しかし、その油断がいけなかった。まどろみの中で気持ちよくウトウトしていると、突然ガクンと身体が痙攣した。
その衝撃で目を覚ました奈々香は、慌てて佇まいを直した。
(ヤベ。結構危なかったな)
喫茶店で倒れたとなれば、心配されて救急車でも呼ばれかねない。
誰も見ていないことを願っていたが、その願いは叶わなかった。
「いつから居たんですか?」
「つい10分ほど前です」
テーブルを挟んだ反対側にトトノが座って微笑んでいた。
「起こしてもらえれば良かったのに」
気恥ずかしそうに言う奈々香。
「お疲れなんですよ。気持ちよさそうに眠っていましたよ」
そういう問題ではなかったが、自分の中で無かった事にして、彼女としたかった話しをする。
「あの、何と言っていいのか」
どうやって話しを切り出せば良いのか迷う。昨日の合コンを参考にしてみようかとも考えたが、話題は豊富だったので、話しを途切れさせることは無いのだろうが、相手を口説き落とすための自慢話が大半だった事を思い出し除外する。
微かに冷や汗をかきながら見つめ合う事2分。意を決した奈々香が口を開いた。
「昨日、結婚をやめるって」
「はい。彼とも話しました。やっぱりアンドロイドと人間が結婚というのは無謀だったんですよ。反対される事は理解していたんですけど、これ以上彼に迷惑をかけるのも嫌ですし、彼の出世にも響きますから」
アンドロイドである自分が、足かせになっていると考えているらしかった。
「山本さんは納得されているんですか?」
「いいえ。彼は結婚したいと言ってくれているんですが、私の方が色々と考えてしまって」
相手の事を思っての押し問答が続いているらしい。奈々香は彼女にどう接するべきかを考えながら話しを続けた。
「もし、デモの件が解決すれば結婚を考え直しますか?」
「……結婚すれば、常に反対派の人たちから目を付けられます。そうなれば、私たちは何処に逃げれば良いんですか?」
根本的な原因。反アンドロイドを掲げる人間たちが存在する以上は、自分たちが巻き込まれない保証はない。
市役所職員としても、個人の意思の尊重が第一に求められる。奈々香が強制することは絶対にできない。
そんな事は研修でも散々教えられたし、理解もしていた。だが、理不尽だとも思っていた。人間ではないことが罪だと騒ぐ連中が脳内でリピートされる。
「あの、区役所の職員の方であれば、もうご存じかも知れませんが、私たちの結婚を一番反対しているのは、彼のお母さんなんです。自分の息子がアンドロイドと結婚する事がどうしても納得できないみたいで、初めて顔を合わせた時に散々怒られました。その後、彼は何度も説得を試みてくれていたんですけど、どうにもなりませんでした」
トトノが言葉を選びながら呟いた。
「こちらも、そこまでは掴んでいました。なので、私たちができることは全力で助けます。だから、もう少し考えてみませんか?」
職員としてどこまで踏み込んで良いのか悩んだが、目の前の女性が納得できる答えを見つけたかった。
その真剣な眼差しに、トトノは優しく微笑んだ。
「そうですね。もう少し彼と話してみます」
それを聞いた奈々香はホッと息を吐く。
「それにしても、休日まで気を使わせてしまって済みませんでした。この話のために、わざわざ足を運んでくれてんですよね?」
「え、あッ。いや、喫茶店でご飯を食べたかったのは本当なので、わざわざではないですよ」
しっかりとバレていた事に焦りながら否定すると、トトノは再び笑った。
「うれしいんです。私たちの事を真剣に考えてくれている人が、一人でも居てくれたってわかったので」
「当然です。私はアンドロイド共生課の職員ですし、何よりも貴方たちには幸せになってもらいたいんです」
噓偽りのない本心だった。2人の幸福を邪魔はさせたくないと奈々香は考えていた。
「本当にありがとうございます」
彼女は頭を下げ、嬉しそうにしていた。
その後の2人は、職員でもなく相談者でもなく、友人のように談笑をしていた。時間が経つのも忘れ、互いの事を話題にして楽しんだのだった。
週が開けて月曜日。忙しく仕事をしていた奈々香に一本の電話が入った。
スマートフォンの着信を見ると、トトノの名前が表示されている。
「何か進展でもあったかな」
喫茶店で話した日に、折角だからと電話番号を交換していた。何か相談があったら連絡をしてほしいと言っておいたので、結婚の事だろうと思い電話に出た。
「もしもし」
気軽に応答した奈々香に対し、電話口のトトノは緊迫した声だった。
「奈々香さん。大変なことになってしまっていて。助けください」
「どうしました? 詳しく話してください」
相手を慌てさせないように平静を装って聞き出そうとする。
「今日、彼と一緒に彼のお母さんに会う予定だったんです。話し合いの場を設けてもらって、なにか解決の糸口を見つけたかったんです。でも家に行ってみると、反アンドロイドの団体がいて、お母さんを責め立てているんです」
なぜそうなっているのかは分からないが、緊急事態なのは理解した。
「トトノさんたちは近くにいますか?」
「亨が止めに行きました。私は待っているように言われて」
「わかりました。すぐに私たちが向かうので、トトノさんは絶対に近づかないでください」
通話を切ると、いつの間にか横に立っていた門倉が口を開いた。
「何かあったの?」
「はい。山本さんの家に反アンドロイドの団体が押しかけたみたいです。とりあえず行ってきます」
急いで席を立つ奈々香を門倉が制した。
「急ぎたい気持ちはわかるが落ち着きなさい。君が慌てては助けられるものも助けられないでしょ」
その通りだった。門倉の言葉で冷静さを取り戻した奈々香は、1人の先輩の方を見る。
「まずは警察に連絡入れろ。後は必要な道具一式持って降りてこい」
雅嗣はそれだけ言うと席を立ち、課を出ていった。
奈々香は言われた通りに動き、書類やデジタルカメラ等を抱えて出ていった。