王都から連れてきた料理人は、よくフランシーヌがおやつを作ってもらっているベテランだ。味は誰にでも勧められると言う。それを楽しみにして、ティータイムをゆっくり楽しみ、日が暮れ始める午後の時間を回って、ようやく話は落ち着く。ひとまずモナルダには来客用の部屋を使ってもらう事にして、夜七時を回るまでは自由に過ごそうという事になった。
「では後で会うとしよう」
「楽しみにしてるわ」
「ボクは後で部屋に行っても良いかな?」
「私は構わんぞ。その方が退屈しない」
どのみち、消灯時間にパスカルが動いてくれなければ何もできない。それまではレティと一緒にいても問題はないだろうとフランシーヌに視線を送る。
「いいんじゃない? アタシは他にしたい事あるから、食事のときに会いましょ。ゆっくりしていってね、魔女様。今夜が楽しみだわ」
「こちらこそ。楽しみにしているよ、フランシーヌ」
応接室を出たらメイドに部屋まで案内してもらう。一旦はそこでレティとも別れて、特にこれといった荷物もないが、ひと段落がついたとベッドに魔導書を投げて窓の傍に立った。いつの間にか天気は暗くなり、雨が降りそうだった。
「(……さて。フランシーヌもよくやってくれたから、後はパスカルだ。言い逃れできないように捕まえて、フロランスの事も聞き出そう。レティにとっては嫌な記憶になるかもしれないが────まあ、問題はない)」
窓の傍にあった椅子に腰かけ、小さなテーブルに魔導書を置く。背もたれに体を預けたら、天井を仰ぎながら目を瞑った。
「あまり厄介な仕事にはしたくないものだが」
自分の境遇をひどいものだと思った事がある。酒飲みで男好きな、歴代で最低の魔女。我が子に愛情など注がず、年相応になったら魔女を継がせた。かといってそれまでは何不自由ない暮らしをしていたのも事実だ。
流石は魔女と言うべきか、金銭面に関しては多くの貴族からの支援もあって困った事はない。ただ、それが愛に繋がったわけではない。これで過ごせと当然のように渡された金を握りしめてあちこちへ出向いたり、次の魔女になるんだなと期待されてはうんざりした。あんな魔女のせいで自分まで微妙な目で見られるではないか。そうやって、何度腹を立てた事か。
そう思われていた時代も、とっくに通り過ぎてしまって、今はそう思いだす事もない記憶に変わった。不幸ではあったが、続かなかったから。
だがレティの境遇はどうだろうか。魔女と違って、彼女には時間が限られている。その中で王族という立場に縛り付けられ、自由とは程遠い時間を過ごしてきた。ようやく手にした仮初の自由も、その命を奪うための最後の晩餐の如き扱いだったのだとしたら、なんと不幸な人生だろうと思わざるを得ない。
「フランシーヌでさえ、いざとなったら妹の事を想えるというのに、親がそれに劣ってどうする……。度し難い話だな、まったく」
ごろごろと雷が鳴り、目をぱちっと開いて窓の外を見た。
雨は好きではない。ひとりで孤独に過ごした時間を思い出してしまう。窓を叩きつける雨の小馬鹿にするような音。ベッドに座り込んで、何を考えるでもなく今の時間が終わってしまえばいいのにと幾度考えた事か。
魔女になって全てが変わったとはいえ、嫌な記憶の傷跡はいつまで経っても癒えないものだ。ふとした拍子にかさぶたが剥がれ落ちてしまう。
「モナルダ、いる? 入ってもいい?」
「ああ、もちろん構わないよ。入っておいで、レティ」
古い記憶は、すぐさま握り潰す。心に影を落とす複雑な記憶もレティの顔を見れば簡単に忘れられた。大切な友人であり、愛する人。
「来てくれるなんて思わなかった。あのまま帰っちゃうかと」
「気に入る宿がなくてね。ここなら気兼ねなく休めそうだった」
「あはは、それは言えてる。……ありがとうね、来てくれて」
実を言えば少し心細いところもあった。フランシーヌとは仲直りできたが、かといって彼女に好印象を持ってもらえたかどうか、不安で仕方がなかった。その想いとは裏腹に当の本人はかなり気にしてはいるのだが。
「いつもの服が見慣れていて、しっくりくるよ。あのまま帰らなくてよかったと思えた。まあ、適当に座ってくれ。少し話を聞かせて欲しい」
「うん? いいよ、もちろん。どんな事かな?」
モナルダは窓の外にまた視線を向けた。今言ってどうなるものかと思いながらも、本人の意思を尊重する事を大切にしてきたのだから、今度もそうするべきだろうと決心して、しかしレティに目は向けずに────。
「もしもの話だが、また旅をする事になって、私といっしょとなったら何が理由でもついてくる気はないか。……まあ、もしもの話なんだが」
なんとも情けない遠回しな聞き方かと自分に呆れた。パスカルに悟らせないためにレティには何も告げないと選んだ以上、全てが終わってからでも良かったが、先にどうしても聞いておきたくなってしまった。
なんともつまらない独占欲が出たと嘆く。魔女ともあろうものが。
「う~ん……もしも、ってたとえば?」
「どうしてもヴェルディブルグに帰れず命を狙われる事になったりとか。王族なんだから、そういう事もあるかもしれないだろう」
それはそうだな、と納得できる理由にレティも腕を組んで考える。そんな事が本当に起きて欲しくはないけど、と思いながら。
「それだったら、ボクはモナルダといっしょがいいな。お母様が反対しても、ついて生きたい。この世の誰よりも尊敬する人と旅ができるって幸せでしょ?」