モートン通りの近くまで来たら馬車を停めて、そこからは徒歩で身を隠しながら移動する。襤褸を纏う男二人が、それを見るなり駆け寄った。
「モナルダ様、公爵様からの指示で参りました」
「我々が馬車を動かします。場所はどこへ?」
ナイルズが雇う護衛。本来は彼の傍にいるべきだが『魔女に手を貸す』と言われれば、絶対に失敗の許されない仕事だと気合も入っている。
「馬車はバシル商会へ持っていってくれ。裏口から歓迎してくれる」
「承知いたしました。それではさっそく」
二人が御者台に乗るのを見てから、モナルダが呼び止めた。
「待て、お前たちの仕事を少しでも楽にしてやろう」
魔導書を開いてから、彼らに向けて指をパチンと鳴らす。指先から放たれた紫煙が、ふわりと彼らにまとわりつく。
「これは……?」
「おまじないさ。お前たちを誰も疑わないようにね」
もしビリーに呼び止められても、違和感を覚える程度で彼らを深く疑うには至らない。息のかかった者がいても問題はないだろうとモナルダがお墨付きを与えると、彼らはとても嬉しそうに顔を見合わせた。
「ありがとうございます、モナルダ様。ご武運を!」
告げてから馬車は走り去っていく。程々に見送ったら背を向けて、近くの建物の陰に隠れて周辺の様子を窺う。
モートン通りの近くは酒場が多く、治安もニューウォールズではあまり良くない。夜になって店が開き始めると客が騒ぎ立て、道には人気がないが、常に話し声がどこまでも響くような場所だ。ちょっとの荒事も人目を避けて注意さえしていれば、誰に気付かれる事もない。犯罪の温床。過去の記録からも、何人かの貴族令嬢はモートン通りの近くで行方不明になっている事から間違いなかった。
「(ん、来たか。レティひとりで歩いてるが……うむ、想定通りか)」
何を気負う事もなく堂々と観光するように歩くレティの十歩ほど背後で、ぴったり距離を詰めたりもせず、常に一定を保って歩く男がいる。帽子を深くかぶってコートの襟を立てて顔が目立たないようにしながら、しかしモナルダには特徴的な体を仄かに左右へ揺らす歩き方でビリーだと分かった。
「……さあ、そうだ。そのあたりが丁度いいだろう」
路地裏に近い場所でレティが足を止めて体をググっと伸ばす。時間稼ぎだ。ビリーが動けば、それが合図となる。一歩間違えば確実に殺される状況。緊張に息を呑みながら、じっくり見守って────。
「来た……! やはり動いたか……!」
レティの隙を突くように思いきり駆けて一気に距離を詰めたビリーが、背後から口を押えて彼女を抱え、路地裏に消えていく。モナルダは今が好機だと後を追いかける。視界の悪い路地裏も珍しく月明かりが差していた。
「何をやっているのかね、ビリー?」
「……っ!? モ、モナルダ……どうして、ここに……じゃなかった。ちょっと夜の散歩さ。たまには風を浴びたくなるってもんだろ」
取り繕う彼を前に、モナルダは明らかな怒りで睨む。
「動くなよ。言い訳など聞きたくもない。よくも私の目をごまかして、五年もの間、馬鹿にしてくれたものだ。何人かの令嬢は、こうやって自分の手で殺したんだろう。フローリンも」
敵愾心にビリーが冷や汗を滲ませて、両手を挙げて釈明する。
「違う。違うって、モナルダ。俺は誰も殺してない。こっちのお嬢ちゃんだって、このあたりの怖さを知らねえから、ちょっと脅かすつもりで────」
くるっと振り返った先にレティがいない。ぎょっとして、思わずぴたっと動きが石のように止まってしまった。まさか逃げたのか、と思った直後。
「それは殊勝な事だね、ミスター・ビリー。どおりで伯爵にも気に入られるわけだ。その腰に提げているのは護身用のナイフかな?」
「こ、公爵サマ……!? ま、待て待て、落ち着けって!」
動揺が隠せない。なぜ魔女にバレたのか。それどころか、公爵までもが協力しているとなると大ごとだ。どうやって逃げ出してグリンフィールド伯爵邸へ逃げたものかと必死に考える。だが思いつかない。
人質に使えそうだった娘は公爵の後ろで睨んで、べーっ、と舌を出して敵意剥き出しで、ビリーはもう完全に詰んでいる状態だった。なんとか二枚舌で切り抜けられないかと、必死に言葉を並べるのを試みる。
「俺は本当に何もしてないんだって。ナイフだって護身用さ、公爵サマの言う通り。なあ、これまで色々と尽くしてきたじゃないか。ロッケン商会にだって身寄りのない連中が働きに来てんだ。それをいきなり捕まえて犯罪者扱いなんて────そりゃねえよって話じゃねえか!?」
狙えそうなのは丸腰に見えるナイルズとレティだ。首を掻っ捌いてやろうと持っていた大柄のナイフの扱いはよく知っている。切れ味を落とさないために手入れも欠かさずやってきた優れもの。意表を突けば路地裏から抜け出せる。何度もあちこち歩いて地図は頭に叩き込まれてある。大丈夫。
────その確信は瞬く間に崩れた。
「うっ……!? 動けねえ、なんで……!?」
四肢が鎖に繋がれているかのように、びくともしない。モナルダの魔法は彼をしっかり捕らえた。
「チェックメイトだ、ビリー・ロッケン。もう言い逃れはできないし、伯爵如きでは、お前を守れない。観念するんだな」
時期を見て、ぞろぞろと憲兵隊が待ってましたとばかりにやってきた。彼らのビリーに対する感情は『哀れな生贄』くらいに思う冷たい視線だけだった。
「ちくしょう……。って事は、あれか。モートン通りにも……」
「とっくに踏み入った。証拠もある。もう諦めろ、殺人鬼」