ではなかった。


「まあ、いずれにせよ、この国の在り方を私は好ましいとは思いません。ですが今だけの話ですよ。百年か、百五十年か。あるいはもっと先かは分かりませんが、時代というものは移ろうものですから」


 シトリンは意味深な笑みを浮かべて、モナルダを見た。


「どんな結末が待っていようとも最期まで足掻きながらでもいいから、自分に素直であってほしいものです。人間は、そういう泥臭い生き物でしょう?」

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