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第42話「愛情」

────ニューウォールズでの活躍は、自分でもよくやったと褒めたくなるほど緊張の中で戦った功績だ。ミルフォード公爵から『女王陛下も讃えていた』と聞いて、一縷の望みを抱いたのは事実だ。もしかしたらお母様もボクを温かく迎えてくれるかもしれない。今みたいに強い姿を見せればきっと。────そんなものが甘い夢の話であったのだと、モナルダから聞かされた話で理解した。理解させられた。


 もうどこにも、帰る場所なんてなかったんだ。


「……頑張るから。ボク、なんだってするよ。君の為に。だからお願い。もう、これ以上、自分のせいだなんて思いたくな────」


 いきなりだった。強く抱きしめられて言葉が途切れた。ずっと感じた事のない温かさに包まれて、今にも大泣きしそうなのを我慢した。


 先に泣いたのはモナルダだった。なんと強い娘なのだろう、なんと可哀想な娘なのだろう。なんと心優しい娘なのだろう。これをどうして突き放す事ができようかと、心の底から彼女を愛した。


「すまない。私が気付いてやれなかったばかりに、苦しかったろう? もう大丈夫だ、お前が嫌だと言っても私が連れて行く。だからもう泣いていいんだ。枯れるまで泣いて、何度でも涙を拭って……それから前に進めばいい。強がる意味なんてない。我慢なんてしなくていいんだ、涙は必要なものだから」


 ずっと抑え込んでいた感情が、モナルダの優しさに触れて決壊する。ずっと待っていた言葉。母親からいつか貰えると思っていた優しさを、まったくの他人でありながら与えてくれる人がいる事に、もう我慢はできなかった。


「うっ、うぅ……うえーん……! つらいよぉ……! もっとみんなに愛されたかった、お母様に優しくしてもらいたかったぁ……!」


「ああ、そうだな。全部吐き出せ、私が受け止めてやるから」


 お互い、母親という存在から愛情を受けなかった。どこまでも孤独で、声を掛けてはくれても、手を差し伸べてくれる相手がいなかった。


 モナルダは旅をした。魔女として。頼る相手がいないのであれば、自分の力だけでやろう、と。実行するだけの能力が彼女にはあったから。魔法を扱い、人々から畏敬の念を受け、誰に愛される必要もなく生きてきた。


 だがレティは違う。王族として生まれながら、しかし誰からも愛されず、独りで耐え抜いて、その先で愛情を受けるどころか殺意を向けられた。愛して欲しいと願った相手から喉元に刃を向けられたのだ。


 やっと認めてもらえるかもしれないと思った矢先に、谷から突き落とされて平気なわけがない。なのに平気な振りをしようとするのは、もう癖のようなものだった。そうしなければ、心穏やかに生きていられなかったから。


 でも、それも今日までの話。レティ・ヴィンヤードには母親以上に愛してくれる人がいる。母親以上に自分の愛せる人がいる。


「どうだ、泣くだけ泣いたら、少しはスッキリしたか?」


「うん、すごく。えへへ、ごめんね。弱いところ見せちゃった」


「そんな事ないさ。凄いよ、私の騎士様は」


 頭をぽんぽんと優しく撫でた。肩に手を置いてまっすぐ見つめ合う。


「今日までずっと耐えてきたなんて、むしろ私は誇りに思うよ。だから今度は私から誘わせてくれ。────私と一緒に旅をしよう」


 また明日と言って別れて、それが最後になってしまう事のなんと多い事か。魔女の旅とはそういうものだ。長い年月を変わらず過ごしても、周りの変化は突風もかくやの勢いで、いつだって取り残されている気分だった。


 大切な出会いも、いつかは辛い別れとなって襲ってくる。だから誰も傍に置かない。置きたくない。分かっている事だ。しかし、ともに旅をしたいという娘を突き放す事など到底できるものか。否、突き放すどころか、手放したくないとさえ思うのだから、魔女失格だなと自分を嗤った。


「行く。絶対行く。モナルダがボクを嫌いになるまで、ずっと」


「だったら永遠に訪れる事はないよ。お前が私を嫌いにならないかぎり」


 モナルダが、そっと小指を差し出す。


「約束だ、レティ。これからの旅で何があっても、私たちは互いに思いやりを持とう。怒ったり、泣いたり、笑ったり、ときには喧嘩をする事もあるだろう。それでも構わない。そこに相手を想う気持ちを持つと約束しよう」


「うん……。絶対だよ? ボク、絶対モナルダから離れないから」


 指切りを交わして、モナルダは小さく頷いた。


「ああ、もちろん。私もお前から離れる事はないよ。たとえ、お前の命が尽きるときが来ても、必ず傍にいると約束する。何が起きようとも」


 最愛の友人を手放すものか、とレティをまた抱き寄せた。


「さあ、今日はもう遅いから寝よう。明日また、ゆっくり話そうじゃないか。これからの事はフランシーヌにも相談しておきたいからな」


「そうだね。姉様ならきっと手を貸してくれるから……また明日」


 ベッドにレティを座らせたら、前髪をそっと手で避けて額に優しくキスをする。昔、たった一度だけモナルダの母親が彼女にしてみせた事だった。


『いい、モナルダ。あんたも誰か大切な人が出来たら、おやすみのキスくらいしてあげなさいな。アタシはあんたに愛情なんか注いでやれなかったけど、あんたは誰かに愛情を注げる人間になりなよ』


 それが最後の言葉。次の日にはいなくなった。最初から、そんな姿を見せてくれていれば違ったのに。そのコップの底に残った水滴ほどの愛情だけは、呪いのように記憶に刻まれていた。

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