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リベルモントの都市に着いたのは夕刻。日がもうすぐ落ち切ってしまうような時間。城を出るときに荷物の中にあった地図に従って、中心部から離れた場所にある、いくつもの邸宅が並ぶ住宅街をゆっくり進む。
ひときわ大きな邸宅の大きな門の前で止まって地図と照らし合わせた。
「……うむ、ここで間違いないようだが」
「こんな大きいんだ。ボクと使用人が暮らすにしても……」
「ああ、とても大きい。流石は王族と言ったところか」
馬車を降りると、門前で待っていた燕尾服の男が寄ってきた。
「お初にお目にかかります。レディ・モナルダとレティシア王女殿下でございますね。お待ちしておりました。私は執事を務めます、パスカルと申します。フロランス女王陛下からお話は伺っておりますので、どうぞ中へ」
案内しようとして、モナルダが首を横に振った。
「私の仕事は、ここへ送り届ける事だ。報告は自分でフロランスにしなければならないから……。名残惜しいが、今晩だけ泊ったら出発するよ」
「そうですか、残念です。でしたらせめて『ラ・リュミエール』という店へ立ち寄る事をおススメいたします。とても美味しい葡萄酒が売っていますので」
手土産には名案だな、と宰相ペトロスに買って行く事にした。フロランスの傍に使え続けるなど精神的疲労が絶えないのは目に見えている。少しくらいは労ってやるのも良いだろう、とパスカルに礼を言って彼女は馬車に乗って去った。
「さあ、レティシア王女殿下。屋敷へ参りましょう」
彼女が手に提げていたトランクを受け取ってゆっくり前を歩く。レティはどうしても、パスカルに対してあまり良い印象を感じなかった。あまりに業務的で、笑顔のひとつ浮かべない冷たさが懐かしくもあり、少し胸をざわつかせる。
「パスカル、君はリベルモント出身なの?」
「いいえ、王都から派遣されました。お二人の面倒を見るように、と」
「……えっ。二人って、ちょっと待って。ボク以外に誰が────」
屋敷の玄関。二枚の扉が、勢いよくバンッと開け放たれた。
「あら。遅かったじゃない、芋虫ちゃん!」
薄桃色に染めた豊かなふんわりとしたツインテール。黒いリボン。穏やかそうなレティとは違って、活発で熱に満ちていて気の強さを醸す瞳。彼女の甲高い声に、レティは思わず口を開けて絶句する。
待っていたのは第二王女。レティの姉であるフランシーヌ・ヴァレリア・ド・ヴェルディブルグ。いつも直接的ないじめを行ってきた娘だった。
「どうしたの、青い顔しちゃって。さっさと中に入りなさいよ。それともアタシがいるのが気に入らないとでも言いたいわけ?」
睨まれると声が出ない。レティはずっと心の片隅にあった不安が、瞬時に自身の精神を蝕んで黒く染めていく感覚に息が詰まった。
「あ、う……その、ボクは……」
「はあ? 聞こえないっつうの!」
ぴしゃりと言われて体がビクッと跳ねる。身に沁みついた恐怖心は簡単には抜けない。自分がもっと強い心を持てばフランシーヌとも仲良くなれるかもしれないという淡い幻想が簡単に崩れていく。
「大体、なによ、そのボクっての。気持ち悪いわね」
「っ……! ひ、ひどいよ、フランシーヌ姉様!」
「はあ~……。偉そうに言う割には涙目なのね、鬱陶しい」
くるりと背を向けて、チッと舌を鳴らす。
「いいわ、パスカル。こいつに似合う部屋を用意してあげて」
「はい、フランシーヌ様」
このとき、やっとレティは違和感の正体に気付く。パスカルは最初からフランシーヌの執事であり、だからこそ彼が冷たく感じたのだ、と。
「ああ、もうすぐ夕食だから、その野暮ったい服を着替えたらすぐ来てよね。今日くらいは何もしないでおいてあげる。あんたが、そのグズグズした態度を続けるんなら、気分も変わっちゃうかもしれないけど」
反論できなかった。この服はモナルダに買ってもらった最初の服なのだと言って怒れば良かったのに、言葉がちっとも出せないままだった。
それが悔しくて仕方なく、レティは結局何も言い返せないまま涙を目に浮かべながら、パスカルの案内で自室へ向かう事になった。
「こちらです。フランシーヌ様のご機嫌は損ねない事をお勧めしますよ。それでは失礼いたします。何か問題があれば近くにメイドを待機させていますので」
広い部屋に、ひとりぽつんと取り残される。もし誰かが訪ねて来たときに彼女が小さい部屋にでも押し込まれていて噂が立ったら困る。体裁だけでもまともにしておかなければという、自分達への配慮が窺えた。
「(最悪だ。なにひとつ言い返せなかった。ずっとモナルダの傍にいて、ちょっとは前に進めたと思ったのにな……)」
部屋の外にいた二人のメイドに声を掛けて、着替えを手伝ってもらう。ドレスを着るのは久しぶりで、姿見に映る自分にうんざりした。
「……ありがとう。助かったよ」
メイドたちの憐れむ視線が突き刺さる。彼女たちは決してレティに悪意は抱いていないが、フランシーヌに目を付けられるのを恐れているのがハッキリ分かった。リベルモントの屋敷では、彼女は孤立無援なのだ。
「(いや、こんな事じゃだめだ。ボクもこれくらいの事はひとりでなんとかしなくちゃ。でないとモナルダに嫌われちゃうかもしれない!)」
両頬をばしっと叩いて、気合を入れる。食堂で待つフランシーヌに、今度こそはキッパリと言い返してやるぞと心に決めて。