目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第24話「霧は晴れた」

 初めて父親に叩かれて、ラヴォンは言葉を失った。生まれてから一度だって怒られた事はない。もちろん、間違っている事は間違っていると指摘を受けてきたが、かといって頬を叩かれるといった経験はなかった。


「すまない、魔女殿。娘を甘やかしてきた俺の責任だ。あんたに不快な思いをさせちまった。全面的に謝罪する。……子爵令嬢の件も」


 床に座って、指を揃えて深く頭を下げる。これまでに見た事のない父親の姿に、ラヴォンはただ放心状態で見守っているだけだ。誰かに心からの謝罪をすることの難しさが、彼女には理解できていない。


「頭をあげろ、レスター。今回の件は、見逃してやりたくてもそうはできなかった。私の私情もあるが、なによりグリンフィールド伯爵が領地を失うのに、功績はミルフォード公爵のものとなる。アイツは、お前たちの事をよく思っていないだろうから、どのみち一掃されると考えた方がいい」


 ナイルズとは生まれた頃からの付き合いだからこそ、考えも良く分かる。彼は自分の足を引っ張るであろう者の存在を許さない。味方であれば頼もしい事このうえないが、そうでなければ言わずもがな、始末される。


 別に、誰かを始末したいときにレスターたちでなくてはならない理由など、公爵ほどにもなれば何もないのだから。


「本当は憎いよ。亡くなった者たちの事を思えば。だが貴族という立場が、貧富の大きすぎる格差が、お前たちにそうさせてしまったのも事実だ。幸いにもレスター、お前でさえ、誰も殺した事がないんだろう?」


 見抜かれて、レスターがびくっと小さく身を跳ねさせた。


「な、なんで分かったんだ? そうだよ、死体の後処理は……まあ、した事はある。だが向いてなかった。見ただけで吐いちまって、でも後には退けなかった。そうやってずるずる今の仕事が続いて、見栄だけで生きてきた」


 本当は令嬢が殺されたと聞いただけで嫌な気分だった。自分にも娘がいるし、子を失う辛さは理解できなくとも、自分でも耐えられないと分かる。だからどこかで終わりにしたかったが、周りの目を気にしてそれができなかった。


 もしかすると自分だけでなく娘まで。そう思うと、とても逃げ出せずにいた。蛇の道は蛇。どこまで逃げても同業を共にしてきた者からは逃げられない。だからラヴォンには、生き抜く力を与えようとしていたところだった。血を見る事のないよう、できるだけ遠ざけなくては、と。


「だから見逃してやるんだ。子爵のように悲しむ姿は想像もしたくない。……ところで、最後にひとつ下らない話でも」


 そこそこに時間が経った。まだ誰も顔をのぞかせていないな、と玄関を振り返ってから、モナルダは魔導書に挟んでいた手紙を渡す。


「ヴィンヤードに、そこそこ広いが滅多と使われていない家がある。これを持って行けば、快く滞在を許してくれるはずだ。村長のヴァージルに渡せ」


「ありがとう、魔女殿。俺たちなんかのために」


 所詮は人殺しに加担するクズだと理解している。もしこのまま憲兵隊に突き出されても、恨んだりしないと誓えるくらいには。


 だがモナルダは彼らを助けた。たとえ殺されようとも、フローリンなら彼らの境遇を見て、憎んだりなど決してしなかっただろうから。


「ああ、それから名前は変えろ。フロールマンは魔女にしか名乗るのを許されていないから……そうだな、私の遠縁というところでウィザーマンの姓をやろう。もうみんな死んだ一族の名だが、ヴィンヤードで暮らすといえども誰かが足跡を辿らないとも限らん。まったくの別人という事にしておけばいい」


 渡した手紙は紹介状だ。彼らが今後、ヴィンヤードで平穏に暮らしていけるように全面的な協力を頼むための。


「ラヴォン、いや、お前はカトレアという通名があったな。レスターは、うん。自分で考えてもらえると助かる。そこまで面倒を見る理由もなかった」


 くるりと背を向けて、モナルダは立ち去ろうとする。


「抜け道があるんだろう、もう行け。いつかまた会おう」


 ドアノブに手を掛けたとき、がたんと何かが動く音がして、それから彼女の背中に「悪かった……。アタシの事、覚えててよ」と声がする。寂しそうな、悲しそうな、どちらとも取れる声に、彼女は────。


「忘れたりしないよ、ラヴォン。今度は真面目に生きると良い」


 別れを告げて家を出る。外で待っていたレティが不安そうに駆け寄った。


「おかえり、モナルダ。ラヴォンたちは?」


「逃げたよ。きっと今頃、私の悪口でも言ってるだろうさ」


「そっか……。でも、ここまでするなら相談してほしかったなぁ」


「そう怒るなって。世話になった連中ではあるが」


 ぽん、と優しく帽子越しに頭を撫でて、ゆっくり先を歩く。


「所詮は人殺しだ、遅かれ早かれこうなったさ。彼らが今後どうなるか、それは公爵の管轄になるだろう。後は任せておけばいい」


「うん、そうだね。ボクたちがもっと早くに気付いていれば……」


 たとえ愛されない子だったとしても、レティは王族である。事件の顛末は悪質のひと言に尽きたが、その根源にあるものが自分たちが招いた紛れもない格差社会によるのであれば、責任感は相応に感じる。後悔もする。誰も傷つかずに済んだかもしれない世界が創れたのではないかと過り、胸を締め付けられた。


「世の中はそう簡単に変わらんさ、レティ。どこかで誰かが幸福なとき、必ず誰かが不幸になるのが社会だ。全員が手を取り合って幸せな未来を、なんて夢物語は胸にしまっておけ。世の中なんて、程々の利益主義で成り立っているんだから」


 ふう、と疲れたため息を吐く。とにもかくにもニューウォールズを取り巻いていた問題は解決した。とうとう何年もの時を経て、霧は晴れたのだ。

「今は帰って、無事に済んだ事を祝うとしよう」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?