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第19話「計画実行」

 どれだけの悪行が記された資料が大量にあったとしても、その中身を理解するのにはラヴォンは物を知らなさすぎる。レティと似たような形で──愛されているか否かという違いはあるが──育てられてきたのは間違いない。


 そんな父親が、もし窮地に陥ったとしたら意地でも娘の事は助けようとするのは火を見るより明らかだ。貧民窟は彼らにとって庭にも等しい。一度でも逃がせば追跡はできない。その後について公爵が配慮するのも想像はつく。


「わかった、ではやり方を変えよう。貧民窟の連中を全て見逃す事は公爵としての立場も考えれば不可能だろう。ならラヴォンたち親子は助けよう。恨みは買うかもしれないが、それが最善だと伝えるしかない。お前も受け止めてくれないか」


 灰皿に煙草を押し付けながら公爵はフッと呆れた笑い方をする。


「相変わらず、他人に殆ど興味も持てないくせに自己犠牲の精神だけは素晴らしい。まるでおとぎ話の騎士のようだ。今のヴェルディブルグ王室の騎士にも見習ってほしいものだよ。連中は制服だけ着て偉くなったつもりでいる」


 魔女はいつだって恐ろしいもの。それは、モナルダ・フロールマンを知らない人間から見ればそうなのだ。悪人に対しては徹底した冷たさを見せたりもするので、彼女が、悪ささえしなければ如何に温かみのある人間かを理解できない。


 幼少の頃からずっと関わってきたナイルズからしてみれば、十分な温情がある。自分であれば禍根を残さないようにラヴォンさえも始末するだろうと内心で笑い飛ばして、だからこそ魔女に協力したくなるのだとも思った。


「この町に彼らがいるのが問題なのだから、いなくなってしまえばいい。排除という点については同意できるよ。しかし、ミズ・モナルダ。君はやはり我々貴族とは違う。あれは必要悪だ。貴婦人がひけらかす宝石より価値がある」


「では彼らを巻き込まずにグリンフィールドを捕まえる手段が?」


 ちっちっ、とナイルズが指を振った。


「巻き込んだうえで伯爵だけを罰すれば良いのだよ、ミズ・モナルダ。大した事じゃない、事前に情報を流して連携を取るだけだ。ただし親子には伝えない方が良いだろう。グリンフィールドは小賢しい男だから、何も知らせない方がうまく信じ込んでくれるはずだ」


 屋敷に雇い入れた人間は、何も屋敷の手入れをしたり、貴重品の管理を任せておくための人材ばかりではない。自分では行動を起こしにくいときにこそ、使える者がいくらかある。普段は侍従のふりをさせながら。


「まあ、現場での事は君が上手くやってくれたまえ。ともかく時間はあまりないだろう。そろそろ約束の時間ではないのかね。あまりレティシア殿下を待たせると、小動物のように噛みつかれるやも」


「ハッハッハ、それは困るな。では私も行くとしようか」


 自分とレティだけでは難しい事も、頼もしい仲間が増えれば不安はない。ひとまずはミルフォード公爵邸を離れ、ナイルズから借りた馬で待ち合わせ場所であるロッケン商会まで向かう。


 予定した時間よりも数分遅れて到着したが、レティは持ち前のコミュニケーション能力を使って、働いている男たちに笑顔を振りまいて仲良くなっていた。ただの無邪気なお姫様ではなく、やはり王族らしく強かな面を持っている。


「悪い、レティ。遅れてしまったな」


「あ。も~、遅いよ。ビリーさんも待ってる」


「そうだな。少し話でもして行こうか」


 従業員たちは、すっかりレティに惚れているのか、手を振られただけで顔を赤くして、大きな手を小さくあげていた。


「随分と懐かれているようだが」


「えへへ、ここで働いてる皆は良い人たちだよ」


「分かってる。問題はビリーだ」


 ロッケン商会は大きい分、人数を雇い入れているので、低賃金で働いてくれる貧しい出身の者ばかりを引っ張ってくる。それだけに苦労人が多く、真面目で、見た目こそ強面な者も多いが根は優しいのだ。


 だからビリーも、そういった彼らの性格に付け入った。自分の儲けを大きくして、労働力を安く仕上げるために。


「よう、お二人さん。来てくれたね、もう馬車の準備はできてるけど……どうだい、ちょっとお茶でもしていくかい?」


「お言葉に甘えよう。せっかく来たのにすぐ別れるのも残念だ」


 それならばとビリーが指を鳴らせば、秘書が察したように席を外す。


「さあさ、暖炉の前が空いてる。座ってくれ」


「ありがとう。もう馬車の準備は出来ているのか?」


「もちろん。あんたの信頼を失う損益はデカい。ばっちり仕事は済んでる」


「結構。私は今晩にも出発するつもりだが……」


 ちら、と横目にレティを見る。彼女はこくりと頷いて。


「ボクはもう少しニューウォールズに滞在しようかなって思ってる」


「あれま。二人で旅行してんじゃねえのかい?」


 意外そうにするビリーの様子を窺いながら、モナルダは届いたお茶を飲む。


「別に二人でというわけではない。お互いに気が合ったから、王都からここまで一緒に来ただけだ。貴族令嬢初の一人旅という奴らしい」


「ひえっ、貴族!? なんでまたそんなお嬢ちゃんが一人で……」


 許可なんか下りるはずないだろうとビリーが言うと、モナルダがしれっと「家出なんだと。有り金を持って出てきたそうだ」と答える。気恥ずかしそうに笑ったレティの表情は、もちろん演技だ。彼を騙すための大切な一手。


「しばらくはゆっくり過ごすだけのお金を用意してきたから、きっと見つかる事もないよ。必死に探して、後悔したらいいんだ」


「あっはっは! 箱入り娘の大脱走とは恐れ入ったね、そりゃ面白い。にしても、そんなに金を持ち歩いていたら危ないよ、お嬢ちゃん」


 ベストの胸ポケットから煙草を取り出して咥え、マッチで火を点ける。ビリーの目の色が変わったのを二人は見逃さない。


「ニューウォールズは治安の良さじゃ他の町に比べても良い方だが、悪いうわさもある。なんでも、貴族令嬢ばかりが狙われるもんで『令嬢は霧に消える』なんて言われたりするんだぜ。ミステリーのタイトルみたいで笑えるだろ?」


 怖がらせつつもジョークを交えるのは、耳心地も悪くない。商会を代表する者として気さくで明るい雰囲気でありながら、我が身に手繰り寄せるかのような話術をして、実に出来た男だとモナルダも認める。


「おっと、話をしていたいところだが、行先に用があるんで私は失礼するよ。また会おう、ビリー。それからレティ、あまりはしゃぐなよ」


「ふふん、わかってるよ。お父様たちに心配させたいだけだからね」


 商会で馬車に乗って、町の外へ向けて出発する。────という、見せかけだ。本番はここから。なにしろレティの命懸けの作戦が始まるのだからモナルダもこれまでに経験した事のない緊張があった。


 それでも顔には出さない。密やかに進められる計画。ビリーが勘付かない事を祈りながら、ぱちんと指を鳴らして尾行がいないかも確認する。


「(うむ、流石に誰も来ていないか。では予定通りに遠回りしよう)」


 目指すはモートン通り。ほんの少しだけ、馬車を急がせた。

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