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第14話「情報は得た」

 魔女の契約書。ラヴォンもうわさ程度に耳にした事がある。普通の人間が交わすものとはまるで違う。『裏切れない契約書』と呼ばれていたのを。


 その通り、魔女の契約書には特別な効力があった。まさに魔法。書いてある内容に同意して署名をすれば、わざわざ血判も必要ない。もし裏切ろうものなら、その契約書の中にある『違反した場合』の措置が取られる。口外したら舌がちぎれる、と書かれていれば当然そうなった。


「お、おう、わかった。お互いのためだもんな……」


「何を怖がっている。人を殺すのは怖いくせに自分が死ぬのは怖いか」


 挑発されると、途端にラヴォンが弱気な顔をする。肌は色味をわずかに失い、血の気が引いていた。本当に怖がっているので、モナルダは意外だった。


「……まさかとは思うが、お前?」


「な、ないよ! アタシは誰も殺した事ない!」


 今度は顔を真っ赤にして怒った。忙しい奴だな、とモナルダが眉間にしわを寄せながら、仕方なさそうに契約書を引き下げた。


「わかった、やっぱりそっちのを使おう。こっちは別のところで使う事にするよ。お前だとうっかり違反して死んでしまいそうだ」


「しっ……死ぬって……! どういう中身だったんだよ!?」


 尋ねられてモナルダは自分の首を指でとんとん叩く。


「折れる」


 本当は全く違う。違うが、なんとなく悪戯心が顔を出して脅かしてみると、ラヴォンどころか横で見守っていたレティでさえドン引きの様子だ。


「……なんだ、そこまで怖がらなくてもいいだろう。冗談だよ」


「駄目だよ、モナルダ。ラヴォンさんが本気で怖がってる」


 青ざめて涙目で、自分の体を抱きしめて、さながら子ウサギのように震えている。とても殺し屋組織のトップとは思えない。そもそも殺した事のない人間がトップを担っているのもどうなんだ、と咳払いをする。


「うん、まあ、とにかく……。契約書を交わして私自身を後ろ盾にしたいんなら、協力は惜しまない。私の名前と血判があればいいんだろう?」


「おう……、ありがと。アタシも皆に頼まれてやってるだけだからさ」


 今にも泣きだしそうなラヴォンが契約書を引き出しから取って、モナルダに渡す。弱々しさを醸すしょんぼりとした表情は、やはり小動物のようだった。


「なぜお前が、あんなガラの悪い連中を率いてるんだ?」


「アタシだって普通に暮らしたいよ。でもパパ……親父が駄目だって」


「不憫な奴だな。まあ、お前の父親が言う意味も分かるが」


 裏社会の人間は裏社会でしか生きられない。華やかな世界を目の当たりにしておきながら、縁のない日陰でいつ死ぬかもわからない場所で生まれた人間は、その枠から出ていく事はできない。陽向に駆け出しても、足枷がついたままの仮初の自由を知るだけだ。ラヴォンの出生とはつまり地獄から始まったと言ってもいい。だから娘を愛する父親が『裏社会でも生きていけるように』と学ばせるのは当然の事なのだろう。モナルダはそれが、あまりにも哀れだと思った。


「ねえ、モナルダ……」


「分かってるよ。出来る限りの事はするさ」


 考えている事は同じだ。特に心優しく、自分と同様に狭い世界から出られないレティにとっては。


「これで満足か、ラヴォン?」


「おう、ありがとな」


 契約書を受け取ったラヴォンが、ニコニコと丸めて紐で結ぶ。魔女との契約書さえあれば、他の誰もが『簡単に転ぶ人間』だとは思わない。魔女の頼みであれば誰だって耳を傾け、よほどの身の程知らずでもない限りは当たり前のように頼まれ事には頷いてしまうだろう、と。


「もし何かあれば、私の名前を自由に出してもらって構わない。お前たちが困ったときは手を貸すと約束してやろう。……私のできる範囲で良ければ」


「────! 本当か、流石は魔女様は心が広くて嬉しいな!」


 二十代半ばに見えるラヴォンは、モナルダからすると子供っぽく映った。無邪気で愛らしく、本来の根は大人しくて優しい娘だと思った。


「じゃあ、ちょっと待ちな。ええっと……これかな?」


 そういって本棚にまとめてあるファイルブックのひとつを手に取った。


「ビリーはウチじゃあ常連だ。すぐ殺すんじゃなくて、どっからか捕まえてきた令嬢だのを『使い道がなくなった』とかで処分するらしい。アタシは今日が初めてだから詳しい事はパ……親父しか知らねえんだけどさ」


 テーブルに置かれたファイルブックの中身は全てビリー・ロッケンに関する書類だ。これまで行方不明、あるいは遺体の発見された貴族令嬢の名や、当時の状況をスケッチしたものまで纏められており、どう処理したのかまで仔細に書かれている。常人が目にすれば、動揺で手が震えてもおかしくない狂気じみたものだ。


「……レティ。お前は見ない方がいい」


「えっ、ダメなの?」


「知らない方が良い現実というのもある」


 ラヴォンたちの組織も、とてもまともではない。生業にしている人間には、人の心など既に失われている。深く関わりすぎるのは死を招く。


「わかった、これだけあれば十分だ。グリンフィールドについては?」


「領主サンだろ。利用記録はないぜ、あの人は来た事がない」


「来た事がない? ビリー・ロッケンとは繋がっていると思ったが」


「そうさ。だから来る必要がない。汚れ仕事はビリーに任せてんだよ」


 調べは済んでいる。ただ、証拠を握って弱みにしようとしても、憲兵どころか裁判官でさえグリンフィールド伯爵との癒着があるため、握り潰されておしまい。あるいは逆に仕留められかねない。首を繋げていたければニューウォールズでは余計な事に首を突っ込まない方が賢明だ。


 ラヴォンも「協力できるのはここまでだ」と言って、自分たちにも生活があるからとそれ以上の話はしなかった。


「私たちは行こうか、レティ」


「もういいの?」


「ああ、情報は得られない。今はな」


 受け取ったファイルブックをレティに預けてソファを立ち────。


「ご苦労だった。これは私からのチップだ」


 見ればいつの間にかテーブルには金貨が五枚並んでいた。


「まずはビリー・ロッケンを地獄へ突き落とす」


 明らかに怒りを宿した冷たい瞳。商会では笑顔を見せていた彼女が、見知った男に心の底から嫌悪感を抱いていた。そのせいか足早に去ろうとして、レティが慌てて彼女についていく。


「どうしたの、モナルダ? さっきから怖いよ……」


「……いた。いたんだよ、レティ」


 後ろに本を抱える手に力が籠った。


「ブレイディ子爵令嬢。私の友人の名前が資料の中にあった」

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