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第30話「もう怖くない」

「あら、思ったより元気そうね。まあ座りなさいよ」


 食堂について、言われるがままに席に着く。冷静になって落ち着いてみれば、抱いた恐怖心も緩く溶けていった。フランシーヌは確かに繰り返し嫌がらせを行ってきたし、心無い言葉をいくつも浴びせるような人間だ。


 なのにもう、ちっとも彼女を怖いとは思わなかった。


「二ヶ月もあったのにアタシの方が先に着くなんてね。魔女との旅行は楽しかったかしら。ちょっと羨ましいくらいだわ」


「……そうだね。ボクも楽しかったよ、モナルダとの旅は」


 ハッキリ返事をされる事が予想外だったのか、フランシーヌが目を見開いてきょとんとする。玄関で見た、以前と変わらない妹の姿ではない。もごもごと言い淀む事もなく、しっかりと答えていた。


「そう。なら良かったわ。アタシも行ってみたかったな、魔女との旅。アタシはあんたと違って、バカンスって事で出てきたのよ? ウジウジしてた方が待遇の良い旅ができるなんていいわよね、気楽で」


 嫌味にも構わず、レティは食事を続ける。フランシーヌのグラスを持つ手に、僅かに力が籠った。腹立たしさと憎たらしさを感じて。


「少しは会話しようとか、そういう気にはならないわけ」


「ならない。ボクは無礼な人と会話はしたくない」


「……そう、随分と変わったのね。魔女の影響かしら」


 ちらと扉の傍で立つパスカルを見る。


「出て行きなさい、パスカル。少し二人で話がしたいわ」


「えっ。しかし、このような者と……」


「態度を弁えてちょうだい。二度も言いたくないから」


「……失礼致しました。それでは何かあればお呼びください」


 仕方なく退出して、扉が閉まるのを見てからフランシーヌが大きなため息をつく。呆れた男だと、パスカルの事を嫌っていた。


「まったく、最低だわ。なんであんな奴がアタシの執事なんだか」


「嫌いなんだね、あの人の事。どうして執事を」


「お母様が気に入ってるからよ。アタシの婚約者候補らしいわ」


 チッと舌を鳴らす。フランシーヌからしてみれば、とても気に入らない男だ。計算高く、まるで真摯に仕えているようで、目的は見え透いたものでしかない。歴史ある子爵家の息子とあって、政略的な意図がある。


「あんなのが夫になるだなんて信じられない。ヴェルディブルグの歴史を揺るがす大事件よ。どうせパトリシア姉様が王位を継ぐんだもの、結婚相手くらい自分の好きな人を選ばせてほしいものだわ」


「できないさ。王位を継がなくても王族には変わらない。もしパトリシア姉様が娘を産まなければ、ボクたちの子供が選ばれる可能性もあるんだから」


 互いに思うところはある。好きな相手がいれば、そちらを選びたいというのはだれしもが抱く当然の感情だ。一致する感情は、僅かに敵意を削ぐ。


「あんた、本当に変わったのね」


「そうかな……。でも、君に会ったときは怖かった」


 ふんっ、と不満げにフランシーヌが顔を逸らす。


「あんたの事嫌いだった。いつもウジウジしてて、何しても『全部自分のせい』みたいな顔して、愛想笑いなんか浮かべちゃってさ。だから、怒ったりしてくれないかっていくらでも嫌がらせしてやったのに反抗もしない。余計にイライラしちゃった。でも、今のあんたはアタシが同じ事をしたら掴みかかってきそう」


 レティが視線を料理からおもむろにフランシーヌへ移す。


「もし、今ボクが掴みかかったとしたらどうする」


「謝んないわよ。そのまま殴り合いでもしてあげる」


 睨み合い、しばらくの沈黙が流れてから────。


「ぷっ……ふふ、あはは! フランシーヌ姉様なら言うと思った!」


「あっはっは! でしょ、それがアタシってものよ!」


 ひとしきり笑った後、レティは目尻に浮かんだ涙を指で拭う。


「ボク、ちょっと変わったと思わない?」


「ちょっとで済むの? 正直、会ったときは何も変わってないと思ったけど、あんたはもう立派に自分で歩けるじゃない。変わりすぎ」


 グラスの中で葡萄酒を揺らして、楽し気に言った。


「ニューウォールズの事は聞いてたの。魔女と一緒に大きな事件を解決したらしいじゃない。あの芋虫ちゃんが、立派な蝶になったんだと思って楽しみにしてたのに、来たら来たで、やっぱり芋虫ちゃんだったから腹が立ったわ。でも杞憂だったみたい。あんたとは仲良くできそうだわ、パトリシア姉様と違って」


 冷めた瞳に、レティが一瞬ビクッとする。長女と次女は常に一緒にいたから、仲が良いと誰でも思っていた。彼女も当然そうだと思ったが、フランシーヌはグラスを見つめて、うんざりするようなため息を吐く。


「お母様は、もうすぐ王位を譲られるそうよ。その準備のために戴冠式の予行演習を行うから緘口令が敷かれて、アタシも念のためリベルモントへ移されたってわけ。まさか、先に出発したあんたの方が後だとは思わなかったけど」


 それはそうだろう、とレティも恥ずかし気に咳払いをする。


 ニューウォールズの件はともかくとして、その後はまっすぐリベルモントへ向かったとはいえ、日程に余裕がある分はモナルダとゆっくり過ごしてきた。その間にフランシーヌが通り過ぎていたのだと思うと、いささか気まずい。


「それより、魔女ってどんな人だったの? アタシも会った事ないから、羨ましいわ。城にいたって聞いて会いに行ったときには出発した後だったもの」


「ふふ、じゃあ何から話そうかな。モナルダはね────」

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