モナルダが指を鳴らすと、途端に外の喧騒が聞こえてくる。憲兵隊が捕まえた仲間たちの怒号を聞いてラヴォンが青ざめていく。
ニューウォールズの貧民窟は無法地帯だった。だがそれはこれまで誰も介入してこなかっただけの話で、グリンフィールド領の町ではヒューバートがそういったものを利用価値があると考えて、あえて野放しにしてきたにすぎない。
他の誰もが突き崩せず関われない大きな問題でもあったが、たったひとりだけ自由に介入できる存在があった。それがモナルダという魔女だ。
「ビリーの件を突けば、必ずお前が動くと思っていた。最初から掴んでいた情報ではあったが、こうも容易く動いてくれるとはな、グリンフィールド」
「ま、まさか……そんな、では公爵様は────!」
驚く彼に向けて、冷めた視線を送った。
「捕まえろ。ラヴォン、お前は私と来い。話したい事がある」
「……ああ、分かった」
素直に従う。強張った表情は、家族や仲間の事ばかりを考えている。ついていけば何が変わるものかと思いながら。
一階では、彼女の父親が憲兵隊と話す姿があった。
「パッ……親父! これどういう事だよ!?」
「あ、ラヴォン。違うんだ、聞いてくれ。俺も訳がわからなくて」
何の音もなく全員が憲兵隊に捕まり、逃げようと思えば逃げられたが、大切な娘のラヴォンを置いていくわけにはいかない。観念して娘の事だけは勘弁してくれと懇願しようとしたところで、モナルダにただ待っているよう言われた。
彼もまた事態が呑み込めず、どうやって彼女たちが乗り込んできたのか、皆目見当もつかないといった様子で頭をがりがりと掻くだけだ。
「ではレスター・コールマンさん。お子さんのラヴォン・コールマンさんは何も知らないという事で間違いないのですね?」
「あ、ああ、すみません。その通りです。それから……」
事情を聴かれている所へモナルダが口を挟む。
「外の連中を先に連れていけ。この二人と少し話したい事がある」
「は……それでは後ほど再度お伺いします」
憲兵隊がぞろぞろと出ていき、主な目的であったグリンフィールドの逮捕も済んだ。ここから先は余計な手間ではあるが、今後に必要な話だ。
「なんでこんな事をしたんだよ、お客さん。俺たちはあんたの取引に応じたってのに、あんまりじゃないか」
人がいなくなってからモナルダに苦言を呈したが、彼女にぎろりと睨まれて言葉をひっこめた。余計な事を言うなとラヴォンに脇腹をつねられる。
「私は……なんにせよ、お前たちの組織がある事は間違っていると思う。だが、お前たち親子がいなければビリーも、グリンフィールドも、未だに都合の良い人殺しを繰り返していたはずだ。それには感謝している」
「だったらアタシたちを敵に回す理由はなんなんだ?」
貴族令嬢連続殺人に加担したのと変わらない。モナルダの見解はそれだった。たとえレスターたち親子が、そう生きるしかなかったとしても、殺人は許されていい行いではない。なにより、まったく罪のない令嬢たちが犠牲になったのだ。その中にはブレイディ子爵令嬢もいる。許しておけるはずがない。
「お前たちをこのまま見送れば死刑は免れないだろう。幾人もの貴族を敵に回しておいて、のうのうと生き残れるわけもない。……だが、なんだ。私も人間として情はある。後悔していると言うのなら、手を尽くしてやらん事もない」
「アタシらの仲間は皆捕まったんだろ。なのに、なんだそりゃ?」
ラヴォンが怒りに任せて胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
「あんたは自分の事だけしてりゃ良かったんだ! アタシだって、手ぇ出した事がなくても皆がどれだけ悪い事してきたか分かってる! でも、そうやって生きるしかなかったアタシたちを捕まえて死刑だと!? あんたら金持ちがいつだって得をする世の中で、アタシたちに何をしてくれた!」
うんざりするほどの貧しさ。明日を生きられるかどうかも怪しい。そんな日常で、少しでもまっとうに朝日を拝めるならなんだってした。選んでいる余裕なんてなかった。それが貧民窟で育つという事だ。誰かを殺して成り立つ生活があるのなら、誰かの人生を奪ってでも生きるしかなかった。そうしなければ自分が死んでしまう。下がる道もないのに、どうやって生きろと言うのだと吠えた。
自然と涙が溢れる。レスターの制止も振り切ってラヴォンは怒鳴った。
「……いや、やはりお前は分かってないな。もう一度だけ言ってやる。全員を助ける事はできない。グリンフィールドを捕まえるのには絶対的な証拠が必要だった。気持ちは分かるが見逃してはやれない。お前たちが始末した者の中には、私にとって大切な友人もいたからだ」
フローリン・ブレイディ子爵令嬢は淑やかで、優しく、モナルダを心から尊敬する若いレディだった。ビリー・ロッケンの手によって殺され、レスター率いる集団が証拠隠滅に関わった以上、本来なら許せない。それでも。
「これは私の温情だ。どのみち、ここで見逃したところでナイルズからは逃げられない。私の提案よりも悲惨な目に遭いたいなら別だが」
「てめえ、まだそんな言い方を────」
ぐいっとモナルダから引き剥がされて、ラヴォンは怒りのあまりに父親にさえ怒鳴ろうとした。なんのつもりだ、と。だが実際に響いたのは彼女の怒声ではなく、パンッと頬を叩かれる乾いた音だった。
「いい加減にしないか、ラヴォン。お前が間違ってる」