大事なのは本人の気持ちだ。連れて行くのは簡単だが、どうしたいかを聞かないまま無理に連れて行く事はしたくない。そして、何もかも包み隠さず伝えたうえで確認を取るのだ。いずれにせよ、離れる方が本人のためではあっても。
そうして程なくフロランスの指示で連れてこられた娘の表情は、あまり明るくない。普段からどういった接し方をされているのかは見れば分かった。彼女は王族でありながら、誰の助けも得られない孤独な人間だ。
「また会えたな、レティシア」
「あ……。魔女様、先程はありがとうございました」
視線が、ちらちらとフロランスに移っているのを見た。なんとも言い難い不安を常に抱えていて、いつも周囲の目を気にしながら生きるのが当たり前になっているのだろう。最悪な育て方だな、とモナルダは目を細めて女王を振り返った。
「私は何ひとつ隠す気はない。分かっているよな?」
「ええ、構わないわ。どうせ答えはひとつだもの」
今すぐにでも頬を引っ叩いてやりたい気持ちも、きっとそれは何より不正解だと諦めてレティシアの前に立ち、こほんとひとつ咳払いをする。
事情をいちから説明してみると、思いのほか彼女は驚きもしなかった。そうなって当然だろうな、と落ち込んでさえいた。
「そうですか。私はリベルモントに……」
「あぁ、それで私が送る事に。お前はどうしたい?」
聞いたところで、なんとなく想像はしていた。その通りにレティシアは、とても複雑な気持ちのまま、気丈にも笑顔を浮かべて────。
「えへへ。行きます、どこへでも。それがお母様のためなら」
「……そうか、ではそうしよう」
報われない家族への愛。どれだけの無関心も、どれだけの嫌悪も、レティシアという少女にとっては全て『自分のせい』なのだ。
もう、そう簡単には変えられないまで追い詰められた生き方だった。
「フロランス、依頼を受けるにあたって幾つか頼めるか」
「出来る事なら構わないわ。なんだってしましょう」
「では幌馬車をくれ、程々にデカい奴を頼む」
「箱馬車じゃなくていいのかしら、雨風も凌げるのに」
「派手な奴だろ、要らないよ。目立つのは嫌いなんだ」
「そう。わかったわ、すぐに用意させましょう」
返事を聞いてすぐにモナルダは歩きだす。
「行くぞ、レティシア」
「あっ、はい!」
もう振り返らない。仕事でなければ顔を見るのさえ嫌な性悪女め、と内心で悪態を吐きながら謁見室を出ていく。
隣を歩くドレス姿の少女の浮かない顔を見て、パチンと指を鳴らす。
「わっ。なんですか、これ。ローブ?」
「着替える時間も惜しい。町で服を買うまでは着てろ、目立つから」
「わかりました。魔女様から頂けるなんて嬉しいです」
「魔女様って呼ぶな、鬱陶しい。私の事は呼び捨てにしろ」
驚いて、思わずレティシアが、ええっ、と声をあげた。
「お、恐れ多いです! 呼び捨てだなんて────」
「他人の顔色を窺って生きるのはやめろ。ストレスが溜まるだけだ」
「はい。えっと、じゃあ、モナルダ……?」
ずっと不機嫌そうな顔だったモナルダが、ふわっと優しく微笑む。
「やればできるじゃないか。良い子だ、その調子で頼むよ」
初めて褒められた。初めて。それも赤の他人から。それがなおさら心を動かされた。こんなにも嬉しい事は私の世界にはなかった、と。
「あ、ありがとうございます、モナルダ……」
「さてな。礼を言われるような事はしていないが」
心の弱った少女の絞りだしたような声。今にも泣きだしそうなのに、口元は嬉しそうだ。ずっと部屋の隅の暗い場所にいたのが、やっと陽の光を知れるようになったのだから当然だが、それほどの事か、とは自由な魔女ながらにふと思った。
二人が城の入り口に着く頃には馬車の準備は済んでいた。長い廊下をのんびり歩いていたからか、ちょうど積み荷をいくらか載せているところだった。
「レディ・モナルダ。これから、こちらの馬車に乗るのですか?」
遠くの町から魔女の御者として働いた男が意欲を見せているのが申し訳ない。モナルダは謝罪の言葉を口にして、これからは自分が御者となって友人を遠くへ連れて行くのだと伝えると、彼はとても残念そうに眉尻を下げた。
「悪いな。お前の仕事はここまでだ、追加で金は出そう」
「いえ、滅相もない。もうすでに十分すぎる給金を頂きましたから」
「そうか? まあ、なら構わないが……」
「その代わりですけど、またウェンウッドに寄ってください」
「ああ、そのうち行くよ。お前の妹は実に腕のいい料理人だった」
固い握手を交わすと、男は「それでは先に」と帽子を脱いで深く礼をしてから、自分の馬車に乗って去っていく。いずれまた会えるだろう、と小さく手を振って馬車を見送ったら、今度は自分たちの番だ。
「レディ・モナルダ。準備が整いました。いつでも出発できます」
執事に声を掛けられて小さく頷く。
「分かった。ではさっそく出発するよ、お前たちもご苦労」
ねぎらいの言葉を掛けて、御者台に本を置いてから乗り込む。
「レティシア、やり残した事がないなら荷台に乗ってくれるか」
「はい、すぐに。私の荷物、何もないですから」
さも当然のように言われて、胸がちくりとする。何もかも与えられながら、何もかもを与えられてこなかったも同然。思い出と呼べる品など、ひとつもない。あるとするのなら、それはきっと今日から始まる旅なのかもしれなかった。
「服を買って行こう。お前に似合いそうなものを見繕ってやるよ」