目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第7話「不愉快だ」





 王都より少し離れた小さな町。田舎と呼ぶには些か発展しているが、都市と呼ぶにはあまりに未熟。それでも活気はあって、夕刻になっても賑わう人々の笑顔と明るい声が温かさをくれる。そんな場所にふたりはやってきた。


「静かなのに、なんだろう。すごく楽しい空気だね」


「ニューウォールズという町だ。近々、名前を変える予定と聞くが」


「そうなの? 良い名前なのに」


「色々と理由があるそうだが。ま、話は宿でしよう」


 まずは馬車を預けたい、と馴染みの商会を目指す。馬屋を持つのは、貴族や騎士がよく聞くが、馬車を預かってくれるのは商会だけだ。中でもウェイリッジでは『ロッケン商会』と『バシル商会』が中心となっていて、殆どの実権を握るのは歴史あるロッケン商会だと言われている。


 事実、バシル商会は非常に小さく顧客も限られたが、銀細工などを中心に仕入れて職人たちの貴重な技術を枯れさせないためだと本人たちは話す。


「ロッケン商会へ行って馬車を預けるつもりだが、もし欲しいものがあれば何か買ってやろう。これからの旅だ、退屈が最も厄介な敵になる」


「モナルダはいつもひとりで旅をしてるときは何をしてたの?」


 彼女はうーん、と空を見上げて考える。


「読書はよくしてたと思うが」


「え。じゃあ、読んだ本はどうしてるの」


「いくつかの孤児院に寄贈してる。以前、欲しいと言われたから」


「わ、慈善活動もしてるんだね、モナルダは」


「まあ、そうなのかもしれん。あまり考えた事はないが」


 以前に以来の都合で立ち寄ったところ、読書の機会があまりない──高くて買えないのもあって──という相談を受けた事がある。その頃、まだ荷台に山ほど積んでいた本をせっかくだから譲ろうと提案した。


 以来、読み終わった本は全て孤児院に寄贈するようになった。


「でもそれまで、どうして捨てたりしなかったの?」


「読めなくなるまで本は使える。文字が擦り切れたり、ページが破けたり……。だがそうでないものを『要らない』と言う理由で捨てるのは勿体なくてな」


 せっかく綺麗で、まだまだ読める価値のある本。廃棄したら燃やされて処分されてしまって誰かが得られる知識が擦り減っていく気がして、目の前で『欲しい』と言われたら喜んで差し出せた。


 荷台に置きっぱなしで、ときどき読み返しもしたが百年も生きているおかげで、いつの間にか暗記さえした。開かずともいい。どのページかも分かる。


 そのうち、ただの荷物になってしまって、誰かに引き取ってもらえるならそれ以上に良い事はなかった。いくつかの孤児院には、少しくたびれたモナルダ寄贈の本として大切に読まれている。それで十分だった。


「じゃあ、この馬車にも増えるの?」


「お前が私を退屈させてくれるのならな」


「あはは。なら無理かもしれないね」


「では期待させてもらうとしようか……っと、あれだ」


 モナルダが指をさしたのは、町で最も大きな商館。ロッケン商会の大きな門は開けっ放しになっており、商人たちの出入りが多い。毛皮や銀細工、果物など持ち込まれるものは様々で、どれもニューウォールズでは人気だ。


 馬車が新たに入ってくるのを荷物を運ぶ男たちが作業を止める事なく、ちらと横目に見た。御者であるモナルダを見て、すっかり知った顔であるのもあって『魔女がひさしぶりに来た』程度に思っている。


 商館の中では商談中なのか、小さなテーブルを挟んでコーヒーを飲みながらゆっくりと話しているふたりの男がいる。ひとりは細身で、少し目つきの悪い壮年の男。もうひとりはでっぷりと肥えて、蓄えたあごひげを擦る中年。どちらも、商館に入ってきたモナルダの姿に気づくと、話すのをやめて椅子から立ちあがった。


 細身の男が細い目をいっそう鋭く伸ばして笑顔を浮かべる。


「やあ、レディ・モナルダ! 五年ぶりくらいか!?」


「ビリー。年を取っても目つきの悪さは変わらなくて何より」


「狐みたいで信用ならんだろ? 俺のなによりの自慢さ」


 慌てて彼はすぐ傍の太った商人を手で指す。


「こちらはハーシェル。最近、うちに銀細工を持ち込むようになった職人だ。体はゴツいし、見た目もちょっと怖ろしいが、腕は確かさ」


「初めまして、魔女殿。ハーシェル・ヴァーノンです」


 手を差し出されても、モナルダは後ろ手に本を抱えたまま。


「そうか。では席を外してくれないか、ハーシェル?」


「あの、握手はしてくださらないので」


「その汚い手をしまえと言わなければ分からないのか」


 見れば彼のあごひげはクッキーくずがついている。それを手で擦っていたのだから、当然握手などするはずもない。それをさも当たり前だとばかりに気にせず、握手を求められて、モナルダでなくとも嫌がっておかしくない。


「……ちっ。魔女ってのもお高くとまったもんだな」


 小声で悪態を吐かれたモナルダは、彼がしばらく席をはずそうと商館の外に行こうとしたとき、わざと聞こえるように────。


「あんな小汚い男と取引をするのはやめておいた方がいいんじゃないかね、ビリー。ロッケン商会の名前に傷がつかないか、とても心配だ」


 あまりの喧嘩腰の対応に、隣で黙って立っていたレティはもとより、ビリーまでもぎょっとする。彼女はあまり好戦的な性格ではないが、売られた喧嘩を無視するほど穏やかでもなかった。


「聞き捨てならねえな、魔女殿。いくら偉いったって────」


「いくら腕が良いからって多少は目を瞑れと?」


 突然、ハーシェルは口が糸で縫われたかのように開けなくなる。なんとかしようと手で引っ張っても、べったり唇がくっついて離れようとしない。


「その手は商売道具だろう。魅力的な品を作るのなら、それに見合った道具の使い方をするべきじゃないかね。特に、人目に触れるものはなおさらだ」


 力強く、ハーシェルのつま先をブーツで踏みつける。痛みに悶絶しても、うめき声だけがわずかに聞こえるだけ。しゃがみ込む彼を軽く蹴って転ばす。


「それから少し痩せた方がよさそうだ。そんなに膨らんだ手だと怪我もしやすいだろう。……では、二度と会う機会がない事を祈っていよう」


 ぱちん、と指を鳴らすとハーシェルはようやく解放されて、口でめいっぱい息を吸い込んだ。魔女がいかに恐ろしいかを目の前にして、やっと知った。


「ビリー、馬車を預けていく。三日後の朝に二人分の荷物を頼む」


「お、おお……。悪かったな、モナルダ。せっかく久しぶりに会えたのに」


「邪魔が入ったのなら仕方ない。埋め合わせを期待してもいいんだろう?」


 きっと二度と会ってくれないと酷く落胆したビリーだったが、モナルダは寛大な笑顔を向けて────。


「あ、あぁ! とびきり良い酒を用意しておくよ!」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?