その言葉に動かされたのか、亨が重い口を開こうとした時、エレベーターが開く音と共に、やかましい声が響いた。
「アンドロとの特例結婚は人類に対する犯罪行為です!!」
1週間前に現われた中年の女性が、仲間を引きつれて乗り込んできた。
「私たちは世界の未来を守るために活動をしています!!」
最初は驚いた表情をしていたアンドロ共生課の職員だったが、一瞬で自分たちの仕事を始める。
「貴方たちの行為は業務妨害罪に相当します。退去してください」
1人が毅然とした態度で告げるが、それに従う素振りは見せない。
「御門。お前は2人を奥の部屋に移動させろ。絶対に見つかるなよ」
「わかりました」
雅嗣は1人立ち上がり、職員の加勢に向かう。
「行きましょう」
奈々香が促しながら談話室の近くにある給湯室を指さす。
「申し訳ないですが、態勢を低くして行きましょう」
談話室から給湯室までは3メートルも離れていない。壁沿いをパーテーションごと目隠しとして移動する。
その間にも課長は警察に連絡をしているらしく、慌ただしさが伝わってくる。
「さ、入ってください」
3人は給湯室に隠れると、一息を吐いた。
「後は向こうがやってくれますから、気楽に待ちましょう」
安心させる言葉を告げて、奈々香はお茶を用意し始めた。
普段は自販機でお茶を買っているので、慣れない手つきではあったが、何とか3人分のお茶を用意できた。
「どうぞ」
わけのわからない怒声をBGMに飲むお茶は不味いだろうな。と思いながら奈々香は2人に湯吞みを手渡した。
アンドロにとって、人間の食べ物や飲み物は不要なのだが、それは食べない飲まないというだけの話しであって、渡さない理由にはならなかった。
トトノは湯のみを眺めながら、暗い表情をしている。
「大丈夫ですよ」
気休め程度でしかないのは理解しているが、それくらいしか出てこない。
「そうですよね。私たちは悪いことをしている訳じゃないですよね?」
不安を口にして、自分のことばに耐えきれなくなったように彼女は肩を落とした。
「僕たちは悪いことなんかしていない。間違っているのは彼らの方さ」
亨はトトノの肩を抱き寄せる。
それでも彼女の不安は拭いきれないようで、ただただ黙っていた。
「2人はどこで知り合ったんですか?」
奈々香の不意な質問に、亨とトトノはキョトンとした表情をしたが、奈々香の意図を組んで弱く微笑んだ。このような状況で黙ったままでは気が滅入る一方だろう。ならば、適当な話題で構わないから話し続けた方が気が紛れるはずだ。
「トトノと出会ったのは喫茶店でした。その日は晴れのはずだったんですけど、急に雨が降ってきたんです。だから、近くにあった喫茶店に非難したんですよ。そこに彼女が働いていたんです」
懐かしむように昔を思い出して、亨は笑った。
「店に飛び込んだ僕に、トトノはタオルをくれたんです。それでコーヒーを注文して――」
「貴方がコーヒーをこぼした」
2人はクスクスと笑い、奈々香もつられて笑った。
「自分にもコーヒーがかかってるのに、私にかかったコーヒーだけを気にして、自分はアンドロイドだと告げても、心配そうに私の手を拭いてくれたんです」
トトノは一呼吸を置いて、
「働いていても、私がアンドロイドであることを告げると、大抵の人は何かを悟ったような表情をするんです。それに慣れてしまっていたので、彼の反応は可愛らしくて」
愛おしそうに自分の手を撫でるトトノ。
「そうだったんですね。良い出会いじゃないですか」
奈々香の思惑通り、最初の不安は和らいだように見える。
そんな会話をしていると、外が一団と騒がしいい雰囲気になった。
「ですから、ここでの抗議活動は認められていません。速やかに退去してください」
「私たちは悪いことはしていません」
「不法侵入で逮捕しますよ?」
奈々香がこっそりと様子を窺うと、既に到着した警察官がデモ隊を説得していた。
「警察が到着したみたいなんで、もう大丈夫だと思います」
改めて2人に向きなおる。
「やっぱり、結婚なんてやめない?」
トトノが重そうに口を開いた。
「何を」
言っているんだ。と続けたかったのだろうが、亨は言葉に詰まっていた。
「わかってた事じゃない。最初から無謀な望みだったのよ」
何もかもを理解したような表情で涙を流すトトノ。
例え彼女の流す涙が人とは違う成分の涙だとしても、そこにあった感情は本物だった。
「君が諦めても、僕は絶対に諦めない。戦うよ」
何かを決意した亨は涙を流すトトノを励まし続けた。
その後デモ隊は警察に連行され、今日の面談も中止となった。
2人も帰り、静かになった仕事場で奈々香は考え事をしていた。
「おい、働け」
雅嗣が忙しそうに書類を運びながら告げる。
「偶然じゃないですよね?」
「今日の事か」
「今日も前回もです」
先週、自分で偶然だと結論付けた事だが、その結論が間違っている可能性がある。
「でも調べてたんだろ?」
「調べましたけど、何て言うか、2人とも何か心当たりが有りそうな感じだったじゃないですか」
僕は絶対に諦めない。戦うよ。その言葉が、デモだけに向けられているようには聞こえなかった。何と戦うつもりなのかわからないが、2人は何かを知っているはずだ。
「心当たりが有るなら、真っ先に俺たちに報告してるだろ。黙ってるメリットが無い」
「確かにそうですけど、それも含めて疑問なんですよ」
奈々香と雅嗣が顔を見合わせて考えていると、別の所から声がかけられた。
「それなら、もう1回調べてよ。今度は徹底的に」
会話を聞いていたらしい門倉課長が言う。
「ある程度までは僕の方で誤魔化せるからさ。彼らの事を助けてあげてよ」
それはアンドロイド共生課の課長らしいセリフだった。その言葉を受け取った奈々香は、頷いて了承する。
「任せてください。アイツらの初恋の相手まで探ってやりますよ」
悪魔のような自信をのぞかせる部下に対し、門倉は念を押す。
「ある程度までだからね? 一線超えちゃったら、怒られるの僕だから」
それが聞こえているのかいないのか。奈々香は、パソコンに向かうとキーボードを叩き始めた。
前回はデモ隊がSNS等で情報を集めている可能性を中心に調べた。今回も念のためSNSを調べてみるものの、やはり大した情報は無かった。
「じゃぁ、防犯カメラかな」
彼らが区役所に来るまでのルートを逆算的に辿って行く。区役所の付近にある防犯カメラにアクセスし、時間を戻していくとデモ隊が映っていた。