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第26話「穏やかな朝」



 あっという間に月日は流れ、リベルモントまでもあと少しというところまで来ていた。今はのんびり、旅の終わりに向けて小さな村で泊っている。予定していた二ヶ月よりも、ニューウォールズでの滞在が長引いた事もあって、やや急ぎ気味で時間が余ったので、ひとまずは穏やかな時間を過ごす。


 空気の澄んだ小さな森の中にある村で、川のせせらぎを聴きながら外で摂る朝食は気持ちが良い。熱々のコーヒーにはミルクを少々。バターたっぷりのトーストは程よく焼けていて、サニーサイドアップの目玉焼きにソーセージが二本添えてある。傍にはサラダもボウルに山盛りで、小皿に取り分けた。


「なんだか気持ちいいね。ずっとここで暮らしたいかも」


「分かってないな。こういうのは旅行だから楽しめるんだよ」


 のんびり空気を吸い込んで心地よさそうなレティに、トーストをひと口齧ってニュースペーパーを眺めながらモナルダは言った。


「田舎の暮らしは味気もないし、都会育ちには向いてない。とにかく不便なんだよ。近くには町もあるが、片道で数時間は掛かる。医者だっていないから、体調を崩したら寝込んで過ごす事の何がいいんだか」


「あはは……。ヴィンヤードってもしかして、すごい田舎だったり?」


 言われるとモナルダが、そっとカップに伸ばした手を止めた。


「ヴィンヤードには良い思い出がないんだ。村自体は悪くない。暮らしてるのも良い人ばかりだったが、私の母親はどうしようもないロクデナシでな。周囲に何を言われたって酒はやめないし、男はとっかえひっかえで、とても魔女とは思えなかった。本人も魔女というしがらみにはうんざりしていたみたいだが」


 結局、モナルダの母親は魔女である事を苦痛に感じていて、早く解放されたくて子供を産んだようなものだ。おかげで彼女は愛らしい愛も受ける事無く、魔女を継ぐ歳になったら魔導書を開いて、さっさと少ない路銀を握って旅に出た。


 各地で魔女を知らない者はおらず、新たに魔女となったモナルダはそうしてあらゆる国々を訪ねて滞在してきたが、どうにも小さな村は居心地が悪かった。嫌な思い出が頭を過ったし、田舎暮らしの不便な部分をよく知っていた。風邪を引いて高熱にうなされながら、母親の温かみを感じる事もなく、ただひたすらに我慢する事しかできない幼少時代は嫌な記憶に塗れていた。


「私にとっては嫌な思い出しかない場所だが、今頃レスターたちは元気にやっているかもな。お前はどうだ、あの王城の暮らしに良い思いでは?」


「うーん……。あはは、どうだろう。あんまり思い浮かばないや」


 母親からは愛情を向けられない。長女は自分に興味がないので、まったく会話もしないし、次女からはイジメの対象だ。欲しいものは買い与えてもらえたが、決して温かい気持ちからの贈り物ではなかったので、寂しい気持ちの方が強かった。自分なりに努力しても、レティは自分を見てもらえない事を知っていたから。


「ボクは不器用だからさ。狩猟大会に顔を出すのも苦手だったし、楽器もできない。編み物も裁縫も駄目。だから皆に愛想尽かされちゃって……。優しくしてくれたのは、ミルフォード公爵くらいだったなぁ」


「アイツもそれなりに苦労してるからだろう。それで、どうなんだ。お前はああいうタイプの男が好みだったりするのか? なんというか、紳士的な」


 突然の問いかけにレティが顔を真っ赤にして驚く。


「なっ、えっ!? いきなり何を言い出すのさ!」


「いやあ……。だって、お前もデビュタントは済んでるはずだろ。アイツは長く独身だし公爵家だから、結婚とかどうするんだろうかと思ってな」


 我ながら母親みたいな事を考えている、とつい笑ってしまった。


「ボクは結婚なんて考えてないよ。そりゃあ確かに、誰か好きな人が出来たらなぁとは思ってるけど……。とりあえず公爵は……ない、かなぁ……」


「くっ……フッフッフ……! そ、そうだよな。歳が離れすぎてる」


 哀れな公爵。本人の与り知らぬところで振られているとは到底思うまい、と腹を抱えたくなるほど可笑しな話を耐えきり、目尻に浮いた涙を指で拭う。


「いやはや、しかし。リベルモントへ行けば変わるかもしれん。上流階級の人間に、私から紹介してやれるほどの色男に覚えはないがね」


「いいよ、ボクは別に。末っ子だし、お母様は無関心だから」


 結婚など必要に迫られていなければ、する必要もないとレティはバッサリ切り捨てた。最初から期待されていないなら、もっと自由でいたかった。


「でも最低条件はあるよ。まず尊敬できる事。それから、すごく優しい人がいいな。ボクの事をちゃんと見てくれるなら、それが一番」


「お前の苦労を分かってやれる奴か……。そんな気立ての良い人間がいるとは思えんが、まあ見つかるといいな。出会いとはどこにあるかわからんものだ」


 コーヒーを飲んでニュースペーパーを読みふけるモナルダを見て、レティは残念そうにぷくっと頬を膨らませた。


「ボクは結婚する気ないって。結婚できないからね」


「……? 結婚できないって、なんで?」


 不思議そうに首を傾げるモナルダを見ながら、くすっと笑う。


「いつか分かるよ。ボクからはまだ内緒」

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