百年も生きていれば、繋がりは広くて、どこまでも深い。知りたくなくても知ってしまうほど、あらゆる情報が耳に入ってくる。表向きは華やかな上流階級たちの貴族社会にいても、その裏側までモナルダはよく知っていた。
当然、関わってはいけない人間についても。
「ナイルズ・ミルフォードを知ってるか」
その名前にバージニアはピンと来なかったが、やはり王族だけあってレティの反応は早い。
「
「賢いな、さすがは王族だ。会った事も?」
「ボクの誕生日パーティにはいつも来てくれたよ」
ミルフォード公爵は、その地位と振舞いから剔抉と呼ばれるほど冷ややかな人間に思われがちだが、非常に義理堅く人情に厚い男だ。たとえ母親に好かれておらず、開かれるレティの誕生日パーティも形式的に開くだけのものだと気付いていても、公爵は決して彼女を軽くあしらったりはせず、主役として称えてきた。
「良いおじさんだよ。嫌われ者だったボクにも優しくしてくれたから」
「……まあ、そんな男にも裏の顔があってな」
食事を終えて、口をナプキンで拭きながら。
「アイツは確かに上流階級の中では異質でね。庶民派公爵としても知られているから、疎ましいと思う人間も多いだろう。────だから怖いんだ」
自分に対して敵意を感じれば牙を剥く。ナイルズ・ミルフォードは、そうして敵対者を葬ってきた。貴族からゴロツキまで関係なく。
「奴には裏の事業なんてないし、基本的には金に綺麗な男だが、売られた喧嘩はどちらかが死ぬまで徹底的にやるような奴さ。それだけに裏社会にも顔が利く。あくまで利用する側としてだがな」
「あらぁ~、それってひょっとして暗殺者を雇うとかそういう話?」
これまた物騒な話になってきたな、とバージニアが席を外す。
「だったら聞かなかった事にするわね。蛇の道は蛇っていうし、余計な事に関わったらアタシまで殺されちゃいそうだから」
「その方が良い。別に誰かを殺そうってわけじゃないが」
情報を得るには狙った相手よりも大きな権力を持つ者。加えて明確に頼っても問題ない、と考えられる人物。百年以上を生きて多くの人々を眺めてきたモナルダは、ミルフォード公爵なら頼れると確信があった。
「それじゃあ、明日はミルフォード公爵に手紙を?」
「いや、アイツは大体ニューウォールズにいるよ」
「……え? なんで?」
「この町が気に入ってるらしい。年の半分はニューウォールズに買った小ぢんまりした家で、新聞でも読みながら時間を潰しているはずだ」
食事も終わり、ゆっくり酒を嗜みながらモナルダは不敵に笑う。
「明日の朝いちばんに会いに行く。いきなり押しかけても、魔女が来たと言えばちょっとの面会くらいはしてくれるだろうさ」
「うん、わかった。……ボクは変装とかしなくていい?」
そういえば、と少し考える。上流階級でもなければ、彼女の事を見て分かる人間など王都で暮らす人々でなければ、たとえ美人であったとしても記憶にも残りにくい。しかしミルフォード公爵は誰よりも彼女を知っていて過言ではない。毎回、誕生日パーティにも出席するほど律儀な男なのだから。
「……まぁ、そのあたりは奴も下手な事をする奴じゃないだろう。もし協力を仰ぐなら、お前だと分かってもらった方が手っ取り早いかもしれない」
「それなら変装とかはしなくても良さそうだね」
なぜか少しだけ残念そうにしているのを見て、探偵にでも憧れてるのかと言いたくなりつつ、ぐっと呑み込んだ。
「ともかく今日は寝よう。片づけはバージニアがしてくれる」
ふとレティがバージニアを見ると、彼女はカウンターで酒を飲みながら、ニコッと笑って、小さく手を振った。
「うん。ボクも疲れちゃったから、今日は甘えてもいいかな」
「それはそうだ。少なくともリベルモントにつくまでは自由でいい」
席を立ち、二階の部屋へ帰っていく。流石にモナルダも少し疲れた表情で大きなあくびをする。ベッドに乗っかった自分の本を脇へ退けて、体が小さく跳ねるくらいの勢いで乗りかかった。
「疲れた。お前も適当に休んでおけ。明日の朝からは忙しい。なにしろ予定にない仕事を受ける事になったんだから」
「あはは、ごめん。……本当にごめんね、ボク、何も知らなくて」
ベッドに腰かけてから、深く俯いて言った。どうしてモナルダが関わろうとしなかったのか。複雑な過去を聞いてしまえば、なるほど納得だ。いくらすんなり終われるといっても面倒な事になるのは目に見えているし、それが彼女ひとりであれば問題はないが、傍には自分という非力な人間がいるじゃないかとレティは反省する。荷物を背負わせておいて気取った事を言ってしまった、と。
「別に気にしてない。なにより、そのうち誰かから依頼も来ただろう。遅かれ早かれ、やるべきだった仕事だ。ほら、はやく寝ろ」
「うん……、ありがとう。おやすみ、モナルダ」
毛布に包まったら、五分と経たないうちにレティはすうすう穏やかな寝息を立て始める。旅慣れしていないので、かなり疲れが溜まっていたのだろう、と起きあがったモナルダが部屋の灯りを消す。
「おやすみ、レティ。良い夢を見れるといいな」