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第21話「甘言に誘われて」




 翌日、ニューウォールズにばら撒かれた号外は『ビリー・ロッケン、逮捕! 令嬢連続殺人事件の犯人か!?』という、住民たちに震撼の走る怖ろしい真実で飾られていた。もちろん、元から噂される程度には信用のない男ではあったが、ロッケン商会の代表ともあろう人間が、と口々に声が聞こえた。


 それは当然、グリンフィールド邸にも届き、彼がそれを目にしたときの震えようといったら、今にも噴火しそうなほど顔を真っ赤にして、執事に対して腹いせに怒鳴り散らす有様だ。


「ふざけおって、何がどうなってるんだ!!」


 加えていた葉巻を灰皿にぐりぐりと押し付けて潰し、椅子から立ちあがったかと思うと暖炉の火に向かって投げつける。動揺を隠せず、執事に「少し出かけてくる!」と吐き捨てるように言って部屋を出ていく。


「(くそっ、くそっ……! なぜ憲兵隊は奴を捕まえたんだ!? 高い金まで払って口止めまでしたってのに、あのグズ共め! 腹立たしいが金の催促でもするつもりなんだろう。さっさと金を握らせて、釈放させるしかない!)」


 苛立ちからどかどか早足で歩いていたが、玄関前まで来て止まった。メイドたちが今日は誰の訪問も受け付けていないと言うだけで戸惑っているので「なんだ、さっさと追い払って仕事をしろ!」と怒鳴りつけて、すぐ顔を青ざめさせた。


 どうせ大した事もない客だと思っていたところ、立っていたのはナイルズ・ミルフォード公爵だと言うのだから、まずい言い方をしたと焦った。


「あ、ち、違うんです、公爵殿……これは……ですね……!」


「いいとも。急いでいるときもあるだろう、気にしていないよ」


 中折れハットを脱いで、胸のあたりに添えながらニコリと微笑む。


「それより、今朝の号外は見たかね? 驚いたな、あのロッケン商会の代表に毛皮製品の取引で仲介を任せていたと聞いているが」


「え、ええ……。実はその件で、事実確認をしに屯所へ行こうかと」


 聞き耳を立てるな、と鬱陶しそうに邪魔なメイドたちを追い払ってから、彼は手をすり合わせて、とても気まずく苦々しい笑みを浮かべながら言う。


「ホラ、その……。アレでしょう、困りますから。特に今のシーズンは、よくコートなどを欲しいと言って下さる方々も多いので……」


「いやいや、そういう話をしたいんじゃないんだよ、ヒューバート・グリンフィールド。君に良い話を持ってきてやったのだ、聞く気はないかね」


 驚いてヒューバートは言葉に詰まった。普段ならばフルネームでわざわざ呼ばずに『ミスター・ヒューバートくん』とでも呼びそうなものだが、彼はいつもと違う雰囲気を纏っていた。


「な、なんでしょう、公爵殿……?」


「憲兵隊に行っても無駄だ、これには魔女が関わっている」


 魔女と聞いて、またも驚かされる。なぜ魔女が、と思わずにはいられない。しかし心当たりがなくもない。なにしろブレイディ子爵夫妻をビリーに始末させたのだ。なんらかの事情をどこかで知ったのかもしれないと不安になった。


 その心の隙にナイルズが付け入って助言をする。


「君の悪い噂は魔女の耳にも入っている。聡明な彼女の事だから、急いで憲兵隊にでも行けば、君がビリーと通じていると疑われるかもしれない」


「またまた、公爵閣下。ただのうわさ話ですよ、私は何も知りません」


 慌てて首を横に振って取り繕ってはみるが、ナイルズは気にせず続けた。


「この町は素晴らしい、私も気に入ってる。君が領地の管理を上手くやってるからだ。令嬢を始末してしまえば目障りな連中が追い落とされて、私も自分の地位を脅かされる心配もしなくていい。いつも私に気を遣ってくれる君には感謝してるんだ。大して関わってもいない小さな犯罪行為如きで捕まるのは嫌だろう?」


 不要な言葉は掛けない。言わずとも分かるはずだと公爵の視線に、ヒューバートは恐ろしさと同時に敬意を抱く。ふたつある公爵家のうち、ナイルズは歴史ある家門であって、その人当りの良さと上流階級としての気品が周囲を惹き寄せてしまうほどの男だ。彼に手を差し伸べられて拒む者など、まずいない。


「こ、公爵様……! しかし、このままではどうしようもありません。今はビリーをどうにか憲兵隊の手から解放しなくては……!」


「まあ待て。落ち着きたまえよ、利巧なヒューバート」


 おどおどしているヒューバートの腕をぱしっと励ますように叩く。


「君が落ち着かなければ、上手く行くものも失敗してしまう。冷静になるんだ、本当にビリーを逃がす必要があるかね? よく考えてみなさい」


 言われてみるとそうだ、と胸の内をぐるぐる渦巻いていた感情が、緩やかに冷めてくる。ビリー・ロッケンはこれまで、何度も殺しや脅迫を行ってきた。運良く上手く済んだが、過去に証拠を残したときには吐き気すら催した。次はないぞと忠告までしたのに、彼はまたしくじったと言うのだ。


────どうして助ける必要がある?


「そ、そうですね。公爵様……。始末してしまいましょう」


「モートン通りへ行くのかね?」


「ええ。ビリーは裁判まで口を閉ざすでしょうから」


 やはり出かけなくてはならない。他の誰かに任せてしまうと、裏切る可能性だってある。ビリーを長年にわたって見ていれば、当然その考えに至った。


「失礼します、公爵。戻ったら良い報告をお持ちしますよ」


「期待しているとも。待っているよ、ミスター・ヒューバートくん」

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