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第8話「裏の顔」

 ビリーと別れ、商館を出ていくときには彼女を見る作業員たちの目が変わっていた。門を潜る前には彼らも作業を止めて、手を振った。


 彼らも少し前から来るようになったハーシェルがお気に召さず、口々に「ありがとう、スカッとしました!」「流石は魔女様!」「またいらしてください!」と言葉が並んでいった。モナルダは小さく手を挙げて応える。


「悪いおじさんだったんだね、さっきの人。ビリーさんは、どうしてあの人と取引していたんだろう?」


「実際に腕が良いんだろ。アイツは良くも悪くも金儲け主義だ」


 呆れるほどの素直。いや、愚直と言った方が正しいのかもしれない。ビリー・ロッケンとは、まさに金儲けの大好きな現実主義。儲かる話なら、たとえ相手が小汚い浮浪者であってもまずは耳を傾ける。そこから必要な要素を探り、無理だと判断したら離れ、僅かでも希望を感じたら試してみる。その結果から失敗に終わった事も多いが、その挑戦的な性格が今のロッケン商会を作りあげた。


「話せば悪い男じゃないが、裏の顔がある。関わり方を間違えると首を持っていかれるぞ。もちろん比喩じゃない、本物の首だ。それで何人か死んだのを知ってる」


「うっ……。そんな怖い人だったの、ビリーさんって?」


 モナルダは深く頷き、眉をひそめた。


「お前に新しい名前をやっておいて良かった。王族だと分かれば金の成る木だとしがみついたかもしれん。あるいは────殺すか、だな」


 魔女は狙われない。魔女は恐ろしい。だから安全でいられるが、ロッケン商会は実のところ不透明な金の流れも多い。だが、その分の税金まで支払っているので、領主であるグリンフィールド伯爵は深く追及しなかった。


 大きな利害関係が成り立っているのか、ニューウォールズで暮らす人々は、自分達を守るために、まったくと言っていいほど口に出さない。まるで何も知らないかのように。そこに存在しないかのように、問題に触れないのだ。


「それって良くないよ。お母様に報告した方が……」


「できるなら誰かがもうやってるさ」


 手紙を出して王城に届き、事態が発覚したとしても対処は難しい。グリンフィールド伯爵はそれなりに権力も大きく、また、どこに監視の目があるか分からない。手紙を届けようとした人物が始末されかねないし、運よく届いたとしても、証拠隠滅の時間を与える事になってしまう。


「じゃあ憲兵隊の人たちと協力とかは?」


「無理だな。王都を守る騎士団とは雲泥の差だ。連中はすぐ金に転がる」


「そんな……。じゃあ、これからも放置しておくってことでしょ」


「無駄な交渉だぞ、レティ。私は関わるつもりはない」


 ばっさりと切られて、ぷくっと頬を膨らませる。レティは、そうやってまた誰かが犠牲になるのを見過ごそうとするモナルダが許せなかった。優しい言葉を掛けてくれる彼女が、冷たい言葉を放ったのが信じられずに。


「だったらボクだけでもなんとかしてみるよ。モナルダに頼ってばかりだと、これから先が思いやられるもんね。情けない自分のままではいたくないから」


「……はあ、強情な娘だ。先に宿に行くぞ、話はそこで聞いてやる」


 とにもかくにも休める場所が必要だ。モナルダが向かったのは、ニューウォールズでも馴染みのある小ぢんまりした宿。二部屋しかなく、殆ど客を取らないが、生活には困っていない。なにしろ後援者がいるから。


「バージニア、部屋は空いてるか?」


 玄関のベルがからんころんと客の来訪を告げる。宿の主人である波打つ長い髪をした女性が、しっとり潤んだ瞳で微笑み、カウンターに肘を突きながら見知った顔が入ってきたのを見て手を振った。


「あらぁ~、これは嬉しいお客サン。五年も来なかったじゃないか、アタシは寂しくて寂しくて酒浸りだよ。アンタが話し相手になってくれないから」


「酒浸りなのは私がいても同じだ。それで部屋は空いてるのか」


 けらけら笑いながらバージニアと呼ばれた女性はふわっと髪を手で梳いて、まだコップに半分ほど注がれたウイスキーに口をつけた。


「空いてるわよ~、二部屋とも。そっちはお友達?」


「ああ、レティ・ヴィンヤードだ」


 酒を飲む手が止まった。とても飲んだくれとは思えないハッキリとした視線。レティをジッと見つめて意外そうに目を細めた。


「ヴィンヤード……。あんた故郷に帰るの嫌いじゃなかった?」


「ロクな思い出がないからな。ま、それはいい。食事を頼む」


「はいはい、アタシが腕によりをかけて作ってあげますともさ」


 投げ渡された鍵を受け取ったモナルダは、レティを連れてさっさと二階へあがった。それから、二部屋とも使うかを悩む。


「どうする、部屋を広く使いたいなら別々にするが」


「シングルじゃないの?」


「どっちもツインだ。そこそこ広いし困らない」


「じゃあボクはいっしょでいいよ」


「ん。ならそうしよう。他の客が泊まれないのも可哀想だ」


 揃って部屋に入ったら、誰もいないかを確認してから扉を閉め、鍵を掛けた。誰も入って来れないようにして、ベッドに肌身離さず持っていた本を放り出す。


「分厚い本だね。ずっと持ち歩いてるけど、他の本と違うの?」


 不意に触ろうとしたレティの腕を掴む。


「やめておけ。開いたら後悔する事になる」


「えっ、何? もしかして……」


「魔導書だ。普通の人間が開いていいものじゃない」


「ごめん、そんなつもりはなくて」


「わかってる。つい開きたくなるのが人間というものさ」


 掴んだ腕を放して、怯えるレティの肩を抱き寄せてぽんぽん叩き、そっとベッドに座らせる。別に怖がらせるつもりはなかったが、つい勢いがでてしまった。


「好奇心は猫を殺すと言うだろ。お前にそうなってほしくなかったから、咄嗟にな。脅かしたかったわけじゃない」


「うん、ボクこそごめん。怖がりすぎちゃって」


 ようやく一息吐いて、モナルダもベッドに腰を下ろす。


「さて、ひと段落もついたし話を戻すとしよう。お前がなんとかしようと言ってた、ビリーとグリンフィールド伯爵についてだが────」

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